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'''剣戟映画'''(けんげきえいが)は、'''剣戟'''を中心に据えた[[映画のジャンル]]である。[[1920年代]] - [[1940年代]]の[[第二次世界大戦]]前、[[1940年代]] - [[1950年代]]の戦後の時期に流行し、量産された。日本で製作されたものは、俗に'''ちゃんばら映画'''と呼ばれ
'''剣戟映画'''(けんげきえいが)は、'''剣戟'''を中心に据えた[[映画のジャンル]]である。[[1920年代]]から[[1940年代]]までの[[第二次世界大戦]]前、[[1940年代]]から[[1950年代]]までの戦後の時期に流行し、量産された。日本で製作された剣戟映画は、俗に'''ちゃんばら映画'''と呼ばれ親しまれ、日本では[[ハリウッド]]や[[フランス]]の剣戟映画をも俗に同呼称を用いている。「ちゃんばら」の由来に関しては[[チャンバラ]]の項を参照


== 略歴・概要 ==
== 略歴・概要 ==
'''剣戟'''(けんげき)は、[[剣]](つるぎ)と[[戟]](ほこ)を意味し、さらにはこれを使用した戦いを意味する<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%89%A3%E6%88%9F 剣戟]、[[大辞泉|デジタル大辞泉]]、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>。剣映画を指す英語 ''Swashbuckler film'' の ''Swashbuckler'' は「剣戟を帯びた荒くれの剣士」([[#主人公の造型]])であり、剣映画を指すフランス語 ''Film de cape et d'épée'' は、''Comédie de cape et d'épée'' (騎士任侠劇<ref>『クラウン仏和辞典』、[[三省堂]]、1981年、p.192.</ref>)に由来する語で、直訳すると「ケープと剣の映画」を意味する。
'''剣戟'''(けんげき)は、[[剣]](つるぎ)と[[戟]](ほこ)を意味し、さらにはこれを使用した戦いを意味する<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%89%A3%E6%88%9F-491735 剣戟]、[[大辞泉|デジタル大辞泉]]、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>。剣映画を指す英語 ''Swashbuckler film'' の ''Swashbuckler'' は「剣戟を帯びた荒くれの剣士」([[#主人公の造型]])であり、剣映画を指すフランス語 ''Film de cape et d'épée'' は、''Comédie de cape et d'épée'' (騎士任侠劇<ref>『クラウン仏和辞典』、[[三省堂]]、1981年、p.192.</ref>)に由来する語で、直訳すると「ケープと剣の映画」を意味する。


[[ハリウッド]]を中心とした英語圏では、1903年(明治36年)の『[[大列車強盗 (1903年の映画)|大列車強盗]]』に代表される[[アクション映画]]が盛んに製作されたが、そのなかのサブジャンルであった。[[海賊]]や[[義賊]]、[[騎士]]といった人物を主人公に、中世のヨーロッパを舞台にした、[[歌舞伎]]でいうところの「[[時代物]]」にあたる時代の物語が量産された。
[[ハリウッド]]を中心とした英語圏では、1903年(明治36年)の『[[大列車強盗 (1903年の映画)|大列車強盗]]』に代表される[[アクション映画]]が盛んに製作されたが、そのなかのサブジャンルであった。[[海賊]]や[[義賊]]、[[騎士]]といった人物を主人公に、中世のヨーロッパを舞台にした、[[歌舞伎]]でいうところの「[[時代物]]」にあたる時代の物語が量産された。


日本においては、1908年(明治41年)に、京都の興行会社[[横田商会]]に依頼されて、[[牧野省三]]が『[[本能寺合戦]]』を監督したのが「日本初の時代劇映画」とされるが、同時に剣戟映画の最初でもある。日本においては、[[時代劇]]のサブジャンルであり、時代劇が[[明治維新]]以前の世界を描くジャンル<ref>[http://kotobank.jp/word/時代劇映画 時代劇映画]、[[百科事典マイペディア]]、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>である以上、日本の剣映画も明治維新以前の世界を舞台にした。[[1920年代]]以降は、[[新国劇]]の開発した「[[剣劇]]」の影響も大きかった<ref name="コトバンク 剣劇">[http://kotobank.jp/word/剣劇 剣劇]、百科事典マイペディア、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>。⇒ [[#日本]]
日本においては、1908年(明治41年)に、京都の興行会社[[横田商会]]に依頼されて、[[牧野省三]]が『[[本能寺合戦]]』を監督したのが「日本初の時代劇映画」とされるが、同時に剣戟映画の最初でもある。日本においては、[[時代劇]]のサブジャンルであり、時代劇が[[明治維新]]以前の世界を描くジャンル<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8A%87%E6%98%A0%E7%94%BB-73706 時代劇映画]、[[百科事典マイペディア]]、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>である以上、日本の剣映画も明治維新以前の世界を舞台にした。[[1920年代]]以降は、[[新国劇]]の開発した「[[剣劇]]」の影響も大きかった<ref name="コトバンク 剣劇">[https://kotobank.jp/word/%E5%89%A3%E5%8A%87-60405 剣劇]、百科事典マイペディア、[[コトバンク]]、2009年10月25日閲覧。</ref>。⇒ [[#日本]]


ハリウッドでも、日本でも、[[1960年代]]に入ると剣戟映画は廃れるが、[[2000年代]]以降、『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち]]』『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』等、剣戟映画の量産された時期とは質も量も異なるが、点としての大ヒット作生まれている。
ハリウッドでも、日本でも、[[1960年代]]に入ると剣戟専門の映画は廃れるが、そのスタイルは[[スターウォーズ]]『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち]]』、アニメでは『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』等、[[アクション映画]]内要素として引き継がれている。


== アメリカ合衆国 ==
== アメリカ合衆国 ==
[[File:Douglas fairbanks riding.png|thumb|200px|right|<small>撮影中の[[ダグラス・フェアバンクス]]、1920年</small>]]
[[File:Douglas fairbanks riding.png|thumb|200px|right|撮影中の[[ダグラス・フェアバンクス]]、1920年]]
アメリカ合衆国における剣映画は、[[:en:Swashbuckler film]]と呼ばれ、[[アクション映画]]、[[冒険活劇]]の一ジャンルである。剣戟と冒険ヒーロー的なキャラクターに特徴があり、[[西ヨーロッパ]]の[[ルネサンス]]の時代を舞台にしたセットのなかで、その時代に相応しい華麗な衣裳によるコスチュームプレイが行なわれる。剣戟映画における倫理観は明快で、主人公は明快に英雄的であり、悪役ですら[[対戦儀礼]]を厳守する。「[[囚われの姫君]]」と「[[恋愛映画]]」の要素を多く含む。
アメリカ合衆国における剣映画は、[[w:Swashbuckler film]]と呼ばれ、[[アクション映画]]、[[冒険活劇]]の一ジャンルである。剣戟と冒険ヒーロー的なキャラクターに特徴があり、[[西ヨーロッパ]]の[[ルネサンス]]を舞台にしたセットのなかで、その時代に相応しい華麗な衣裳によるコスチュームプレイが行なわれる。剣戟映画における倫理観は明快で、主人公は明快に英雄的であり、悪役ですら[[対戦儀礼]]を厳守する。「[[囚われの姫君]]」と「[[恋愛映画]]」の要素を多く含む。


