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== 概要 ==
== 概要 ==
[[File:英吉利法律学校・東京英語学校校舎.jpg|thumb|190px|right|[[英吉利法律学校]](1889年)]]
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中央大学法学部・法学研究科は、英吉利法律学校を源流とし、135年の歴史を持つ。法学部は3学科(法律学科、政治学科、国際企業関係法学科)を有し、在籍学生数は、6172名(2016年4月現在)。また、通信教育課程を持つ<ref>{{Cite web|和書|title=中央大学 法学部通信教育課程|url=http://www.tsukyo.chuo-u.ac.jp/|website=中央大学 法学部通信教育課程|accessdate=2020-11-28|language=ja}}</ref>。
中央大学法学部・法学研究科は、英吉利法律学校を源流とし、135年の歴史を持つ。法学部は3学科(法律学科、政治学科、国際企業関係法学科)を有し、在籍学生数は、6172名(2016年4月現在)。また、[[中央大学法学部通信教育課程|通信教育課程]]を持つ<ref>{{Cite web|和書|title=中央大学 法学部通信教育課程|url=http://www.tsukyo.chuo-u.ac.jp/|website=中央大学 法学部通信教育課程|accessdate=2020-11-28|language=ja}}</ref>。


'''法科の中央'''(中央の法科とも)と呼ばれる。[[旧司法試験]]においては、1951年から1970年の20年間、[[東京大学]]を抑え大学別合格者数で首位を保っていた<ref name="chuoasa">「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面</ref>。
'''法科の中央'''(中央の法科とも)と呼ばれる。[[旧司法試験]]においては、1951年から1970年の20年間、[[東京大学]]を抑え大学別合格者数で首位を保っていた<ref name="chuoasa">「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面</ref>。
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*** 国際政治コース
*** 国際政治コース
*** メディア政治コース
*** メディア政治コース
** 通信教育課程(多摩キャンパス)
** [[中央大学法学部通信教育課程|通信教育課程]](多摩キャンパス)


大学院(博士前期(修士)課程・博士後期課程)
大学院(博士前期(修士)課程・博士後期課程)
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* [[林頼三郎]]([[検事総長]]、刑法学者、中央大学学長)
* [[林頼三郎]]([[検事総長]]、刑法学者、中央大学学長)
* [[笠間治雄]](検事総長、[[東京地方検察庁特捜部]]長)
* [[笠間治雄]](検事総長、[[東京地方検察庁特捜部]]長)
* [[畝本直美]](検事総長、[[法務省]][[保護局]]長)
* [[八木宏幸]]([[東京高等検察庁]]検事長、[[検察官#検察官の官名|次長検事]]、[[国際研修協力機構]]理事長)
* [[八木宏幸]]([[東京高等検察庁]]検事長、[[検察官#検察官の官名|次長検事]]、[[国際研修協力機構]]理事長)
* [[畝本直美]]([[東京高等検察庁]]検事長、最高検察庁[[総務#行政機関の総務部署|総務部]]長、[[法務省]][[保護局]]長)
* [[齋藤隆博]]([[東京高等検察庁]]検事長、次長検事、最高検察庁刑事部長、東京地検特捜部長)
* [[伊藤鉄男]](次長検事、[[東京地方検察庁]]検事正)
* [[伊藤鉄男]](次長検事、[[東京地方検察庁]]検事正)
* [[齋藤隆博]](次長検事、最高検察庁刑事部長、東京地検特捜部長)
* [[田辺泰弘]]([[札幌高等検察庁]]検事長、[[大阪地方検察庁]]検事正)
* [[田辺泰弘]]([[札幌高等検察庁]]検事長、[[大阪地方検察庁]]検事正)
* [[増田暢也]]([[仙台高等検察庁]]検事長、[[法務省]][[入国管理局]]長)
* [[増田暢也]]([[仙台高等検察庁]]検事長、[[法務省]][[入国管理局]]長)
* [[青沼隆之]]([[名古屋高等検察庁]]検事長、次長検事、法務省[[保護局]]長)
* [[青沼隆之]]([[名古屋高等検察庁]]検事長、次長検事、法務省[[保護局]]長)
* [[上冨敏伸]]([[大阪高等検察庁]]検事長、[[仙台高等検察庁]]検事長、[[法務省]][[法務総合研究所]]所長)
* [[畝本毅]]([[高松高等検察庁]]検事長、[[大阪地方検察庁]]検事正)
* [[畝本毅]]([[高松高等検察庁]]検事長、[[大阪地方検察庁]]検事正)
* [[豊嶋秀直]]([[福岡高等検察庁]]検事長、[[公安調査庁#歴代の公安調査庁長官|公安調査庁長官]])
* [[豊嶋秀直]]([[福岡高等検察庁]]検事長、[[公安調査庁#歴代の公安調査庁長官|公安調査庁長官]])
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* [[神田真秋]]([[愛知県知事一覧|愛知県知事]]、弁護士)
* [[神田真秋]]([[愛知県知事一覧|愛知県知事]]、弁護士)
* [[國松善次]]([[滋賀県知事一覧|滋賀県知事]])
* [[國松善次]]([[滋賀県知事一覧|滋賀県知事]])
* [[北島邦彦]]([[杉並議会|杉並議会議員]]、[[労働運動家]])
* [[北本正雄]]([[ (東京都)|東京都北]])
* [[石塚輝雄]]([[板橋区|東京都板橋区長]])
* [[飯村恵一]]([[台東区|東京都台東区長]])
* [[小林香 (政治家)|小林香]]([[福島市]]長、[[環境省]][[東北地方環境事務所]]長)
* [[小林香 (政治家)|小林香]]([[福島市]]長、[[環境省]][[東北地方環境事務所]]長)
* [[木下達則]]([[鳩ヶ谷市]]長、[[さいたま市]][[副市町村長|副市長]]、[[埼玉県下水道公社]]理事長)
* [[木下達則]]([[鳩ヶ谷市]]長、[[さいたま市]][[副市町村長|副市長]]、[[埼玉県下水道公社]]理事長)
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* [[渡辺幸子]]([[多摩市]]長)
* [[渡辺幸子]]([[多摩市]]長)
* [[小川晶 (政治家)|小川晶]]([[前橋市]]長)
* [[小川晶 (政治家)|小川晶]]([[前橋市]]長)
* [[北島邦彦]]([[杉並区議会|杉並区議会議員]]、[[労働運動家]])


