馬酔木 (雑誌)
馬酔木発行所が発行する月刊俳句雑誌
概要
編集1918年(大正7年)、佐々木綾華らによって『破魔弓』(はまゆみ)として創刊され、帝大俳句会を中心に同人を集めたが、1926年(大正15年)に、創刊後に同人に加わった水原秋桜子が改題を提起し、1928年(昭和3年)7月号より『馬酔木』となった[2]。改題時の同人は、水原秋桜子、増田手古奈、日野草城、佐藤眉峰、山口青邨、富安風生、大岡龍男、佐々木綾華であった[2]。
秋桜子をはじめ、当初のメンバーは『ホトトギス』の流れを汲んでいたが、やがて秋桜子を中心に、『馬酔木』は独立した俳句雑誌としての道を進むことになった。
1981年に秋桜子が没した後、『馬酔木』の主宰は長男の水原春郎が1984年から引き継いだ[4]。2011年に春郎の娘の徳田千鶴子が主宰を引き継ぎ、現在に至る。
おもな参加者
編集()内は、各所属者が主宰した俳誌を示す。後に離脱した者も含む。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 「馬酔木」は植物の名としては「アセビ」、生薬としては「バスイボク」などとも読まれる。
- ^ a b 秋尾敏「水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧。
- ^ “マスコミ掲載歴”. 村岡総本舗 (2007年6月2日). 2012年2月6日閲覧。
- ^ “用瀬の句碑・歌碑 水原春郎 句碑”. 鳥取商工会議所. 2012年2月6日閲覧。