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| 選手名 = 黒田 哲史
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| 役職 = 内野守備走塁コーチ
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| 画像説明 = 2022年4月15日、[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]にて
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* 埼玉西武ライオンズ (2009 - )
* 埼玉西武ライオンズ (2009 - )
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'''黒田 哲史'''(くろだ さとし、[[1975年]][[1月11日]] - )は、[[兵庫県]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])で、現在は[[埼玉西武ライオンズ]]軍内野守備走塁コーチ。
'''黒田 哲史'''(くろだ さとし、[[1975年]][[1月11日]] - )は、[[兵庫県]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])現在は[[埼玉西武ライオンズ]]の二軍内野守備走塁コーチを務める


元妻は[[タレント]]の[[新山千春]]。娘はタレントで元[[子役]]のもあ<ref>{{Cite news|title=新山千春、1人娘と親子ショット公開「しっかり向き合って守っていく」美少女ぶり話題|newspaper=スポーツ報知|date=2019-06-24|url=https://hochi.news/articles/20190624-OHT1T50068.html|accessdate=2021-08-21}}</ref>。
元妻は[[タレント]]で[[俳優#性別での分類|女優]]の[[新山千春]]。娘はタレントで元[[子役]]の萌夢(もあ)、旧芸名は新山小春<ref>{{Cite news |title=新山千春、1人娘と親子ショット公開「しっかり向き合って守っていく」美少女ぶり話題 |newspaper=スポーツ報知 |date=2019-06-24 |url=https://hochi.news/articles/20190624-OHT1T50068.html?page=1 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。


== ・人物 ==
== 歴 ==
=== プロ入り前 ===
小学4年の時に野球を始め、当時は投手だった<ref name=jinmei>プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、208ページ</ref>。
小学4年の時に野球を始め、当時は投手だった<ref name="jinmei">プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、208ページ</ref>。


[[神戸村野高等学校|神戸村野工業高校]]に入学してもなく肘を故障し、野手に転向する<ref name=jinmei />。元[[阪神タイガース]]の[[安達智次郎]]は高校の同級生である。エース安達を擁し[[三塁手]]として甲子園に2回出場<ref name=jinmei />。チーム初出場を果たした{{by|1991年}}夏の[[全国高等学校野球選手権大会|第73回全国選手権]]は1回戦で[[専修大学北上高等学校|専大北上高]]に惜敗。{{by|1992年}}春の[[第64回選抜高等学校野球大会|第64回選抜]]も1回戦で[[堀越高等学校|堀越高]]に敗れる。3年夏は兵庫県大会5回戦で敗退した<ref name=jinmei />。夏の選手権での応援曲は本人リクエストによる[[プロジェクトA]]のテーマが使用された。
[[彩星高等学校|村野工業高校]]に入学してもなく肘を故障し、野手に転向する{{R|jinmei}}。元[[阪神タイガース]]の[[安達智次郎]]は高校の同級生である。エース安達を擁し[[三塁手]]として甲子園に2回出場{{R|jinmei}}。チーム初出場を果たした{{by|1991年}}夏の[[全国高等学校野球選手権大会|第73回全国選手権]]は1回戦で[[専修大学北上高等学校|専大北上高]]に惜敗。{{by|1992年}}春の[[第64回選抜高等学校野球大会|第64回選抜]]も1回戦で[[堀越高等学校|堀越高]]に敗れる。3年夏は兵庫県大会5回戦で敗退した{{R|jinmei}}。夏の選手権での応援曲は本人リクエストによる[[プロジェクトA]]のテーマが使用された。


[[1992年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1992年度ドラフト会議]]にて[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から4位指名を受け、入団<ref name=jinmei />
[[1992年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1992年度ドラフト会議]]にて[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から4位指名を受け、入団{{R|jinmei}}


