順徳府(じゅんとくふ)は、中国にかつて存在したモンゴル帝国時代から民国初年にかけて、現在の河北省邢台市一帯に設置された。

直隷省の順徳府の位置(1820年)

概要

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1262年中統3年)、モンゴル帝国により邢州が順徳府に昇格した。1265年至元2年)、順徳府は順徳路総管府と改められた。のとき、順徳路は中書省に属し、録事司と邢台沙河南和内丘唐山鉅鹿平郷広宗の9県を管轄した[1]

1368年洪武元年)、により順徳路は順徳府と改められた。順徳府は北直隷に属し、邢台・沙河・南和・任・内丘・唐山・鉅鹿・平郷・広宗の9県を管轄した[2]

のとき、順徳府は直隷省に属し、邢台・沙河・南和・任・内丘・唐山・鉅鹿・平郷・広宗の9県を管轄した[3]

1913年中華民国により順徳府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 元史』地理志一
  2. ^ 明史』地理志一
  3. ^ 清史稿』地理志一