高等宗務官裁判所(こうとうしゅうむかんさいばんしょ、:The Court of High Commission)は、かつてイングランド王国に存在した、国王大権の下で開かれた裁判所。

テューダー朝ヘンリー8世宗教改革カトリック教会と決別、プロテスタントイングランド国教会を創設し教会裁判権も王権に収めた。その際、王から裁判を任せられた高等宗務官(Commissioner)が前身で、1559年国王至上法発布を契機に強化され、王権裁判所の1つとして設置された[1][2]

1580年代に常設裁判所となりカンタベリーヨークに設置、ほとんどの分野に介入するようになり罰金や投獄も可能になり、カンタベリー大主教ジョン・ホイットギフトは高等宗務官裁判所を濫用して反対派を厳しく取り締まったが、活動が恣意的だったことからピューリタンコモン・ロー法律家から強い反発を招き、1584年枢密院で査問を受けたホイットギフトは強硬策を撤回せざるを得なかった[1][3]

ステュアート朝ではジェームズ1世1604年に高等宗務官裁判所の権限を僅かながら縮小するということもあったが、弾圧機関として使われたことには変わらず、チャールズ1世の側近のカンタベリー大主教ウィリアム・ロード星室庁と共に高等宗務官裁判所を反対派弾圧のために濫用、星室庁と並び専制的支配の代表機関と見做され、1640年4月の短期議会で批判された。同年11月から開かれた長期議会によりロードは失脚に追い込まれ、高等宗務官裁判所も1641年7月に制定された法案で星室庁と共に廃止された。清教徒革命イングランド内戦)を経て王政復古1660年に開かれた仮議会でも再確認され、復活することはなかった[1][4]

脚注

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  1. ^ a b c 松村、P329。
  2. ^ 浜林、P68。
  3. ^ 今井、P88。
  4. ^ 浜林、P97、今井、P193、塚田、P94、P105、P129、P202。

参考文献

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  • 浜林正夫『イギリス市民革命史』未來社、1959年。ISBN 9784624110291
  • 今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 -近世-』山川出版社、1990年。ISBN 9784634460201
  • 松村赳富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 9784767430478
  • 塚田富治『近代イギリス政治家列伝 かれらは我らの同時代人みすず書房、2001年。ISBN 9784622036753