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[[哲学]]、[[経済学]]用語としての<ref>Entfremdung(独)の訳語としての疎外概念は、他人(fremd)のものにするという意味を持つ。日本語「疎外」には、「うとんじること」([[広辞苑]]より)あるいは「社会的に周囲から避けらていること」という意味があり、そちらが本来の意味、第一義である。経済学や哲学の学者や学生でもないかぎ)日本人は日常的には主にそちらの意味で用いている。ただし、本項は辞書ではなく百科辞典であることを考慮し、哲学経済学用語の「疎外」について解説する。<!--(英 [http://en.wikipedia.org/wiki/Social_rejection social rejection])--></ref>'''疎外'''(そがい、{{lang-de-short|Entfremdung}}、{{lang-en-short|alienation}})は、人間が作ったもの([[商品]]・[[貨幣]]・[[制度]]など)が人間自身から離、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。
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'''疎外'''<ref>[[ドイツ語]]であるEntfremdungの訳語としての疎外概念は、他人(fremd)のものにするという意味を持つ。日本語「疎外」には、「うとんじること」([[広辞苑]]より)あるいは「[[社会的孤立|仲間外にす]]こと」という意味があり、そちらが本来の意味である。経済学や哲学の学者や学生でもない日常的には主にそちらの意味で用いている。ただし、本項は辞書ではなく百科辞典であることを考慮し、哲学用語や経済学用語の「疎外」について解説する。<!--(英 [http://en.wikipedia.org/wiki/Social_rejection social rejection])--></ref>(そがい、{{lang-de-short|Entfremdung}}、{{lang-en-short|alienation}})は、[[哲学]]、[[経済学]]用語としては人間が作った[[機械]]・[[商品]]・[[貨幣]]・[[制度]]など)が人間自身から、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき[[自己]][[本質]]を失う状態をいう。


==概要==
==概要==
ラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外概念は、経済、社会、歴史的には、客体として存在するようになったものを操作する力を主体が失っている状態のことを指す。<!--2つの異なる概念が同じ用語を使用しているがここでは後者について述べる。-->たとえば、あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して私は無力なものとして疎外されていることになる<ref>フランスの哲学者[[ルソー]]は、「譲渡するaliener」ことを、「私と無縁なものetrangerとなる」ことだとしている。</ref>。この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を自己実現できるものとされる<ref>自己実現のプロセスとして[[労働]]を捉えた[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]を批判的に受け継いだ[[マルクス]]は、[[資本主義]]社会における疎外された労働を問題とした。</ref>。
ラテン語の{{La|alienato}}(他人のものにするに由来する疎外概念は、経済、社会、歴史的には、客体として存在するようになったものを操作する力を主体が失っている状態のことを指す。<!--2つの異なる概念が同じ用語を使用しているがここでは後者について述べる。-->たとえば、あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して私は無力なものとして疎外(ないがしろに)されていることになる<ref>フランスの哲学者[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]は、「譲渡するaliener」ことを、「私と無縁なものetrangerとなる」ことだとしている。</ref>。この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を[[自己実現]]できるものとされる<ref>自己実現のプロセスとして[[労働]]を捉えた[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]を批判的に受け継いだ[[カール・マルクス|マルクス]]は、[[資本主義]]社会における疎外された労働を問題とした。</ref>。


==思想史==
==思想史==
 [[マルクス]]は、この疎外Entfremdungという用語を[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]の『[[精神現象学]]』([[1807年]])から継承し、また[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]の、神が人間の善性を客体化したものである限り、それだけ人間は貧しくなる(「キリスト教の本質」)という思想も取り入れて、経済学用語に鋳直した。
[[カール・マルクス|マルクス]]は、この疎外Entfremdungという用語を[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]の『[[精神現象学]]』([[1807年]])から継承し、また[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]の、神が人間の善性を客体化した発明である限り、それだけ人間は貧しくなる(「キリスト教の本質」)という思想も取り入れて、経済学用語に鋳直した。


=== マルクスによる概念 ===
=== マルクスによる概念 ===
{{Main|マルクスの疎外論}}
 [[近代]]的・[[私的所有]]制度が普及し、[[資本主義]][[市場経済]]が形成されるにつれ、人間と自然が分離し、[[資本]]・[[土地]]・[[労働力]]などに転化する。それに対応し本源的[[共同体]]も分離し、人間は[[資本家]]・[[地主]]・[[賃金労働者]]などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす[[労働過程]]とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が[[労働力]]という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって働く喜びを失わ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。
有機的身体と非有機的身体に分かれ、自然に抗う「自然疎外」が起こることで[[生命]]が始まったように、[[近代]]的・[[私的所有]]制度が普及し、[[資本主義]][[市場経済]]が形成されるにつれ、[[資本]]・[[土地]]・[[労働力]]などに転化する。それに対応し本源的[[共同体]]も分離し、人間は[[資本家]]・[[地主]]・[[賃金労働者]]などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす[[労働過程]]とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が[[労働力]]という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって機械操縦する主人であることが失わ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者、人間にとって外的・敵対的なもの、「人間疎外」となっていく


