黒田用綱
黒田 用綱(くろだ もちつな、元和2年(1616年)- 寛文12年11月7日(1672年12月25日))は、江戸時代前期の旗本、館林徳川家家臣。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 寛文12年11月7日(1672年12月25日) |
別名 | 直相、三十郎、左京、源右衛門(通称) |
戒名 | 泰岳道安居士 |
墓所 | 東京都文京区小石川の伝通院 |
官位 | 従五位下、信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光→家綱→綱吉 |
藩 | 上野館林藩家老 |
氏族 | 近藤氏→黒田氏 |
父母 |
父:近藤用勝、母:富田一白の娘 養父:黒田直綱 |
妻 | 正室:都筑為次の養女 |
子 |
三十郎、娘(中山直張正室)、左京、 直常、牧野成時、娘(大河内信久正室) 養子:直邦 |
紀州藩士近藤用勝の六男で、黒田直綱の養子となる[1]。寛永元年(1624年)に家督を継ぎ、将軍徳川秀忠に拝謁する。寛文元年(1661年)、徳川綱吉の上野館林藩襲封に伴い家老となり3000石を賜る。四男直達は牧野成貞の婿養子に入り牧野成時を名乗るが、若くして没している。娘婿の中山直張の三男の直邦を養子とした。