=== 官界 ===
=== 官界 ===
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* [[矢澤勝幸]]([[愛知銀行]]頭取)
* [[矢澤勝幸]]([[愛知銀行]]頭取)
* [[高橋雄豺]]([[読売新聞社]]副社長、[[讀賣巨人軍]]球団社長、[[内務省 (日本)|内務]]官僚。[[法学博士]] (中央大学))
* [[高橋雄豺]]([[読売新聞社]]副社長、[[讀賣巨人軍]]球団社長、[[内務省 (日本)|内務]]官僚。[[法学博士]] (中央大学))
* [[田川融]]([[熊本県民テレビ]]社長)


=== 学術界(法学者を除く) ===
=== 学術界(法学者を除く) ===
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* [[ジャンボ鶴田]]([[プロレスラー]]、[[桐蔭横浜大学|桐蔭横浜大]]・[[慶應義塾大学|慶大]]・中大非常勤講師、[[ポートランド州立大学]]客員教授)
* [[ジャンボ鶴田]]([[プロレスラー]]、[[桐蔭横浜大学|桐蔭横浜大]]・[[慶應義塾大学|慶大]]・中大非常勤講師、[[ポートランド州立大学]]客員教授)
* [[ミスター・ポーゴ]](プロレスラー、大相撲力士、[[序二段]])
* [[ミスター・ポーゴ]](プロレスラー、大相撲力士、[[序二段]])
* [[村島克哉]](プロレスラー、[[新日本プロレス]])


=== 文化(作家、タレント、マスメディア)・その他 ===
=== 文化(作家、タレント、マスメディア)・その他 ===
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*[[真法会]]
*[[真法会]]
*[[中央大学大学院法務研究科]]
*[[中央大学大学院法務研究科]]
*[[中央大学法学部通信教育課程]]
*[[法学部]] - [[法学研究科]]
*[[法学部]] - [[法学研究科]]
*[[中央大学の人物一覧]]
*[[中央大学の人物一覧]]

2024年9月14日 (土) 13:03時点における版

中央大学茗荷谷キャンパス(2023年)

中央大学法学部(ちゅうおうだいがくほうがくぶ)は、中央大学に設置されている学部の一つ。中央大学大学院法学研究科(ちゅうおうだいがくだいがくいん ほうがくけんきゅうか)は同大学大学院に設置されている研究科の一つ。2023年度より文京区茗荷谷キャンパスに移転した(通信教育部を除く)。

英吉利(イギリス)法律学校を源流とする中央大学の学部・研究科であり、同大を代表する看板学部である[1]。これまで法曹界、官界、財界、ジャーナリズム界をはじめとして、幅広い分野に数多くの人材を輩出してきた。 ロースクール(法科大学院)大学院法務研究科であり、法曹教育において一貫教育プログラムを行っている。

概要

英吉利法律学校(1889年)

中央大学法学部・法学研究科は、英吉利法律学校を源流とし、135年の歴史を持つ。法学部は3学科(法律学科、政治学科、国際企業関係法学科)を有し、在籍学生数は、6172名(2016年4月現在)。また、通信教育課程を持つ[2]

