養基村
日本の岐阜県揖斐郡にあった村
やぎむら 養基村 | |
---|---|
廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
分割編入 養基村(一部) → 池田町 養基村(一部) → 揖斐川町 |
現在の自治体 | 揖斐川町・池田町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 揖斐郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.50 km2. |
総人口 |
2,469人 (1956年) |
隣接自治体 | 揖斐郡揖斐川町、池田町 |
養基村役場 | |
所在地 | 岐阜県揖斐郡養基村田中字栗原563-3 |
座標 | 北緯35度27分50秒 東経136度33分43秒 / 北緯35.46378度 東経136.56203度座標: 北緯35度27分50秒 東経136度33分43秒 / 北緯35.46378度 東経136.56203度 |
ウィキプロジェクト |
昭和の大合併のさいに分割され、現在の揖斐郡揖斐川町南部(脛永)と池田町北部(粕ヶ原・田中・沓井)に該当する。
村名は養基神社に由来する。
歴史
編集- 江戸時代末期、この地域は美濃国池田郡であり、大垣藩領、旗本領であった。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 大野郡の一部と池田郡が合併して揖斐郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 粕河原村、田中村、沓井村、脛永村が合併し発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 分割により、西部(旧・粕河原村、田中村、沓井村)は池田町に、東部(旧・脛永村)は揖斐川町に編入される。同日養基村廃止。
分割編入の経緯
編集- 粕川以南の揖斐郡の南部(温知村[2]、八幡村、宮地村、養基村)は、共同で揖斐郡学校組合立揖南中学校(現・池田町立池田中学校)を設置しており、1953年(昭和28年)には、この4ヶ村での合併が決められ協議会が設置される。
- 養基村はこの4ヶ村の合併でほぼまとまっていたが、揖斐町との関係も深く、一部の住民からは揖斐町との合併という意見も出てきた。そのような中、揖斐町から合併の申し込みが行なわれる[3]。このことは住民のみならず村議会での対立を招くことになる。
- 養基村を除く3ヶ村は1955年(昭和30年)4月1日に合併し町制施行、池田町となる。
- 話し合いの末、東部(旧・脛永村)は揖斐川町[4]に、西部(旧・粕河原村、田中村、沓井村)は池田町への編入となる。そのさい、小学校はそのままとすることとなり、現在でも池田町にある養基小学校の校区は、旧・養基村の地域である[5]。
学校
編集- 養基村立養基小学校 (現・養基小学校養基保育所組合立養基小学校)
- 中学校は揖斐郡学校組合立揖南中学校へ通学。1957年から揖斐川町立揖斐中学校へ。