映画の出現の当初から、[[サイレント映画]]の時代は、剣戟で満たされていた。もっとも知られる剣映画は、[[ダグラス・フェアバンクス]]の主演映画であり、フェアバンクスの映画が本ジャンルを定義した。ストーリーは、フランスの小説家・大デュマこと[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]とイギリスの小説家・[[ラファエル・サバチニ]]の小説に代表される大時代的なロマン小説を原作とし、また範とした。結末に少なくとも、意気揚々としたスリリングな音楽が付されることが、剣映画の作劇の方程式の重要な要素であった<ref name="foster">[http://www.fosteronfilm.com/important/swash.htm Foster on Film] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>。
映画の出現の当初から、[[サイレント映画]]の時代は、剣戟で満たされていた。もっとも知られる剣映画は、[[ダグラス・フェアバンクス]]の主演映画であり、フェアバンクスの映画が本ジャンルを定義した。ストーリーは、フランスの小説家・大デュマこと[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]とイギリスの小説家・[[ラファエル・サバチニ]]の小説に代表される大時代的なロマン小説を原作とし、また範とした。結末に少なくとも、意気揚々としたスリリングな音楽が付されることが、剣映画の作劇の方程式の重要な要素であった<ref name="foster">[http://www.fosteronfilm.com/important/swash.htm Foster on Film] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>。


映画には、3つの時代に大別する。
映画には、3つの時代に大別する。
# 1920年 - 1929年(大正9年 - 昭和4年) : ダグラス・フェアバンクスの時代
# 1920年 - 1929年(大正9年 - 昭和4年) : ダグラス・フェアバンクスの時代
# 1935年 - 1941年(昭和10年 - 昭和16年) : [[エロール・フリン]]の時代
# 1935年 - 1941年(昭和10年 - 昭和16年) : [[エロール・フリン]]の時代
# 1950年代 (昭和25年 - 昭和34年) : 『[[黒騎士 (映画)|黒騎士]]』 ''[[:en:Ivanhoe (1952 film)|Ivanhoe]]''、『[[バラントレイ卿]]』 ''[[:en:The Master of Ballantrae (film)|The Master of Ballantrae]]''、イギリスの人気[[テレビ映画]]『[[ロビン・フッドの冒険 (テレビ映画)|ロビン・フッドの冒険]]』 ''[[:en:The Adventures of Robin Hood (TV series)|The Adventures of Robin Hood]]''.<ref>[http://www.screenonline.org.uk/tv/id/1136123/index.html Screen Online] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>の時代
# 1950年代 (昭和25年 - 昭和34年) : 『[[黒騎士 (映画)|黒騎士]]』 ''[[w:Ivanhoe (1952 film)|Ivanhoe]]''、『[[バラントレイ卿]]』 ''[[w:The Master of Ballantrae (film)|The Master of Ballantrae]]''、イギリスの人気[[テレビ映画]]『[[ロビン・フッドの冒険 (テレビ映画)|ロビン・フッドの冒険]]』 ''[[w:The Adventures of Robin Hood (TV series)|The Adventures of Robin Hood]]''.<ref>[http://www.screenonline.org.uk/tv/id/1136123/index.html Screen Online] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>の時代


=== 主人公の造型 ===
=== 主人公の造型 ===
{{main|:en:Swashbuckler}}
{{main|w:Swashbuckler}}
映画の主人公を指す ''Swashbuckler'' の語は、剣 ''sword'' と ''buckler'' とを帯びた荒くれの闘士に由来する語である<ref>Embleton, Gerry. The Medieval Soldier. Windrow and Green, London. ISBN 185915036</ref>。''Swashbuckler'' は、空威張りする向こうみずな男であるが、自らのスキル不足を騒音と自慢と大声でカヴァーする貧困層の剣士であることを示している。小説、そしてハリウッドは、この語の指し示す意味内容を変容させ、大口をたたくがそれはいい自慢であり、物語の主軸となるヒーローを意味するものとした<ref name="foster"/>。
映画の主人公を指す ''Swashbuckler'' の語は、剣 ''sword'' と小楯 ''buckler'' とを帯びた荒くれの闘士に由来する語である<ref>Embleton, Gerry. The Medieval Soldier. Windrow and Green, London. ISBN 1859150365</ref>。''Swashbuckler'' は、空威張りする向こうみずな男であるが、自らのスキル不足を騒音と自慢と大声でカヴァーする貧困層の剣士であることを示している。小説、そしてハリウッドは、この語の指し示す意味内容を変容させ、大口をたたくがそれはいい自慢であり、物語の主軸となるヒーローを意味するものとした<ref name="foster"/>。


=== フェンシング ===
=== フェンシング ===
{{main|フェンシング}}
{{main|フェンシング}}
フェンシングは本ジャンルのつねに支柱であり、劇的な決闘がストーリーラインの旋回軸であった。剣が明らかにされている映画は、剣戟映画をおいてほかにはない。剣術指導で有名なのは、ヘンリー・ユーテンホーフ、フレッド・カヴェンズ、ジャン・ヘレマンス、ラルフ・ファルクナーらがいる。彼らはその後もスポーツとしてのフェンシング界で長いキャリアをもった<ref>[http://www.classicalfencing.com/articles/swash.php Classical Fencing] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>。
フェンシングは本ジャンルのつねに支柱であり、劇的な決闘がストーリーラインの旋回軸であった。剣が明らかにされている映画は、剣戟映画をおいてほかにはない。剣術指導で有名なのは、ヘンリー・ユーテンホーフ、フレッド・カヴェンズ、ジャン・ヘレマンス、ラルフ・ファルクナーらがいる。彼らはその後もスポーツとしてのフェンシング界で長いキャリアをもった<ref>[http://www.classicalfencing.com/articles/swash.php Classical Fencing] {{en icon}}, 2009年10月25日閲覧。</ref>。


=== 剣戟とテレビ ===
=== 剣戟とテレビ ===
前出のイギリスのテレビ映画シリーズ『ロビン・フッドの冒険』は、1959年(昭和34年)に全143話が放映開始され、イギリスとアメリカ合衆国の両国で、特筆すべき成功となった。本ジャンルのテレビ映画は、イギリスで量産され、米国でも同様に享受された。ほかにも1956年 - 1957年に放映された『[[バカニアーズ]]』 ''[[:en:The Buccaneers (TV series)|The Buccaneers]]''、同じく『[[サー・ランスロットの冒険]]』''[[:en:The Adventures of Sir Lancelot]]''、1956年の『[[紅はこべ]]』([[ITV (イギリス)|ITV]])、同年の[[インコーポレイテッド・テレヴィジョン・カンパニー|ITC]]版『[[モンテ・クリスト伯]]』 ''[[:en:The Count of Monte Cristo (TV series)|The Count of Monte Cristo]]'' (ITV)、1957年の[[ジョージ・キング]]監督の『[[華麗なる騎士]]』 ''[[:en:Gay Cavalier|Gay Cavalier]]'' (ITV)、1993年 - 2008年の長寿番組『[[炎の英雄 シャープ]]』 ''[[:en:Sharpe (TV series)|Sharpe]]'' (ITV)などである。