=== 現役時代 ===
堅実な守備には定評があり、[[三塁手]]をはじめ内野は全て守ることができた。大型内野手として期待されていたが、[[田辺徳雄]]や[[松井稼頭央]]などの存在で出場機会に恵まれず守備要員暮らしが続き、ほとんど[[打席]]に立つことがなかった。
堅実な守備には定評があり、[[三塁手]]をはじめ内野は全て守ることができた。大型内野手として期待されていたが、[[田辺徳雄]]や[[松井稼頭央]]などの存在で出場機会に恵まれず守備要員暮らしが続き、ほとんど打席に立つことがなかった。


{{by|2002年}}開幕直前、[[内薗直樹]]との交換[[トレード]]で[[読売ジャイアンツ]]へ移籍<ref name=jinmei />。強肩と堅実な守備は首脳陣からの評価も高かった。
{{by|2002年}}開幕直前、[[内薗直樹]]との交換[[トレード]]で[[読売ジャイアンツ]]へ移籍{{R|jinmei}}。強肩と堅実な守備は首脳陣からの評価も高かった。


{{by|2004年}}には守備固めや[[代走]]の切り札として重量打線故のウィークポイントを埋める活躍を期待されて出場機会が増加、9月には巨人のチーム年間240本目の[[本塁打]]を放ち、プロ野球記録を更新した。私生活では2004年12月、[[タレント]]の[[新山千春]]と婚姻。[[2006年]][[7月12日]]、第一子である長女が誕生
{{by|2004年}}には守備固めや代走の切り札として重量打線故のウィークポイントを埋める活躍を期待されて出場機会が増加、9月には巨人のチーム年間240本目の[[本塁打]]を放ち、プロ野球記録を更新した。


{{by|2005年}}も主力に故障者が続出する中で守備走塁を期待された起用が続き、当時の[[堀内恒夫]]監督時代のスーパーサブとして活躍した。
{{by|2005年}}も主力に故障者が続出する中で守備走塁を期待された起用が続き、当時の[[堀内恒夫]]監督時代のスーパーサブとして活躍した。


{{by|2006年}}、[[原辰徳]]が監督に復帰すると、チームは[[千葉ロッテマリーンズ]]から[[小坂誠]]と、[[北海道日本ハムファイターズ]]から[[古城茂幸]]、またシーズン中には[[広島東洋カープ]]から[[木村拓也]]をそれぞれトレードで獲得し、内野守備の充実を図り、また正[[遊撃手]]の[[二岡智宏]]がフル出場を果たした他、ルーキーの[[脇谷亮太]]の台頭などに押し出される形で活躍の機会を失い、夏場以降は一軍での出場はなかった。シーズンオフに戦力外通告を受け、同年10月19日に[[無償トレード]]により古巣・西武への移籍が決定。背番号は55。
{{by|2006年}}、[[原辰徳]]が監督に復帰すると、チームは[[千葉ロッテマリーンズ]]から[[小坂誠]]と、[[北海道日本ハムファイターズ]]から[[古城茂幸]]、またシーズン中には[[広島東洋カープ]]から[[木村拓也]]をそれぞれトレードで獲得し、内野守備の充実を図り、また正[[遊撃手]]の[[二岡智宏]]がフル出場を果たした他、ルーキーの[[脇谷亮太]]の台頭などに押し出される形で活躍の機会を失い、夏場以降は一軍での出場はなかった。シーズンオフに[[戦力外通告]]を受け、同年10月19日に[[無償トレード]]により古巣・西武への移籍が決定。背番号は55。


{{by|2007年}}もシーズンを通じて一軍での出場はなく、10月2日に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から戦力外通告を受け、現役を引退。同年10月27日より同球団二軍用具担当となり、10月30日付で任意引退が公示された。
[[2007年]][[1月6日]]に[[TBSテレビ|TBS]]で放映された「[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]」という[[ドキュメンタリー]]番組で、巨人を解雇されてから西武に再雇用されるまでの道のりが、妻・新山千春と長女との家庭での団欒の姿を交えて紹介された。

