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出身地の小郡市には、野田宇太郎文学資料館がある(小郡市立図書館内)。1985年(昭和60年)、小郡市に野田宇太郎詩碑が建立された。 |
出身地の小郡市には、野田宇太郎文学資料館がある(小郡市立図書館内)<ref name=":1" />。1985年(昭和60年)、小郡市に野田宇太郎詩碑が建立された。 |
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== 著書 == |
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*『少年使節 [[天正遣欧使節]]旅行記』桐書房、1949年 |
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*『[[パンの会]]』六興出版社、1949年 |
*『[[パンの会]]』六興出版社、1949年 |
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**『日本[[耽美派]]の誕生 パンの会 増補改訂版』河出書房、1951年 |
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**『パンの会 日本耽美派の誕生』三笠文庫 |
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*『新東京文学散歩』日本読書新聞、1951年、のち角川文庫 |
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*『九州文学散歩』創元社、1953年 |
*『九州文学散歩』創元社、1953年 |
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*『青春の季節』河出新書、1953年<!--(内容は雑誌[[スバル]]の研究)--> |
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*『東京文学散歩の手帖』的場書房、1954年 |
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*『黄昏に』長谷川書房、1954年 |
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*『きしのあかしや [[木下杢太郎]]文学案内』学風書院、1955年 |
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*『'''日本文学の旅'''』全12巻 人物往来社、1967–68年 |
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*『文学の故郷』大和書房、1967年 |
*『文学の故郷』大和書房、1967年 |
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*『詩人と詩集 日本の近代詩史』南北社、1967年 |
*『詩人と詩集 日本の近代詩史』南北社、1967年、沖積舎、1995年 |
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*『日本の旅路』雪華社、1968年 |
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*『信濃路文学散歩』雪華社、1968年 |
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:『日本耽美派の誕生』と『瓦斯灯文芸考』所収の諸論考を改稿再編--> |
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*『昏れゆくギリシァ 野田宇太郎詩集』潮流社、1976年 |
*『昏れゆくギリシァ 野田宇太郎詩集』潮流社、1976年 |
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*『風景と文学』文一総合出版、1979年 |
*『風景と文学』文一総合出版、1979年 |
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*『木下杢太郎の生涯と芸術』平凡社、1980年 |
*『木下杢太郎の生涯と芸術』平凡社、1980年 |
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*『公孫樹下にたちて [[薄田泣菫]]評伝』永田書房、1981年 |
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*『天皇陛下に願 |
*『天皇陛下に願ひ奉る 文芸評論集』永田書房、1981年 |
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*『雑書遍歴』日本古書通信社、1982年 |
*『雑書遍歴』日本古書通信社(上下)、1982年。限定豆本 |
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*『定本野田宇太郎全詩集』蒼土舎、1982年 |
*『定本野田宇太郎全詩集』蒼土舎、1982年 |
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== 関連項目 == |
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* [[下村湖人]] |
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* [[岩村透]] (参考:[[今橋映子]]『近代日本の美術思想 上』白水社, 2021, pp60-62) |
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* [[藤井淑禎]](参考:『「東京文学散歩」を歩く』ちくま新書, 2023) |