法科の中央(中央の法科とも)と呼ばれる。旧司法試験においては、1951年から1970年の20年間、東京大学を抑え大学別合格者数で首位を保っていた[3]

沿革

錦町校舎(1915年)
駿河台校舎(1930年頃)
土方寧の講義(1938年頃)
多摩キャンパス正門
(2012年)

年表

  • 1885年 神田錦町に英吉利法律学校を設立。初代校長増島六一郎[4]
  • 1886年 私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など五大法律学校が帝国大学特別監督下に入る。
  • 1888年 五大法律学校連合大討論会に参加[注 1]
  • 1889年 『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。東京法学院と改称。
  • 1891年 『法学新報』創刊。
  • 1892年 第3回帝国議会で民法・商法施行延期法案可決。
  • 1893年 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。
  • 1894年 第1回訴訟実習会(模擬裁判)を開催。
  • 1896年 高等法学科開設。
  • 1903年 東京法学院大学と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。初代学長菊池武夫[4]
  • 1909年 法学科、経済学科、商業学科を設置[4]
  • 1905年 中央大学と改称。
  • 1910年 新聞研究科を開設[注 2]
  • 1913年 本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科と改称。
  • 1920年 中央大学法学部が成立[4]
  • 1926年 駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台3丁目)に移転[4]
  • 1931年 夜間学部を開設[4]
  • 1940年 高文試験司法科で中央大学関係者が71名合格、初めて第1位となる[7]
  • 1944年 『法学新報』休刊(1947年復刊)。
  • 1948年 通信教育部(法)を開設[4]
  • 1949年 新制法学部(一部・二部)開設。
  • 1953年 旧制最後・新制最初の卒業式を挙行。
  • 1978年 中央大学多摩キャンパスに移転[4]
  • 1980年 駿河台キャンパス閉鎖。
  • 2004年 中央大学市ヶ谷キャンパスに中央大学大学院法務研究科を開設[4]
  • 2007年 法学部二部廃止。
  • 2018年 2023年から2024年にかけて全学年の都心キャンパス(後楽園キャンパス及び茗荷谷新校地)への移転を決定。
  • 2021年 2023年4月に法学部全学年の茗荷谷キャンパスへの移転、同時に新設する小石川キャンパスの法学部生と国際情報学部生の使用を決定。
  • 2023年 茗荷谷キャンパスに移転(通信教育部は除く)。

学科・専攻

大学(学士課程)

  • 法学部
    • 法律学科
      • 法曹コース
      • 公共法務コース
      • 企業コース
    • 国際企業関係法学科
    • 政治学科
      • 公共政策コース
      • 地域創造コース
      • 国際政治コース
      • メディア政治コース
    • 通信教育課程(多摩キャンパス)

大学院(博士前期(修士)課程・博士後期課程)

学部長

教職員

研究室

中央大学法学部には、卒業生と学生が自主的に組織する「玉成会」「真法会」「正法会」などの「研究室」がある(2016年時点では11の研究室がある)[8]。それぞれ、独自の運営方針に基づいて活動を行っている[8]

中央大学法学部は1960年代から70年代前半の間には司法試験合格者数3桁(最高で172人)を記録しているが、この高い合格率を産み出したのが研究室の存在だと考えられている[8]

しかしながら、1978年前後に大学キャンパスが東京都千代田区から八王子市へとキャンパスが移転したことで、卒業生の所属する法律事務所と八王子キャンパスとの物理的な距離が問題となり、伝統的でもあった「先輩が後輩の勉強の面倒をみる文化」も薄れ、司法試験の合格者数は大きく減ずることになった[8]

著名な出身者

大学概要2018-2019<第1版>”. 2018年7月12日閲覧。の情報に基づく。

法曹

司法

検察

弁護士

法学者

政界

官界

財界

学術界(法学者を除く)

スポーツ

文化(作家、タレント、マスメディア)・その他

舞台となった作品や設定等

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された[5]
  2. ^ 同科は7人の卒業生を出しただけで間もなく閉鎖された[6]

出典

  1. ^ 酒井正三郎総長 「中央大学の「看板」 法学部が移転する3つの理由」 2017.11.24 07:00AERA#教育
  2. ^ 中央大学 法学部通信教育課程”. 中央大学 法学部通信教育課程. 2020年11月28日閲覧。
  3. ^ 「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面
  4. ^ a b c d e f g h i 「中央大学のあゆみ」 中央大学
  5. ^ 専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁
  6. ^ タイムトラベル中大125:1885→2010』 56-57頁
  7. ^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、122頁
  8. ^ a b c d 鎌田倫子 (2016年5月29日). “中央・法学部「少人数授業」「卒業生のゼミ」「炎の塔」で復活”. AERA dot.. p. 1. 2023年7月15日閲覧。

外部リンク