=== おもな作品 ===
* 『[[奇傑ゾロ]]』 ''[[:en:The Mark of Zorro (1920 film)|The Mark of Zorro]]'' : 監督[[フレッド・ニブロ]]、1920年
* 『[[三銃士]]』 ''[[:en:The Three Musketeers (1921 film)|The Three Musketeers]]'' : 監督フレッド・ニブロ、1921年
* 『[[ロビン・フッド]]』 ''[[:en:Robin Hood (1922 film)|Robin Hood]]'' : 監督[[アラン・ドワン]]、1922年
* 『[[バクダッドの盗賊]]』 ''[[:en:The Thief of Bagdad (1924 film)|The Thief of Bagdad]]'' : 監督[[ラオール・ウォルシュ]]、1924年
* 『[[ダグラスの海賊]]』 ''[[:en:The Black Pirate]]'' : 監督[[アルバート・パーカー]]、1926年
* 『[[巌窟王]]』 ''[[:en:The Count of Monte Cristo (1934 film)|The Count of Monte Cristo]]'' : 監督[[ローランド・V・リー]]、1934年
* 『[[紅はこべ]]』 ''[[:en:The Scarlet Pimpernel (1934 film)|The Scarlet Pimpernel]]'' : 監督[[ハロルド・ヤング]]、1934年
* 『[[海賊ブラッド]]』 ''[[:en:Captain Blood (1935 film)|Captain Blood]]'' : 監督[[マイケル・カーティス]]、1935年
* 『[[ゼンダ城の虜]]』 ''[[:en:The Prisoner of Zenda (1937 film)|The Prisoner of Zenda]]'' : 監督[[ジョン・クロムウェル]] / [[W・S・ヴァン・ダイク]]、1937年
* 『[[ロビンフッドの冒険]]』 ''[[:en:The Adventures of Robin Hood (film)|The Adventures of Robin Hood]]'' : 監督マイケル・カーティス / [[ウィリアム・キーリー]]、1938年
* 『[[シー・ホーク]]』 ''[[:en:The Sea Hawk (1940 film)|The Sea Hawk]]'' : 監督マイケル・カーティス、1940年
* 『[[快傑ゾロ (1940年の映画)|快傑ゾロ]]』 ''[[:en:The Mark of Zorro (1940 film)|The Mark of Zorro]]'' : 監督[[ルーベン・マムーリアン]]、1940年
* 『[[海の征服者]]』 ''[[:en:The Black Swan (film)|The Black Swan]]'' : 監督[[ヘンリー・キング]]、1942年
* 『[[踊る海賊]]』 ''[[:en:The Pirate]]'' : 監督[[ヴィンセント・ミネリ]]、1948年
[[File:Tyrone Power Maureen O'Hara Black Swan 8.jpg|thumb|right|180px|『[[海の征服者]]』、1942年]]
[[File:Tyrone Power Maureen O'Hara Black Swan 8.jpg|thumb|right|180px|『[[海の征服者]]』、1942年]]
前出のイギリスのテレビ映画シリーズ『ロビン・フッドの冒険』は、1959年(昭和34年)に全143話が放映開始され、イギリスとアメリカ合衆国の両国で、特筆すべき成功となった。本ジャンルのテレビ映画は、イギリスで量産され、米国でも同様に享受された。ほかにも1956年 - 1957年に放映された『[[バカニアーズ]]』 ''[[w:The Buccaneers (TV series)|The Buccaneers]]''、同じく『[[サー・ランスロットの冒険]]』''[[w:The Adventures of Sir Lancelot]]''、1956年の『[[紅はこべ]]』([[ITV (イギリス)|ITV]])、同年の[[インコーポレイテッド・テレヴィジョン・カンパニー|ITC]]版『[[モンテ・クリスト伯]]』 ''[[w:The Count of Monte Cristo (TV series)|The Count of Monte Cristo]]'' (ITV)、1957年の[[ジョージ・キング]]監督の『[[華麗なる騎士]]』 ''[[w:Gay Cavalier|Gay Cavalier]]'' (ITV)、1993年 - 2008年の長寿番組『[[炎の英雄 シャープ]]』 ''[[w:Sharpe (TV series)|Sharpe]]'' (ITV)などである。
* 『[[三銃士 (1948年の映画)|三銃士]]』 ''[[:en:The Three Musketeers (1948 film)|The Three Musketeers]]'' : 監督[[ジョージ・シドニー]]、1948年

