高梨慶三郎

大日本帝国陸軍軍人

高梨 慶三郎(たかなし けいさぶろう、1873年明治6年〉5月11日[1] - 没年不明)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

高梨 慶三郎たかなし けいさぶろう
生誕 1873年5月11日
日本の旗 日本 千葉県
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894年 - 1919年
最終階級 陸軍少将
除隊後 日本ビルディング取締役、国華徴兵専務
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経歴

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千葉県出身[1][2]。高梨金兵衛の四男[3]1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]1903年(明治36年)陸軍大学校第17期卒業[1][2]

1913年(大正2年)2月に熊谷連隊区司令官、1914年(大正3年)8月に陸軍歩兵大佐1915年(大正4年)1月に歩兵第45連隊長を経て、1918年(大正7年)9月に陸軍少将に昇進と同時に待命、1919年(大正8年)4月に予備役に編入した[1][2]

退役後は日本ビルディング取締役、国華徴兵専務を歴任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』422頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』115頁。
  3. ^ a b 人事興信所 1943, タ123頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  5. ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日。
  6. ^ 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、160頁。

参考文献

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