SUBARU硬式野球部
SUBARU硬式野球部(スバルこうしきやきゅうぶ)は、群馬県太田市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。
チーム名(通称) | SUBARU、スバル |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1953年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 太田市運動公園野球場 |
チームカラー | 紺色、青 |
監督 | 冨村優希 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 29回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 準優勝 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 1973年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 17回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 優勝(2回) |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
ユニホームのマーク・ロゴは同社の自動車部門である「SUBARU」のエンブレム(六連星)を使用している。都市対抗野球大会では、スタンドに現れる巨大な「SUBARU」の旗と内外野を埋め尽くす大応援団が名物となっている。
概要
編集他の多くの自動車会社と同様、戦後占領後である1953年に富士重工業(現・SUBARU)の硬式野球部として創部。
1957年の都市対抗野球で初出場し、1969年の都市対抗野球では準優勝となった。
1977年の日本選手権で初出場し、1981年の日本選手権では初優勝を果たした。
2006年、16年ぶりの出場となった日本選手権で2度目の優勝を果たした。
2013年の日本選手権、翌2014年の都市対抗野球と2大会連続で決勝進出を果たしたが、どちらの試合にも敗れ準優勝となった。
設立・沿革
編集主要大会の出場歴・最高成績
編集- 都市対抗野球大会:出場29回、準優勝2回(1969、2014年)
- 社会人野球日本選手権大会:出場17回、優勝2回(1981、2006年)、準優勝1回(2013年)
- JABA東京スポニチ大会:優勝2回(2010、2015年)
- JABA静岡大会:優勝2回(1981、1988年)
- JABAベーブルース杯争奪大会:優勝2回(1973、1974年)
- JABA大阪大会:優勝2回(1986、1994年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝1回(1990年)
- JABA日立市長杯争奪大会:優勝2回(2004、2006年)
- JABA高山市長旗・飛騨市長杯争奪高山大会:優勝1回(2007年)
主な出身プロ野球選手
編集- 石幡信弘(投手) - 1969年ドラフト5位で大洋ホエールズに入団
- 皆川康夫(投手) - 1970年ドラフト5位で東映フライヤーズに入団
- 野崎恒男(投手) - 1971年ドラフト1位で南海ホークスに入団
- 伊藤正信(投手) - 1972年ドラフト2位で南海ホークスに入団
- 柴田民男(投手) - 退団後、1976年ドラフト外で大洋ホエールズに入団
- 橋本敬司(投手) - 1981年ドラフト4位で読売ジャイアンツから指名を受け、翌1982年シーズン終了後に入団
- 谷良治(投手) - 1983年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団
- 井場友和(投手) - 2000年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団
- 髙谷裕亮(捕手) - 退団後、白鷗大学に進学し、2006年大学生・社会人ドラフト3位で福岡ソフトバンクホークスに入団
- 鬼崎裕司(内野手) - 2007年大学生・社会人ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 東明大貴(投手) - 2013年ドラフト2位でオリックス・バファローズに入団
- 西村凌(捕手) - 2017年ドラフト5位でオリックス・バファローズに入団
- 弓削隼人(投手) - 2018年ドラフト4位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
元プロ野球選手の競技者登録
編集- 西嶋一記(元:ロサンゼルス・ドジャースマイナー) - 投手(2015年・2016年。現明治大学硬式野球部コーチ)熊本ゴールデンラークスより移籍