* 『[[シラノ・ド・ベルジュラック#映像化|シラノ・ド・ベルジュラック]]』 ''[[:en:Cyrano de Bergerac (1950 film)|Cyrano de Bergerac]]'' : 監督[[マイケル・ゴードン]]、1950年
=== おもな作品 (アメリカ) ===
* 『[[血闘 (スカラムーシュ)]]』 ''[[:en:Scaramouche (1952 film)|Scaramouche]]'' : 監督[[ジョージ・シドニー]]、1952年
{{columns-list|2|
* 『[[黄金の腕]]』 ''[[:en:The Golden Blade (1952 film)|The Golden Blade]]'' : 監督[[ネーザン・ジュラン]]、1952年
* [[奇傑ゾロ]] (1920年)
* 『[[黒騎士 (映画)|黒騎士]]』 ''[[:en:Ivanhoe (1952 film)|Ivanhoe]]'' : 監督[[リチャード・ソープ]]、1952年
* [[三銃士]] (1921年)
* 『[[バラントレイ卿]]』 ''[[:en:The Master of Ballantrae (film)|The Master of Ballantrae]]'' : 監督[[ウィリアム・ケイリー]]、1953年
* [[ロビン・フッド]] (1922年)
* 『[[三銃士 (1973年の映画)|三銃士]]』 ''[[:en:The Three Musketeers (1973 film)|The Three Musketeers]]'' : 監督[[リチャード・レスター]]、1973年
* [[四銃士]] ''[[:en:The Four Musketeers (film)|The Four Musketeers]]'' : 監督リチャード・レスター、1974
* [[バグダッドの盗賊]] ''[[w:The Thief of Bagdad (1924 film)|The Thief of Bagdad]]'' (1924)
* [[ダグラスの海賊]] ''[[w:The Black Pirate]]'' (1926年)
* 『[[プリンセス・ブライド・ストーリー]]』 ''[[:en:The Princess Bride (film)|The Princess Bride]]'' : 監督[[ロブ・ライナー]]、1987年
* [[巌窟王 (1934年の映画)|巌窟王]] (1934年)
* 『[[マスク・オブ・ゾロ]]』 ''[[:en:The Mask of Zorro]]'' : 監督[[マーティン・キャンベル]]、1998年
* [[紅はこべ]] (1934年)
* 『[[三銃士 (1993年の映画)|三銃士]]』 ''[[:en:The Three Musketeers (1993 film)|The Three Musketeers]]'' : 監督[[スティーヴン・ヘレク]]、1993年
* [[愛と復讐の騎士]] ''[[:en:Le Bossu (1997 film)|Le Bossu]]'' : 監督[[フィリップ・ド・ブロカ]]、1997
* [[海賊ブラッド]] [[w:Captain Blood (1935 film)|Captain Blood]]'' (1935)
* [[ゼンダ城の虜]] (1937年)
* 『[[仮面の男]]』 ''[[:en:The Man in the Iron Mask (1998 film)|The Man in the Iron Mask]]'' : 監督[[ランダル・ウォレス]]、1998年
* [[ロビンフッドの冒険]] (1938年)
* 『[[モンテ・クリスト伯 (映画)|モンテ・クリスト伯]]』 ''[[:en:The Count of Monte Cristo (2002 film)|The Count of Monte Cristo]]'' : 監督[[ケヴィン・レイノルズ]]、2002年
* [[シー・ホーク]] ''[[w:The Sea Hawk (1940 film)|The Sea Hawk]]'' (1940年)
* 『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち]]』 : 監督[[ゴア・ヴァービンスキー]]、2003年
* [[快傑ゾロ (1940年の映画)|快傑ゾロ]] (1940年)
* 『[[レジェンド・オブ・ゾロ]]』 ''[[:en:The Legend of Zorro|The Legend of Zorro]]'' : 監督マーティン・キャンベル、2005年
* [[海の征服者]] ''[[w:The Black Swan (film)|The Black Swan]]'' (1942年)
* 『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト]]』 : 監督ゴア・ヴァービンスキー、2006年
* [[踊る海賊]] (1948年)
* 『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド]]』 : 監督ゴア・ヴァービンスキー、2007年
* [[三銃士 (1948年の映画)|三銃士]] ''[[w:The Three Musketeers (1948 film)|The Three Musketeers]]'' (1948年)
* 『[[プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂]]』 ''[[:en:Prince of Persia: The Sands of Time (film)|Prince of Persia: The Sands of Time]]'' : 監督[[マイク・ニューウェル]]、2010年
* [[シラノ・ド・ベルジュラック (1950年の映画)|シラノ・ド・ベルジュラック]] (1950年)
* [[血闘 (スカラムーシュ)]] ''[[w:Scaramouche (1952 film)|Scaramouche]]'' (1952年)
* [[王者の剣]] ''[[w:The Golden Blade (1952 film)|The Golden Blade]]'' (1952年)
* [[黒騎士 (映画)|黒騎士]] ''[[w:Ivanhoe (1952 film)|Ivanhoe]]'' (1952年)
* [[バラントレイ卿]] ''[[w:The Master of Ballantrae (film)|The Master of Ballantrae]]'' (1953年)
* [[三銃士 (1973年の映画)|三銃士]] (1973年)
* [[四銃士]] (1974年)
* [[武士道ブレード]] (1981年)
* [[プリンセス・ブライド・ストーリー]] (1987年)
* [[三銃士 (1993年の映画)|三銃士]] (1993年)
* [[愛と復讐の騎士]] ''[[w:Le Bossu (1997 film)|Le Bossu]]'' (1997年)
* [[マスク・オブ・ゾロ]] (1998年)
* [[仮面の男]] (1998年)
* [[モンテ・クリスト伯 (映画)|モンテ・クリスト伯]] (2002年)
* [[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち]] (2003年)
* [[レジェンド・オブ・ゾロ]] (2005年)
* [[パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト]] (2006年)
* [[パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド]] (2007年)
* [[プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂]] (2010年)
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=== おもな俳優・女優 ===
=== おもな俳優・女優 (アメリカ) ===
[[ファイル:Errol Flynn1.jpg|thumb|150px|right|[[エロール・フリン]]]]
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{{columns-list|2|
[[ファイル:Errol Flynn1.jpg|thumb|150px|right|<small>[[エロール・フリン]]。</small>]]
* [[ショーン・ビーン]]
* [[ショーン・ビーン]]
* [[オーランド・ブルーム]]
* [[ロナルド・コールマン]]
* [[ロナルド・コールマン]]
* [[オリヴィア・デ・ハヴィランド]]
* [[オリヴィア・デ・ハヴィランド]]
78行目: 82行目:
* [[ダグラス・フェアバンクス・ジュニア]]
* [[ダグラス・フェアバンクス・ジュニア]]
* [[エロール・フリン]]
* [[エロール・フリン]]
* [[スチュート・グレンジャー]] [[:en:Stewart Granger]]
* [[スチュート・グレンジャー]]
* [[リチャード・グリーン]] [[:en:Richard Greene]]
* [[リチャード・グリーン]]
* [[ルイス・ヘイワード]] [[:en:Louis Hayward]]
* [[ルイス・ヘイワード]] [[w:Louis Hayward]]
* [[カーウィン・マシューズ]] [[:en:Kerwin Matthews]]
* [[キーラ・ナイトレイ]]
* [[カーウィン・マシューズ]] [[w:Kerwin Matthews]]
* [[モーリン・オハラ]]
* [[モーリン・オハラ]]
* [[タイロン・パワー]]
* [[タイロン・パワー]]
* [[ベイジル・ラスボーン]]
* [[ベイジル・ラスボーン]]
* [[スティーヴ・リーヴス]] [[:en:Steve Reeves]]
* [[スティーヴ・リーヴス]]
* [[ロバート・テイラー (俳優)|ロバート・テイラー]]
* [[ロバート・テイラー (俳優)|ロバート・テイラー]]
* [[リチャード・トッド]]
* [[リチャード・トッド]]
* [[コーネル・ワイルド]]
* [[コーネル・ワイルド]]
* [[ガイ・ウィリアムズ]] [[:en:Guy Williams]]
* [[ガイ・ウィリアムズ]] [[w:Guy Williams]]
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== フランス ==
== フランス ==
フランスにおける剣映画は、[[1950年代]]、[[1960年代]]に黄金時代を迎えた。[[ジェラール・フィリップ]]が、[[1952年]](昭和27年)の[[クリスチャン=ジャック]]監督作『[[花咲ける騎士道]]』でその幕を開いた。[[ジョルジュ・マルシャル]]がそれに続き、[[アンドレ・ユヌベル]]監督の『[[三銃士]]』(1953年)、[[フェルナンド・セルチオ]]監督の『[[ブラジュロンヌ子爵]]』(1954年)等が生まれた。
フランスにおける剣映画は、[[1950年代]]、[[1960年代]]に黄金時代を迎えた。[[ジェラール・フィリップ]]が、[[1952年]](昭和27年)の[[クリスチャン=ジャック]]監督作『[[花咲ける騎士道]]』でその幕を開いた。[[ジョルジュ・マルシャル]]がそれに続き、[[アンドレ・ユヌベル]]監督の『[[三銃士]]』(1953年)、[[フェルナンド・セルチオ]]監督の『[[ブラジュロンヌ子爵]]』(1954年)等が生まれた。