{{by|2007年}}もシーズンを通じて一軍での出場はなく、[[10月2日]]に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から戦力外通告を受け、現役を引退。同年[[10月27日]]より同球団二軍用具担当となり、[[10月30日]]付で任意引退が公示された。


=== 現役引退後 ===
2008年12月、一軍打撃コーチ補佐に就任。2010年10月、二軍守備走塁コーチに配置転換された。
2008年12月、一軍打撃コーチ補佐に就任。2010年10月、二軍守備走塁コーチに配置転換された。


[[2014]]12月新山千春と離婚<ref>{{Cite web|url=https://www.sanspo.com/article/20141229-Z3KNEMZDGRJZLBSVIE7XWULZOY/|title=新山千春、西武・黒田コーチと離婚…最後の家族旅行も終え終止符|publisher=SANSPO.COM(サンスポ|date=2014-12-29|accessdate=2020-08-17}}</ref>。
{{by|2019}}から{{by|2023年}}まで一軍内野守備・走塁コーチを務め{{by|2024年}}からは二軍内野守備走塁コーチを担当する<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202310130000559_m.html |title=西武】内野守備走塁コーチは阿部真宏が1軍、黒田哲史が2軍へ配置転換/組閣一覧 | newspaper=日刊スポーツ |date=2023-10-13 |accessdate=2023-10-13}}</ref>。

{{by|2023年}}現在、コーチの中では最古参であり唯一、[[渡辺久信]]、[[伊原春樹]]、田辺徳雄、[[辻発彦]]、松井稼頭央と途切れることなく5人の監督の元で携わっている。

== 人物 ==
私生活では2004年12月、タレントの新山千春と結婚。2006年7月12日に第一子である長女が誕生したものの、2014年12月に離婚<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20141229-Z3KNEMZDGRJZLBSVIE7XWULZOY/ |title=新山千春、西武・黒田コーチと離婚…最後の家族旅行も終え終止符 |publisher=SANSPO.COM(サンスポ) |date=2014-12-29 |accessdate=2020-08-17}}</ref>。


2007年1月6日に[[TBSテレビ|TBS]]で放映された「[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]」という[[ドキュメンタリー]]番組で、巨人を解雇されてから西武に再雇用されるまでの道のりが、妻・新山と長女との家庭での団欒の姿を交えて紹介された。
[[2019年]]から一軍内野守備・走塁コーチ。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
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* [https://www.seibulions.jp/team/player/detail/2023_00001659.html 87 黒田 哲史 選手名鑑] - 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト


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2024年9月10日 (火) 13:59時点における版

黒田 哲史
埼玉西武ライオンズ 二軍内野守備走塁コーチ #87
2022年4月15日、京セラドーム大阪にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市北区
生年月日 (1975-01-11) 1975年1月11日(49歳)
身長
体重
189 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1992年 ドラフト4位
初出場 1995年10月6日
最終出場 2006年6月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 埼玉西武ライオンズ (2009 - )

黒田 哲史(くろだ さとし、1975年1月11日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手内野手)。現在は埼玉西武ライオンズの二軍内野守備走塁コーチを務める。

元妻はタレント女優新山千春。娘はタレントで元子役の萌夢(もあ)、旧芸名は新山小春[1]

経歴

プロ入り前

小学4年の時に野球を始め、当時は投手だった[2]

村野工業高校に入学して間もなく肘を故障し、野手に転向する[2]。元阪神タイガース安達智次郎は高校の同級生である。エース安達を擁し三塁手として甲子園に2回出場[2]。チーム初出場を果たした1991年夏の第73回全国選手権は1回戦で専大北上高に惜敗。1992年春の第64回選抜も1回戦で堀越高に敗れる。3年夏は兵庫県大会5回戦で敗退した[2]。夏の選手権での応援曲は本人リクエストによるプロジェクトAのテーマが使用された。