マルクスは「疎外された労働」が[[再生産]]されるこのような社会関係を『[[経済学・哲学草稿]]』([[1844年]])で分析し、『[[経済学批判要綱]]』([[1857年]] - [[1858年]])や『[[資本論]]』([[1867年]]、[[1885年]]、[[1894年]])に継承した。
マルクスは「疎外された労働」が[[再生産]]されるこのような社会関係を『[[経済学・哲学草稿]]』([[1844年]])で分析し、『[[経済学批判要綱]]』([[1857年]] - [[1858年]])や『[[資本論]]』([[1867年]]、[[1885年]]、[[1894年]])に継承した。

==== スターリン主義による歪曲 ====
[[スターリン主義]]者は、[[ソ連]]において[[社会主義社会]]が実現したと宣言したにもかかわらず、疎外が存在する現実を否定するために、疎外という概念そのものを、マルクスの青年期に特有のものとして事実上否定せざるをえなかった。スターリン主義者の理論では、疎外とは[[搾取]]のことであるとして、疎外概念は葬り去られた。


===サルトルによる概念===
===サルトルによる概念===
 [[サルトル]]は、自由な対自として[[実存]]する人間は「自由の刑に処せられている(condamn&eacute; &agrave; &ecirc;tre libre)」という言葉を残したが、[[死]]については、これが実存の永遠の他有化であるという意味で、これを回復不能の疎外であるとした。
[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]は、自由な対自として[[実存]]する人間は「自由の刑に処せられている({{Fr|condamné à être libre}})」という言葉を残したが、[[死]]については、これが実存の永遠の他有化であるという意味で、これを回復不能の疎外であるとした。


== 出典==
==注==
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* [[物神崇拝]]
* [[物神崇拝]]
* [[ヘーゲル]]
* [[ヘーゲル]]
* [[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]
* [[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]

* [[拝金主義]]
* [[拝金主義]]
* [[人間中心主義]]
* [[マルクス主義批判]]


== 外部リンク ==
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2024年8月23日 (金) 23:20時点における最新版

疎外[1](そがい、: Entfremdung: alienation)とは、哲学経済学用語としては人間が作った物(機械商品貨幣制度など)が人間自身から分離し、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己本質を失う状態をいう。

概要

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ラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外概念は、経済、社会、歴史的には、客体として存在するようになったものを操作する力を主体が失っている状態のことを指す。たとえば、あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して私は無力なものとして疎外(ないがしろに)されていることになる[2]。この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を自己実現できるものとされる[3]

思想史

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マルクスは、この疎外Entfremdungという用語をヘーゲルの『精神現象学』(1807年)から継承し、またフォイエルバッハの、神が人間の善性を客体化した発明である限り、それだけ人間は貧しくなる(「キリスト教の本質」)という思想も取り入れて、経済学用語に鋳直した。

マルクスによる概念

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有機的身体と非有機的身体に分かれ、自然に抗う「自然疎外」が起こることで生命が始まったように、近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、資本土地労働力などに転化する。それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家地主賃金労働者などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって機械を操縦する主人であることが失われ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者、人間にとって外的・敵対的なもの、「人間疎外」となっていく。

マルクスは「疎外された労働」が再生産されるこのような社会関係を『経済学・哲学草稿』(1844年)で分析し、『経済学批判要綱』(1857年 - 1858年)や『資本論』(1867年1885年1894年)に継承した。

スターリン主義による歪曲

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スターリン主義者は、ソ連において社会主義社会が実現したと宣言したにもかかわらず、疎外が存在する現実を否定するために、疎外という概念そのものを、マルクスの青年期に特有のものとして事実上否定せざるをえなかった。スターリン主義者の理論では、疎外とは搾取のことであるとして、疎外概念は葬り去られた。

サルトルによる概念

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サルトルは、自由な対自として実存する人間は「自由の刑に処せられている(condamné à être libre)」という言葉を残したが、については、これが実存の永遠の他有化であるという意味で、これを回復不能の疎外であるとした。

注釈

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  1. ^ ドイツ語であるEntfremdungの訳語としての疎外概念は、他人(fremd)のものにするという意味を持つ。日本語「疎外」には、「うとんじること」(広辞苑より)あるいは「仲間外れにすること」という意味があり、そちらが本来の意味である。経済学や哲学の学者や学生でもない限り、日常的には主にそちらの意味で用いている。ただし、本項は辞書ではなく百科辞典であることを考慮し、哲学用語や経済学用語の「疎外」について解説する。
  2. ^ フランスの哲学者ルソーは、「譲渡するaliener」ことを、「私と無縁なものetrangerとなる」ことだとしている。
  3. ^ 自己実現のプロセスとして労働を捉えたヘーゲルを批判的に受け継いだマルクスは、資本主義社会における疎外された労働を問題とした。

関連項目

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外部リンク

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