[[ジャン・マレー]]が主役を演じ、[[ジョルジュ・ランパン]]監督の『[[城が落ちない]]』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督の『[[城塞の決闘]]』(1959年)と『[[快傑キャピタン]]』(1960年)、[[ピエール・ガスパール=ユイ]]監督の『[[キャプテン・フラカスの華麗な冒険]]』(1961年)、アンドレ・ユヌベル監督の『[[狼の奇蹟]]』(1961年)、[[アンリ・ドコワン]]監督の『[[鉄仮面]]』(1962年)に主演した。『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』では助演俳優だった[[ジェラール・バレー]]は、[[ベルナール・ボルドリー]]監督の『[[三銃士]]』(1961年)、『[[騎士パルダヤン]]』(1962年)、『[[剣豪パルダヤンの逆襲]]』(1964年)で主役となり、[[アントニオ・イサシ=イサスメンディ]]監督の『[[フォンテンブローの決戦]]』(1964年)にも主演した。
[[ジャン・マレー]]が主役を演じ、[[ジョルジュ・ランパン]]監督の『[[城が落ちない]]』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督の『[[城塞の決闘]]』(1959年)と『[[快傑キャピタン]]』(1960年)、[[ピエール・ガスパール=ユイ]]監督の『[[キャプテン・フラカスの華麗な冒険]]』(1961年)、アンドレ・ユヌベル監督の『[[狼の奇蹟]]』(1961年)、[[アンリ・ドコワン]]監督の『[[鉄仮面]]』(1962年)に主演した。『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』では助演俳優だった[[ジェラール・バレー]]は、[[ベルナール・ボルドリー]]監督の『[[三銃士]]』(1961年)、『[[騎士パルダヤン]]』(1962年)、『[[剣豪パルダヤンの逆襲]]』(1964年)で主役となり、[[アントニオ・イサシ=イサスメンディ]]監督の『[[フォンテンブローの決戦]]』(1964年)にも主演した。


本ジャンルには、[[フランソワ・ペリエ]]と[[ブールヴィル]]が主演したアンドレ・ユヌベル監督の『[[弟ルセル]]』(1954年)のような、ユーモアに満ちたヴァリエーションが存在する。あるいは、[[フィリップ・ド・ブロカ]]監督の『[[大盗賊]]』(1962年)や[[ジャン=ポール・ル・シャノワ]]監督の『[[盗賊紳士マンドラン]]』(1962年)のような、歴史劇的なヴァリエーションも存在する。[[ミシェル・メルシェ]]主演によるベルナール・ボルドリー監督の『[[アンジェリク はだしの女侯爵]]』(1964年)のような、センチメンタルなサーガも存在する。
本ジャンルには、[[フランソワ・ペリエ]]と[[ブールヴィル]]が主演したアンドレ・ユヌベル監督の『[[弟ルセル]]』(1954年)のような、ユーモアに満ちたヴァリエーションが存在する。あるいは、[[フィリップ・ド・ブロカ]]監督の『[[大盗賊]]』(1962年)や[[ジャン=ポール・ル・シャノワ]]監督の『[[盗賊紳士マンドラン]]』(1962年)のような、歴史劇的なヴァリエーションも存在する。[[ミシェル・メルシェ (俳優)|ミシェル・メルシェ]]主演によるベルナール・ボルドリー監督の『[[アンジェリク はだしの女侯爵]]』(1964年)のような、センチメンタルなサーガも存在する。


さらに30年後、剣戟映画は新しい流れをつかんだ。かつて『[[コニャックの男]]』(1971年)を監督した[[ジャン=ポール・ラプノー]]監督が、[[ジャン・ジオノ]]の小説『屋根の上の軽騎兵』と[[エドモン・ロスタン]]の戯曲『[[シラノ・ド・ベルジュラック (戯曲)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』を翻案したのがそのきっかけで、[[ジェラール・ドパルデュー]]が主演した『[[シラノ・ド・ベルジュラック (1990年の映画)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』(1990年)、[[オリヴィエ・マルティネス]]が主演した『[[プロヴァンスの恋]]』(1995年)であった。[[ベルトラン・タヴェルニエ]]が監督し、[[ソフィー・マルソー]]が主演した『[[ソフィー・マルソーの三銃士]]』(1994年)といった女性版の剣戟映画もこの時期に生まれた。
さらに30年後、剣戟映画は新しい流れをつかんだ。かつて『[[コニャックの男]]』(1971年)を監督した[[ジャン=ポール・ラプノー]]監督が、[[ジャン・ジオノ]]の小説『屋根の上の軽騎兵』と[[エドモン・ロスタン]]の戯曲『[[シラノ・ド・ベルジュラック (戯曲)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』を翻案したのがそのきっかけで、[[ジェラール・ドパルデュー]]が主演した『[[シラノ・ド・ベルジュラック (1990年の映画)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』(1990年)、[[オリヴィエ・マルティネス]]が主演した『[[プロヴァンスの恋]]』(1995年)であった。[[ベルトラン・タヴェルニエ]]が監督し、[[ソフィー・マルソー]]が主演した『[[ソフィー・マルソーの三銃士]]』(1994年)といった女性版の剣戟映画もこの時期に生まれた。
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上記の動きと対照的に、[[ガブリエル・アギヨン]]監督の『[[ル・リベルタン]]』(2000年)や[[ベルニー・ボンヴォワザン]]監督の『[[ブランシュ (映画)|ブランシュ]]』(2002年)といったコミカルな剣戟映画も生まれたが、さほど大衆に受け入れられることはなかった。
上記の動きと対照的に、[[ガブリエル・アギヨン]]監督の『[[ル・リベルタン]]』(2000年)や[[ベルニー・ボンヴォワザン]]監督の『[[ブランシュ (映画)|ブランシュ]]』(2002年)といったコミカルな剣戟映画も生まれたが、さほど大衆に受け入れられることはなかった。


