陸別駅

かつて北海道足寄郡陸別町にあった北海道ちほく高原鉄道の駅

陸別駅(りくべつえき)は、かつて北海道足寄郡陸別町字陸別原野基線にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃駅)である。国鉄JR北海道池北線時代の電報略号リク事務管理コードは▲110512[3]

陸別駅
道の駅と宿泊施設が併設されている(2008年)
りくべつ
Rikubetsu
薫別 (6.7 km)
(5.7 km) 分線
地図
北海道足寄郡陸別町字陸別原野基線69番地1
北緯43度28分3秒 東経143度44分33秒 / 北緯43.46750度 東経143.74250度 / 43.46750; 143.74250座標: 北緯43度28分3秒 東経143度44分33秒 / 北緯43.46750度 東経143.74250度 / 43.46750; 143.74250
所属事業者 北海道ちほく高原鉄道
所属路線 ふるさと銀河線
キロ程 77.4 km(池田起点)
電報略号 リク
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1910年明治43年)9月22日[1]
廃止年月日 2006年平成18年)4月21日
備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅
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1977年、国鉄池北線時代の陸別駅と周囲1 ㎞×1.5 km範囲。左上が北見方面。 連絡橋を持つ千鳥式ホーム2面2線と、駅裏に3本の副本線、そこから駅裏の木工場へ引込み線が分岐している。駅裏北見側には青い屋根の2つの車庫とその裏に、かつて配備されていた置戸-陸別間にある池北峠越えの補機用蒸気機関車のための転車台、手前に給水塔も残されている。また、駅舎横池田側の貨物ホームへ数本の引込み線と、そこから東側のストックヤードへ引込み線が1本分岐して伸びている。本線池田側ではカーブのRを緩やかにする工事が進められていて、陸別川の橋梁が新しく架け替えられている。
駅裏南側の広大なストックヤードは帯広営林局陸別営林署管轄の土場で、既にトラック輸送に切り替えられているが、かつては利別川の支流である北東(右上)方向の陸別川の上流と、同じく支流の南西方向の斗満川の上流から、二つの森林鉄道が接続していた。この内、陸別川からの軌道は、殆んど道に置き換えられていて確認が困難であるが、池田側で陸別川を渡る橋梁の手前、国道242号が本線の下を潜り抜けている丁度その場所を潜り、ヤードの外周をほぼ一周する外周線へ接続していた。また、斗満川からの軌道は写真の下側に向かう国道と利別川との間に、小道になっている軌道跡が確認できるが、その延長からヤード南の営林署官舎のグランドの所で利別川を渡り、やはり外周線へ接続していた。また、ヤードは4つに大きく分かれ、中央の3箇所から最終的に2つの軌道となって、駅から池田側へ本線に沿って伸びた側線へスイッチバック状に接続していた[2]。その軌道跡がカーブ状に確認できる。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
駅構内の様子(2004年1月)
JR北海道当時の駅舎(1989年3月)

歴史

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年表

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駅名の由来

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駅構造

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廃止時は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅であった。ホーム間は跨線橋で結ばれていて、銀河線の駅の中で唯一列車の停泊が行われる駅でもあった。

のりば
1番線…ふるさと銀河線上り足寄・本別・池田方面
2番線…ふるさと銀河線下り置戸・訓子府・北見方面
  • 廃止まで社員配置駅で、末期には嘱託の駅員が1名配置されていた。末期には窓口は平日9時00分から17時25分まで営業していたが、廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。駅員が嘱託であったため足寄駅長が陸別駅長を兼務していた。嘱託の駅員が休みの時は、足寄もしくは置戸からの助勤で対応していた。
  • 他の有人駅と異なり、指定券を発行できず、池田駅からの取り寄せ販売であった。JRきっぷを販売していたが指定券を同時発券できなかった。
  • 池北線時代、急行「池北」の停車駅であった。民営化後も廃止時まで、快速「銀河」の停車駅だった。