1992年度ドラフト会議にて西武ライオンズから4位指名を受け、入団[2]

現役時代

堅実な守備には定評があり、三塁手をはじめ内野は全て守ることができた。大型内野手として期待されていたが、田辺徳雄松井稼頭央などの存在で出場機会に恵まれず守備要員暮らしが続き、ほとんど打席に立つことがなかった。

2002年開幕直前、内薗直樹との交換トレード読売ジャイアンツへ移籍[2]。強肩と堅実な守備は首脳陣からの評価も高かった。

2004年には守備固めや代走の切り札として重量打線故のウィークポイントを埋める活躍を期待されて出場機会が増加し、9月には巨人のチーム年間240本目の本塁打を放ち、プロ野球記録を更新した。

2005年も主力に故障者が続出する中で守備走塁を期待された起用が続き、当時の堀内恒夫監督時代のスーパーサブとして活躍した。

2006年原辰徳が監督に復帰すると、チームは千葉ロッテマリーンズから小坂誠と、北海道日本ハムファイターズから古城茂幸、またシーズン中には広島東洋カープから木村拓也をそれぞれトレードで獲得し、内野守備の充実を図り、また正遊撃手二岡智宏がフル出場を果たした他、ルーキーの脇谷亮太の台頭などに押し出される形で活躍の機会を失い、夏場以降は一軍での出場はなかった。シーズンオフに戦力外通告を受け、同年10月19日に無償トレードにより古巣・西武への移籍が決定。背番号は55。

2007年もシーズンを通じて一軍での出場はなく、10月2日に西武ライオンズから戦力外通告を受け、現役を引退。同年10月27日より同球団二軍用具担当となり、10月30日付で任意引退が公示された。

現役引退後

2008年12月、一軍打撃コーチ補佐に就任。2010年10月、二軍守備走塁コーチに配置転換された。

2019年から2023年まで一軍内野守備・走塁コーチを務め、2024年からは二軍内野守備走塁コーチを担当する[3]

2023年現在、コーチの中では最古参であり唯一、渡辺久信伊原春樹、田辺徳雄、辻発彦、松井稼頭央と途切れることなく5人の監督の元で携わっている。

人物

私生活では2004年12月、タレントの新山千春と結婚。2006年7月12日に第一子である長女が誕生したものの、2014年12月に離婚[4]

2007年1月6日にTBSで放映された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」というドキュメンタリー番組で、巨人を解雇されてから西武に再雇用されるまでの道のりが、妻・新山と長女との家庭での団欒の姿を交えて紹介された。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 西武 1 4 4 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .500 .500 .750 1.250
1997 11 8 8 4 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .250 .250 .375 .625
1999 20 35 34 1 6 0 0 1 9 2 0 1 1 0 0 0 0 12 0 .176 .176 .265 .441
2000 58 116 99 8 19 2 0 1 24 2 4 0 10 0 7 0 0 19 1 .192 .245 .242 .488
2001 8 17 17 2 2 1 0 1 6 1 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .118 .118 .353 .471
2002 巨人 9 12 12 1 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .250 .250 .500 .750
2003 17 18 15 2 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 2 0 1 4 0 .267 .389 .267 .656
2004 47 56 53 10 9 2 0 2 17 7 2 0 0 2 1 0 0 17 1 .170 .179 .321 .499
2005 42 45 43 10 9 1 0 0 10 7 2 0 1 0 1 0 0 11 1 .209 .227 .233 .460
2006 24 13 13 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 8 0 .154 .154 .154 .308
通算:10年 237 324 298 40 58 8 0 6 84 24 8 1 12 2 11 0 1 83 4 .195 .224 .282 .506

記録

初記録

背番号

  • 48(1993年 - 1996年)
  • 2(1997年 - 2001年)
  • 45(2002年 - 2006年)
  • 55(2007年)
  • 87(2009年 - )

脚注

関連項目

外部リンク