=== おもな作品 ===
=== おもな作品 (フランス) ===
{{columns-list|2|
* 『[[花咲ける騎士道]]』 ''[[:en:Fanfan la Tulipe|Fanfan la Tulipe]]'' : 監督[[クリスチャン=ジャック]]、1952年
* [[花咲ける騎士道]] (1952年)
* 『[[三銃士]]』 ''[[:fr:Les Trois Mousquetaires (1953)|Les Trois Mousquetaires]]'' : 監督[[アンドレ・ユヌベル]]、1953年
* [[三銃士]] (1953年)
* 『[[ブラジュロンヌ子爵]]』 ''[[:fr:Le Vicomte de Bragelonne (film, 1954)|Le Vicomte de Bragelonne]]'' : 監督[[フェルナンド・セルチオ]]、1954年
* [[ブラジュロンヌ子爵]] (1954年)
* 『[[城が落ちない]]』 ''[[:fr:La Tour, prends garde !|La Tour, prends garde !]]'' : 監督[[ジョルジュ・ランパン]]、1957年)、
* [[城塞の決闘]] ''[[:fr:Le Bossu (film, 1959)|Le Bossu]]'' : 監督アンドレ・ユヌベル、1959
* [[弟ルセル]] ''[[:fr:Cadet Rousselle (film)|Cadet Rousselle]]'' (1954)
* [[城が落ちない]] ''[[:fr:La Tour, prends garde !|La Tour, prends garde !]]'' (1957年)
* 『[[快傑キャピタン]]』 ''[[:fr:Le Capitan (film, 1960)|Le Capitan]]'' : 監督アンドレ・ユヌベル、1960年
* [[キャプテン・フラカス華麗な冒険]] ''[[:fr:Le Capitaine Fracasse (film, 1961)|Le Capitaine Fracasse]]'' : 監督[[ピエール・ガスパール=ユイ]]、1961
* [[城塞決闘]] ''[[:fr:Le Bossu (film, 1959)|Le Bossu]]'' (1959)
* [[狼の奇蹟]] ''[[:fr:Le Miracle des loups (film, 1961)|Le Miracle des loups]]'' : 監督アンドレ・ユヌベル、1961
* [[快傑キャピタン]] ''[[:fr:Le Capitan (film, 1960)|Le Capitan]]'' (1960)
* [[キャプテン・フラカスの華麗な冒険]] ''[[:fr:Le Capitaine Fracasse (film, 1961)|Le Capitaine Fracasse]]'' (1961年)
* 『[[鉄仮面]]』 ''[[:en:Le Masque de fer|Le Masque de fer]]'' : 監督[[アンリ・ドコワン]]、1962年
* [[狼の奇蹟]] ''[[:fr:Le Miracle des loups (film, 1961)|Le Miracle des loups]]'' (1961年)
* [[鉄仮面]] (1962年)
* [[三銃士]] (1961年)
* [[騎士パルダヤン]] ''[[:fr:Le Chevalier de Pardaillan|Le Chevalier de Pardaillan]]'' (1962年)
* [[大盗賊]] (1962年)
* [[盗賊紳士マンドラン]] ''[[:fr:Mandrin, bandit gentilhomme|Mandrin, bandit gentilhomme]]'' (1962年)
* [[剣豪パルダヤンの逆襲]] ''[[:fr:Hardi ! Pardaillan]]'' (1964年)
* [[フォンテンブローの決戦]] ''La Máscara de Scaramouche'' (1964年)
* [[アンジェリク はだしの女侯爵]] ''[[:en:Angélique, Marquise des Anges|Angélique, Marquise des Anges]]'' (1964年)
* [[コニャックの男]] ''[[:en:The Married Couple of the Year Two|Les Mariés de l'an II]]'' (1971年)
* [[シラノ・ド・ベルジュラック (1990年の映画)|シラノ・ド・ベルジュラック]] ''[[:en:Cyrano de Bergerac (1990 film)|Cyrano de Bergerac]]'' (1990年)
* [[ソフィー・マルソーの三銃士]] (1994年)
* [[プロヴァンスの恋]] ''[[:en:The Horseman on the Roof|Le Hussard sur le toit]]'' (1995年)
* [[ル・リベルタン]] ''[[:fr:Le Libertin (film)|Le Libertin]]'' (2000年)
* [[ブランシュ (映画)|ブランシュ]] ''[[:fr:Blanche (film, 2002)|Blanche]]'' (2002年)
* [[花咲ける騎士道#リメイク|花咲ける騎士道]] (2003年)
}}


=== おもな俳優・女優 (フランス) ===
* 『[[三銃士]]』 ''[[:fr:Les Trois Mousquetaires (1961)|Les Trois Mousquetaires]]'' : 監督[[ベルナール・ボルドリー]]、1961年)、
{{columns-list|2|
* 『[[騎士パルダヤン]]』 ''[[:fr:Le Chevalier de Pardaillan|Le Chevalier de Pardaillan]]'' : 監督ベルナール・ボルドリー、1962年
* 『[[剣豪パルダヤンの逆襲]]』 ''[[:fr:Hardi ! Pardaillan]]'' : 監督ベルナール・ボルドリー、1964年
* 『[[フォンテンブローの決戦]]』 ''La Máscara de Scaramouche'' : 監督[[アントニオ・イサシ=イサスメンディ]]、1964年

* 『[[弟ルセル]]』 ''[[:fr:Cadet Rousselle (film)|Cadet Rousselle]]'' : 監督アンドレ・ユヌベル、1954年
* 『[[大盗賊]]』 ''[[:en:Cartouche (film)|Cartouche]]'' : 監督[[フィリップ・ド・ブロカ]]、1962年
* 『[[盗賊紳士マンドラン]]』 ''[[:fr:Mandrin, bandit gentilhomme|Mandrin, bandit gentilhomme]]'' : 監督[[ジャン=ポール・ル・シャノワ]]、1962年
* 『[[アンジェリク はだしの女侯爵]]』''[[:en:Angélique, Marquise des Anges|Angélique, Marquise des Anges]]'' : 監督ベルナール・ボルドリー、1964年

* 『[[コニャックの男]]』 ''[[:en:The Married Couple of the Year Two|Les Mariés de l'an II]]'' : 監督[[ジャン=ポール・ラプノー]]、1971年
* 『[[シラノ・ド・ベルジュラック (1990年の映画)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』 ''[[:en:Cyrano de Bergerac (1990 film)|Cyrano de Bergerac]]'' : 監督ジャン=ポール・ラプノー、1990年)、
* 『[[プロヴァンスの恋]]』 ''[[:en:The Horseman on the Roof|Le Hussard sur le toit]]'' : 監督ジャン=ポール・ラプノー、1995年)であった。
* 『[[ソフィー・マルソーの三銃士]]』 ''[[:fr:La Fille de d'Artagnan|La Fille de d'Artagnan]]'' : 監督[[ベルトラン・タヴェルニエ]]、1994年

* 『[[ル・リベルタン]]』 ''[[:fr:Le Libertin (film)|Le Libertin]]'' : 監督[[ガブリエル・アギヨン]]、2000年
* 『[[ブランシュ (映画)|ブランシュ]]』 ''[[:fr:Blanche (film, 2002)|Blanche]]'' : 監督[[ベルニー・ボンヴォワザン]]、2002年

