鳥居忠貴
鳥居 忠貴(とりい ただたか)は、江戸時代中期の下野国壬生藩の世嗣。官位は従五位下・伊賀守。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和6年(1769年) |
死没 | 文政2年7月12日(1819年9月1日) |
墓所 | 東京都文京区の吉祥寺 |
官位 | 従五位下伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野壬生藩世嗣 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 父:鳥居忠求、母:不詳 |
兄弟 | 忠貴、竹村嘉道、謡台院、寛隆院、松平忠元正室 |
略歴
編集壬生藩世子・鳥居忠求(3代藩主・鳥居忠意の長男)の長男として誕生。
壬生藩の嫡孫として生まれ、天明7年(1787年)に徳川家斉に初御目見・叙任する。寛政元年(1789年)に父が死去した後は祖父の嫡子となったが、寛政3年(1791年)に廃嫡された。代わって、叔父・忠見が嫡子となった。