廃止後の状況

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  • 2008年(平成20年)4月より旧駅構内は、陸別町商工会の主導で鉄道保存展示施設である「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として気動車の運転体験、乗車体験等ができるようになっている。期間は4月下旬 - 10月下旬の第二・四土日。
  • 2016年、駅構内に存在した転車台が「旧網走線開業時の鉄道施設群」として土木遺産に選奨された[9]
  • 駅事務所は「株式会社りくべつ」の事務所として使用し、十勝バス陸別案内所としての窓口業務(帯広方面への定期券・回数券発売)、前述した気動車の運転体験等の予約・受付業務を行っている。

駅跡地・周辺

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陸別(淕別)および斗満森林鉄道

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歴史

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  • 1922年大正11年):両幹線敷設工事着工。
  • 1924年(大正13年):淕別貯木場(駅土場)12.43 ha設置。ただし淕別森林鉄道側は、当時の町内からの「市街通過は甚だ危険」との申し入れで蒸気機関車の市街地乗り入れができず、土場から2kmの地点に機関庫設置。そこより土場まで馬力運行となる。後に町内の同意を得て土場まで機関車運行。
  • 1925年(大正14年)
    • 淕別川上流へ淕別森林鉄道幹線18.905km敷設。5t蒸気機関車運行。
    • 斗満川上流へ斗満森林鉄道幹線18.085km敷設。10t蒸気機関車運行。
  • 1939年昭和14年):斗満森林鉄道クンネベツ支線10.458km敷設。10t蒸気機関車運行。
  • 1940年(昭和15年):淕別森林鉄道幹線20.112kmに延長。
  • 戦時中のデータ不明(一部鉄材供給のため撤去か?)
  • 1945年(昭和20年)1月27日:機関車修理工場から出火、機関車2両焼失。
  • 1946年(昭和21年)7月21日:貯木場大火。
  • 1947年(昭和22年):淕別森林鉄道土井沢支線2.2 km敷設。
  • 1949年(昭和24年):淕別森林鉄道二股支線2 km敷設。斗満森林鉄道幹線延長開始。
  • 1950年(昭和25年):陸別森林鉄道一の沢支線2 km敷設。
  • 1953年(昭和28年):陸別森林鉄道廃止。トラック輸送に切り替え。
  • 1954年(昭和29年):斗満森林鉄道ニオトマム支線12.700 km敷設。
  • 1956年(昭和31年):斗満森林鉄道幹線23.928 kmに延長。運用機関車をすべてディーゼルに転換。B5t加藤製3台、B7t酒井製1台・加藤製2台。
  • 1965年(昭和40年):斗満森林鉄道廃止。トラック輸送に切り替え。

保有機関車

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1948年(昭和23年)における保有機関車は淕別、斗満合わせて以下の通り[10]

隣の駅

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北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
薫別駅 - 陸別駅 - 分線駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、893頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真 USA-R351-85(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 内閣印刷局, ed (1910-09-17). “鉄道院告示 第81号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (8174). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951526. 
  5. ^ a b 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 139. ISBN 4-89391-549-5 
  6. ^ a b 『釧路鉄道管理局史』年表 1972年刊行
  7. ^ 北海道鉄道百年史 下巻 年表
  8. ^ a b “駅舎充実、名産品展示し宿泊も-陸別” 北海道新聞 (北海道新聞社): p17. (1993年4月14日 朝刊)
  9. ^ 旧網走線開業時の鉄道施設群”. 土木学会 (2016年). 2018年3月13日閲覧。
  10. ^ 管内概要 帯広営林局 昭和23年5月発行。

参考文献

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  • 陸別町史 通史編 平成6年発行
  • 陸別町郷土叢書第4巻「叢樹にいどむ」 陸別町 平成5年発行
  • 東北海道の林業 帯広営林局 昭和44年発行

関連項目

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外部リンク

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