=== おもな俳優・女優 ===
* [[ジェラール・フィリップ]]
* [[ジェラール・フィリップ]]
* [[ジョルジュ・マルシャル]] [[:en:Georges Marchal]]
* [[ジョルジュ・マルシャル]] [[:en:Georges Marchal]]
* [[ジャン・マレー]]
* [[ジャン・マレー]]
* [[ジェラール・バレー]] [[:fr:Gérard Barray]]
* [[ジェラール・バレー]] [[:fr:Gérard Barray]]
* [[フランソワ・ペリエ]] [[:en:François Périer]]
* [[フランソワ・ペリエ]] [[:en:François Périer]]
* [[ブールヴィル]]
* [[ブールヴィル]]
* [[ミシェル・メルシェ]] ([[:en:Michèle Mercier]]
* [[ミシェル・メルシェ (俳優)|ミシェル・メルシェ]]
* [[ジェラール・ドパルデュー]]
* [[ジェラール・ドパルデュー]]
* [[オリヴィエ・マルティネス]]
* [[オリヴィエ・マルティネス]]
* [[ソフィー・マルソー]]
* [[ソフィー・マルソー]]
}}


== 日本 ==
== 日本 ==
日本における剣戟映画の始まりは、時代劇映画の始まりと同時、1908年(明治41年)[[9月17日]]に公開された[[中村福之助]]・[[嵐璃徳]]主演のサイレント映画『本能寺合戦』である。同作を製作・興行した京都の横田商会は、当時まだ撮影所をもっておらず、寺の境内で嵐扮する[[森蘭丸]]の剣戟シーンを撮影している<ref>『日本映画発達史 I 活動写真時代』、[[田中純一郎]]、[[中公文庫]]、1975年、p.146.</ref>。牧野は、1910年(明治43年)には[[尾上松之助]]主演の『[[忠臣蔵]]』を製作しているが、松之助は、横田商会が合併して日活になり、1927年(昭和2年)までの間に1,000本近い時代劇映画に主演、その多くが剣戟映画であった。
日本における剣戟映画は、俗に「ちゃんばら映画」とも呼ばれる。その始まりは、時代劇映画の始まりと同時、1908年(明治41年)[[9月17日]]に公開された[[中村福之助]]・[[嵐璃徳]]主演のサイレント映画『本能寺合戦』である。同作を製作・興行した京都の横田商会は、当時まだ撮影所をもっておらず、寺の境内で嵐扮する[[森成利|森蘭丸]]の剣戟シーンを撮影している<ref>『日本映画発達史 I 活動写真時代』、[[田中純一郎]]、[[中公文庫]]、1975年、p.146.</ref>。牧野は、1910年(明治43年)には[[尾上松之助]]主演の『[[忠臣蔵]]』を製作しているが、松之助は、横田商会が合併して日活になり、1927年(昭和2年)までの間に1,000本近い時代劇映画に主演、その多くが剣戟映画であった。


1921年(大正10年)に発足させた[[牧野教育映画製作所]]で製作、同年に牧野が監督した『[[実録忠臣蔵]]』が、1922年(大正11年)5月27日、横浜の[[大正活映]]の協力で東京の[[有楽座]]で公開される。同作は、歌舞伎の影響下にあった従来の演出を脱し、リアリティを追した作品であった。同上映を鑑賞した[[寿々喜多呂九平]]が京都入りして牧野教育映画に入社、前年11月に獏与太平(のちの[[古海卓二]])、[[二川文太郎]]、[[内田吐夢]]、[[井上金太郎]]、[[江川宇礼雄]]、[[渡辺篤]]、[[岡田時彦]]、[[鈴木すみ子]]らが大正活映から同社に移籍<ref>『日本映画監督全集』、[[キネマ旬報社]]、1976年、[[竹中労]]執筆「[[古海卓二]]」、p.350-362。</ref>、1923年(大正12年)4月には、[[国際活映]]から[[環歌子]]を引き抜いた際に、環が国活の大部屋俳優だった[[阪東妻三郎]]を牧野に推挙した<ref>『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報、1980年、[[盛内政志]]執筆「[[環歌子]]」、p.436-437。</ref>。
1921年(大正10年)に発足させた[[牧野教育映画製作所]]で製作、牧野が監督した『[[実録忠臣蔵]]』が、1922年(大正11年)5月27日、横浜の[[大正活映]]の協力で東京の[[有楽座 (明治・大正)|有楽座]]で公開される。同作は、歌舞伎の影響下にあった従来の演出を脱し、リアリティを追した作品であった。同上映を鑑賞した[[寿々喜多呂九平]]が京都入りして牧野教育映画に入社、前年11月に獏与太平(のちの[[古海卓二]])、[[二川文太郎]]、[[内田吐夢]]、[[井上金太郎]]、[[江川宇礼雄]]、[[渡辺篤 (俳優)|渡辺篤]]、[[岡田時彦]]、[[鈴木すみ子]]らが大正活映から同社に移籍<ref>『日本映画監督全集』、[[キネマ旬報社]]、1976年、[[竹中労]]執筆「[[古海卓二]]」、p.350-362。</ref>、1923年(大正12年)4月には、[[国際活映]]から[[環歌子]]を引き抜いた際に、環が国活の[[大部屋俳優]]だった[[阪東妻三郎]]を牧野に推挙した<ref>『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報、1980年、[[盛内政志]]執筆「[[環歌子]]」、p.436-437。</ref>。


