コンテンツにスキップ

「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (スウェーデン王妃)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
 
(9人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2024-03}}

{{基礎情報 君主の正配
{{基礎情報 君主の正配
| 人名 = ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ
| 人名 =ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ
| 各国語表記 = {{lang|sv| av Leuchtenberg}}
| 各国語表記 = {{lang|sv|Josefina av Leuchtenberg}}
| 正配称号 = [[スウェーデンノルウェー]]王妃
| 正配称号 = スウェーデン王妃<br />ノルウェー王妃
| 画像 = File:Жозефина Лейхтенбергская, королева Швеции и Норвегии.jpg
| 画像 = of Sweden & Norway c 1858 by Axel Nordgren.jpg
| 画像サイズ = 200px
| 画像サイズ = 200px
| 画像説明 =
| 画像説明 =
9行目: 11行目:
| 戴冠日 =
| 戴冠日 =
| 別称号 =
| 別称号 =
| 全名 = {{lang|fr|Maximilienne Eugénie Napoléone}}<br マクシミリアーヌ・<br />{{lang|sv|Josefina Maximiliana Eugenia Napoleona}}<br />ユセフィナ・マクシミリアーナ・エウシェニア
| 全名 = {{lang|fr|Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone}}<br />ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ<br />{{lang|sv|Josefina Maximiliana Eugenia Napoleona}}<br />ユセフィナ・マクシミリアーナ・エウシェニア・ナポレオーナ
| 別称 = ガリエラ女公爵<br />イタリア王女
| 別称 =
| 出生日 = [[1807年]][[3月14日]]
| 出生日 = [[1807年]][[3月14日]]
| 生地 = {{ITA1805}}<br/>[[ミラノ]]
| 生地 = [[File:Flag of the Napoleonic Kingdom of Italy.svg|border|25x20px]] [[イタリア王国 (1805年-1814年)|イタリア王国]]、[[ミラノ]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1807|03|14|1876|06|07}}
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1807|03|14|1876|06|07}}
| 没地 = {{SWE1844}}[[ストックホルム]]
| 没地 = {{SWE1844}}<br/>[[ストックホルム]]
| 埋葬日 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 = {{SWE1844}}[[ストックホルム]][[:en:Riddarholmen Church|リッダルホルム教会]]
| 埋葬地 = {{SWE1844}}<br />[[ストックホルム]]<br />[[:en:Riddarholmen Church|リッダルホルム教会]]
| 結婚 =
| 結婚 =
| 配偶者1 = [[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]
| 配偶者1 = [[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]
27行目: 29行目:
| サイン =
| サイン =
}}
}}
'''マクシミリアーヌ・ウジェニー・ド・ボアルネ'''([[フランス語]]名:{{lang|fr|Maximilienne }}, [[1807年]][[3月14日]] - [[1876年]][[6月7日]])は、[[スウェーデン]]王[[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]の王妃。[[スウェーデン語]]名は'''ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ'''({{lang|sv|Josefina av Leuchtenberg}})。
'''ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ・ド・ボアルネ'''([[フランス語]]名:{{lang|fr|Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone de Beauharnais}}, [[1807年]][[3月14日]] - [[1876年]][[6月7日]])は、[[スウェーデン]]王[[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]の王妃。[[スウェーデン語]]名は'''ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ'''({{lang|sv|Josefina av Leuchtenberg}})、[[ドイツ語]]名は'''ヨゼフィーネ・フォン・ロイヒテンベルク'''({{lang|de|Josephine von Leuchtenberg}})。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
48行目: 50行目:
[[Category:ガリエラ公|しよせふいぬ]]
[[Category:ガリエラ公|しよせふいぬ]]
[[Category:イタリアのプリンチペッサ]]
[[Category:イタリアのプリンチペッサ]]
[[Category:スウェーデンの王太后]]
[[Category:ボアルネ家|しよせふいぬ]]
[[Category:ボアルネ家|しよせふいぬ]]
[[Category:オスカル1世]]
[[Category:オスカル1世]]
[[Category:ミラノ出身の人物]]
[[Category:スウェーデンのカトリック教会の信者]]
[[Category:スウェーデンのカトリック教会の信者]]
[[Category:19世紀イタリアの女性]]
[[Category:19世紀スウェーデンの女性]]
[[Category:19世紀ノルウェーの女性]]
[[Category:ミラノ出身の人物]]
[[Category:1807年生]]
[[Category:1807年生]]
[[Category:1876年没]]
[[Category:1876年没]]

2024年5月25日 (土) 10:14時点における最新版

ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ
Josefina av Leuchtenberg
スウェーデン王妃
ノルウェー王妃
在位 1844年3月8日 - 1859年7月8日

全名 Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone
ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ
Josefina Maximiliana Eugenia Napoleona
ユセフィナ・マクシミリアーナ・エウシェニア・ナポレオーナ
別称 ガリエラ女公爵
イタリア王女
出生 1807年3月14日
イタリア王国
ミラノ
死去 (1876-06-07) 1876年6月7日(69歳没)
スウェーデンの旗 スウェーデン
ストックホルム
埋葬 スウェーデンの旗 スウェーデン
ストックホルム
リッダルホルム教会
配偶者 オスカル1世
子女
家名 ボアルネ家
父親 ウジェーヌ・ド・ボアルネ
母親 アウグステ・フォン・バイエルン
宗教 カトリック教会
テンプレートを表示

ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ・ド・ボアルネフランス語名:Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone de Beauharnais, 1807年3月14日 - 1876年6月7日)は、スウェーデンオスカル1世の王妃。スウェーデン語名はユセフィナ・アヴ・レウクテンベリJosefina av Leuchtenberg)、ドイツ語名はヨゼフィーネ・フォン・ロイヒテンベルクJosephine von Leuchtenberg)。

生涯

[編集]

ナポレオン1世の最初の妻ジョゼフィーヌの連れ子であるイタリア副王(後にバイエルン貴族ロイヒテンベルク公ウジェーヌ・ド・ボアルネとその妻でバイエルンマクシミリアン1世の娘であるアウグステの長女として、ミラノで生まれた。ナポレオン3世の母方の従姉にあたる。1823年5月にスウェーデン王太子オスカル・ベルナドッテとミュンヘンのロイヒテンベルク宮殿で結婚した。結婚式は同年6月19日にストックホルムで行われた。

スウェーデンに着くと、ナポレオン戦争に痛手を受けた国民感情に配慮してジョゼフィーヌの名前から「ナポレオーヌ」というミドルネームがはずされた。夫オスカルとは相思相愛で結婚生活を送っていたが、彼は妻に隠れて平気で浮気を繰り返しており、のちにそのことを知ったジョゼフィーヌは大きな衝撃を受け、苦い思いを日記に書き記した。ジョゼフィーヌはガーデニング・絵画という趣味を持ち、慈善・改善の活動に参加した。また、自身は終生カトリック教徒だったが、子供たちをスウェーデンの国教ルター派で教育することに同意した。このように信仰を変えずとも、彼女は王太子妃としてやってきた時から、スウェーデン国民から高い人気を維持し続けた。

子女

[編集]