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== 外部リンク== |
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* [http://www.library-ogori.jp/noda/index.html 野田宇太郎文学資料館] |
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野田 宇太郎(のだ うたろう、1909年(明治42年)10月28日[1] - 1984年(昭和59年)7月20日[1])は、日本の詩人、文芸評論家、文芸誌編集長。三島由紀夫や幸田文を世に送り出した人物である[2]。
福岡県三井郡立石村(現小郡市)出身[1]。朝倉中学卒業後、第一早稲田高等学院英文科に入学するが、病気により中退[1]。1930年(昭和5年)、久留米市で同人誌『街路樹』に参加して詩作を開始する。1933年(昭和8年)、詩集『北の部屋』を出版[1]。1936年(昭和11年)、安西均や丸山豊らと同人誌『糧』を創刊[2]。1940年(昭和15年)に上京し[1]、小山書店に入社。その後第一書房、河出書房を経て、1944年(昭和19年)文芸誌『文藝』の編集長を務めた後[2]、東京出版に入社。衆議院議員の羽田武嗣郎(羽田孜の父)と交友があり、彼が創業した羽田書店の顧問も務めた。
1951年(昭和26年)、日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載、その単行本はベストセラーとなり「文学散歩」のジャンルを確立した[1]。1975年(昭和50年)には『日本耽美派文学の誕生』で芸術選奨文部大臣賞を受賞[1]。その後は博物館明治村の常務理事を務め、1977年(昭和52年)には明治村賞と紫綬褒章を受賞。1978年(昭和53年)には中西悟堂らと同人誌『連峰』を創刊。
1984年(昭和59年)7月20日、心筋梗塞のため国立療養所村山病院(現・国立病院機構村山医療センター)で死去[1]。戒名は新帰寂文学院散歩居士[1][3]。墓所は相模原市青柳寺。小郡市松崎にも分骨墓がある。
出身地の小郡市には、野田宇太郎文学資料館がある(小郡市立図書館内)[2]。1985年(昭和60年)、小郡市に野田宇太郎詩碑が建立された。
著書
[編集]- 『北の部屋』金文堂書店、1933年
- 『詩集 音楽 ボアイエルのクラブ』1935年
- 『旅愁』大沢築地書店、1942年
- 『感情 自選詩集』目黒書店、1946年
- 『すみれうた 詩集』新紀元社、1946年
- 『少年使節 天正遣欧使節旅行記』桐書房、1949年
- 『パンの会』六興出版社、1949年
- 『日本耽美派の誕生 パンの会 増補改訂版』河出書房、1951年
- 『パンの会 日本耽美派の誕生』三笠文庫
- 『新東京文学散歩』日本読書新聞、1951年、のち角川文庫
- 『九州文学散歩』創元社、1953年
- 『青春の季節』河出新書、1953年
- 『東京文学散歩の手帖』的場書房、1954年
- 『黄昏に』長谷川書房、1954年
- 『きしのあかしや 木下杢太郎文学案内』学風書院、1955年
- 『湘南伊豆文学散歩』英宝社、1955年
- 『六人の作家未亡人』新潮社、1956年
- 『関西文学散歩』小山書店新社、1957年
- 『四国文学散歩 愛媛』小山書店新社、1958年
- 『灰の季節』修道社、1958年
- 『文学のふるさと』国土社、1959年
- 『定本文学散歩全集』全13巻、雪華社、1960–63年
- 『瓦斯灯文芸考』東峰書院、1961年
- 『日本の文学都市』文林書房、1961年、のち角川文庫
- 『日本近代詩事典』青蛙房、1961年
- 『東海文学散歩』第1–2巻、日研出版、1964–65年
- 『夜の蜩 野田宇太郎全詩集』審美社、1966年
- 『日本文学の旅』全12巻 人物往来社、1967–68年
- 『文学の故郷』大和書房、1967年
- 『詩人と詩集 日本の近代詩史』南北社、1967年、沖積舎、1995年
- 『日本の旅路』雪華社、1968年
- 『信濃路文学散歩』雪華社、1968年
- 『掌篇文学散歩 東京篇』毎日新聞社、1970年
- 『羅馬の虹 天正使節の旅を南欧に拾ふ』芽起庵、1970年
- 『混沌の季節 — 被占領下の記録』大東出版社、1971年
- 『明治村物語』国土社、1971年
- 『ヨーロッパ文学の旅』毎日新聞社、1971年
- 『石川啄木の世界』平凡社、1973年
- 『詩歌風土記』中央公論社、1973年
- 『日本耽美派文学の誕生』河出書房新社、1975年
- 『昏れゆくギリシァ 野田宇太郎詩集』潮流社、1976年
- 『桐後亭日録 灰の季節と混沌の季節』ぺりかん社、1978年
- 『風景と文学』文一総合出版、1979年
- 『木下杢太郎の生涯と芸術』平凡社、1980年
- 『公孫樹下にたちて 薄田泣菫評伝』永田書房、1981年
- 『天皇陛下に願ひ奉る 文芸評論集』永田書房、1981年
- 『雑書遍歴』日本古書通信社(上下)、1982年。限定豆本
- 『定本野田宇太郎全詩集』蒼土舎、1982年
- 没後刊行
- 『野田宇太郎文学散歩』全24巻別巻2、文一総合出版、1977–85年
- 『東京ハイカラ散歩』角川春樹事務所・ランティエ叢書、1998年
- 『新東京文学散歩』(1・2)、講談社文芸文庫、2015年
論文
[編集]- 野田宇太郎 (1955), “木下杢太郎とその兄姉 : 太田圓三に就て”, 成城文藝 (成城大学) 4: 19-28
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j “野田宇太郎”. 町田市ホームページ. 町田市. 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b c d “野田宇太郎 略歴紹介”. 野田宇太郎文学資料館. 小郡市立図書館. 2023年10月1日閲覧。
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)177頁