飛鳥井 雅量(あすかい まさかず)は、戦国時代公家歌人蹴鞠道家飛鳥井頼孝の子。官位従四位下少将

 
飛鳥井雅量
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 雅量→曽衣(法号)
官位 従四位下少将
主君 後奈良天皇
氏族 飛鳥井家
父母 父:飛鳥井頼孝
虎熊丸
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出自

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飛鳥井家は、藤原北家難波家の流れをくむ羽林家の一つで、代々の当主は和歌蹴鞠を家技にした。雅量の祖父・正四位下左近衛少将権中納言飛鳥井雅康、大伯父の正二位権大納言雅親は歌人、書家として有名だった。

経歴

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享禄3年(1530年)9月、雅量は従五位下、同5年(1532年)5月に侍従となり、その後従四位下少将に叙任された。父祖同様、家伝の和歌、蹴鞠をよく修めた。のちに入道し曽衣(そえ)と号した。

天文期、京師の戦乱を避けて土佐国に下り、親族の一条家の賓客となって家門五家の一人に列せられる。永禄6年(1563年)、津野定勝に鞠道八足の図を与えて蹴鞠の秘儀を教えた。一条氏滅亡後は岡豊城に招かれ、長宗我部元親やその子弟に鞠道を教えた。

系譜

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  • 父:飛鳥井頼孝
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:虎熊丸

出典

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