同社は、同年6月に[[マキノ映画製作所]]に改組され、同年、寿々喜多呂九平脚本、阪東妻三郎が初主演した剣戟映画『鮮血の手型』前篇・後篇がヒット、阪東は一躍剣戟スターとなる。1924年(大正13年)、寿々喜多は[[ダグラス・フェアバンクス]]主演の『[[奇傑ゾロ]]』(監督[[フレッド・ニブロ]]、1920年)を翻案したシナリオ『[[快傑鷹]]』を執筆、二川文太郎が監督し[[高木新平]]主演で映画化、高木は「[[鳥人]]」と呼ばれる。1925年(大正14年)6月にはマキノ映画製作所が[[マキノ・プロダクション]]となり、阪東が独立し、[[阪東妻三郎プロダクション]]を設立した。同年、寿々喜多脚本、二川文太郎監督、阪東妻三郎主演、阪東妻三郎プロダクション製作、マキノ・プロダクション配給による剣戟映画『[[雄呂血]]』が製作・公開された。同作は、米国の日本映画専門館でも上映され、[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]は同作のなかで何百人が斬られるかを数えたという逸話がある<ref>『日本映画監督全集』、[[岸松雄]]執筆「[[二川文太郎]]」、p.345。</ref>。同時期、沢田正二郎の[[新国劇]]の演劇題目『[[月形半平太]]』、『[[国定忠治]]』が大ヒットし、沢田らが歌舞伎から導入した「[[剣劇]]」は剣戟映画に大きな影響を与えた<ref name="コトバンク 剣劇" />。
同社は、同年6月に[[マキノ映画製作所]]に改組され、同年、寿々喜多呂九平脚本、阪東妻三郎が初主演した剣戟映画『鮮血の手型』前篇・後篇がヒット、阪東は一躍剣戟スターとなる。1924年(大正13年)、寿々喜多は[[ダグラス・フェアバンクス]]主演の『[[奇傑ゾロ]]』(監督[[フレッド・ニブロ]]、1920年)を翻案したシナリオ『[[快傑鷹]]』を執筆、二川文太郎が監督し[[高木新平]]主演で映画化、高木は「[[鳥人]]」と呼ばれる。1925年(大正14年)6月にはマキノ映画製作所が[[マキノ・プロダクション]]となり、阪東が独立し、[[阪東妻三郎プロダクション]]を設立した。同年、寿々喜多脚本、二川文太郎監督、阪東妻三郎主演、阪東妻三郎プロダクション製作、マキノ・プロダクション配給による剣戟映画『[[雄呂血]]』が製作・公開された。同作は、米国の日本映画専門館でも上映され、[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]は同作のなかで何百人が斬られるかを数えたという逸話がある<ref>『日本映画監督全集』、[[岸松雄]]執筆「[[二川文太郎]]」、p.345。</ref>。同時期、沢田正二郎の[[新国劇]]の演劇題目『[[月形半平太]]』、『[[国定忠治]]』が大ヒットし、沢田らが歌舞伎から導入した「[[剣劇]]」は剣戟映画に大きな影響を与えた<ref name="コトバンク 剣劇" />。
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1927年(昭和2年)、当時のマキノスターである[[片岡千恵蔵]]、[[嵐寛寿郎]]、[[月形龍之介]]らが独立する。1928年(昭和3年)、牧野の長男の[[マキノ正博]]監督、[[山上伊太郎]]脚本、無名の俳優である[[南光明]]・[[谷崎十郎]]ら主演の『[[浪人街]]』がヒットする。1929年(昭和4年)3月、牧野監督、山上伊太郎・[[西条照太郎]]脚本の『[[忠魂義烈 実録忠臣蔵]]』を一部消失しながらも完成、7月に牧野が死去した。ダグラス・フェアバンクスは1929年、1931年(昭和6年)と来日し、マキノ・プロダクションを訪問、牧野や嵐寛寿郎らと交流している。
1927年(昭和2年)、当時のマキノスターである[[片岡千恵蔵]]、[[嵐寛寿郎]]、[[月形龍之介]]らが独立する。1928年(昭和3年)、牧野の長男の[[マキノ正博]]監督、[[山上伊太郎]]脚本、無名の俳優である[[南光明]]・[[谷崎十郎]]ら主演の『[[浪人街]]』がヒットする。1929年(昭和4年)3月、牧野監督、山上伊太郎・[[西条照太郎]]脚本の『[[忠魂義烈 実録忠臣蔵]]』を一部消失しながらも完成、7月に牧野が死去した。ダグラス・フェアバンクスは1929年、1931年(昭和6年)と来日し、マキノ・プロダクションを訪問、牧野や嵐寛寿郎らと交流している。


剣戟映画の全盛期において、阪東妻三郎は「剣戟王」と呼ばれ<ref>『[[文藝春秋]]』第31巻第10号、文藝春秋社、1953年、p.119.</ref>、阪東のほか、嵐寛寿郎、[[市川右太衛門]]、[[大河内傳次郎]]、片岡千恵蔵、月形龍之介、林長二郎(のちの[[長谷川一夫]])を「七剣聖」と呼んだ<ref>『時代劇スター七剣聖 チャンバラ黄金時代』、石割平・円尾敏郎、[[ワイズ出版]]、 2001年 ISBN 4-89830-067-7</ref>。
1934年(昭和9年)、マキノ正博が開発したトーキー技術を使用し、嵐寛寿郎プロダクションは、[[曽根千晴]]監督、嵐寛寿郎主演により剣戟映画『[[鞍馬天狗]]』をトーキーリメイク、1935年(昭和10年)11月には、マキノ正博が[[マキノトーキー製作所]]を設立、剣戟映画も[[トーキー]]の時代となる。同社は1938年(昭和13年)春には解散、マキノを含め多くが[[日活京都撮影所]]に移籍、日活でも『[[恋山彦]]』等<ref>[http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/makino/makinoP/research-act.htm マキノ映画活動史]、[[立命館大学]]衣笠キャンパス、2009年10月26日閲覧。</ref>のトーキー剣戟を量産した。


1934年(昭和9年)、マキノ正博が開発したトーキー技術を使用し、嵐寛寿郎プロダクションは、[[曽根千晴]]監督、嵐寛寿郎主演により剣戟映画『[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]』をトーキーリメイク、1935年(昭和10年)11月には、マキノ正博が[[マキノトーキー製作所]]を設立、剣戟映画も[[トーキー]]の時代となる。同社は1938年(昭和13年)春には解散、マキノを含め多くが[[日活京都撮影所]]に移籍、日活でも『[[恋山彦]]』等<ref>[http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/makino/makinoP/research-act.htm マキノ映画活動史]、[[立命館大学]]衣笠キャンパス、2009年10月26日閲覧。</ref>のトーキー剣戟を量産した。
一方、サイレントの剣戟映画にこだわる[[極東映画]]が、同時期に設立され、[[羅門光三郎]]、[[市川寿三郎]]、[[綾小路絃三郎]]、[[雲井竜之介]]ら剣戟スターが西宮の[[甲陽撮影所]]に集められ、剣戟映画を量産した<ref name="極東">『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、[[ワイズ出版]]、1998年 ISBN 4948735914.</ref>。同社が現在の[[羽曳野市]]に撮影所を移転したときに、羅門らは甲陽撮影所に残留し[[甲陽映画]]を設立した<ref name="極東" />。1936年(昭和11年)には、同様にサイレントの剣戟映画を製作する[[全勝キネマ]]が奈良の[[市川右太衛門プロダクション|市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所]]跡地に結集<ref>[http://www.bunkajnara.pref.nara.jp/movie/movie_zenkatsu.asp 奈良にゆかりの映画情報 全勝シネマ]、[[奈良県]]、2009年10月26日閲覧。</ref>、同社では[[杉山昌三九]]、[[大河内龍]]が主演した。


一方、サイレントの剣戟映画にこだわる[[極東映画]]が同時期に設立され、[[羅門光三郎]]、[[市川寿三郎]]、[[綾小路絃三郎]]、[[雲井竜之介]]ら剣戟スターが西宮の[[甲陽撮影所]]に集められ、剣戟映画を量産した<ref name="極東">『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、[[ワイズ出版]]、1998年 ISBN 4-948735-91-4.</ref>。同社が現在の[[羽曳野市]]に撮影所を移転したときに、羅門らは甲陽撮影所に残留し[[甲陽映画]]を設立した<ref name="極東" />。1936年(昭和11年)には、同様にサイレントの剣戟映画を製作する[[全勝キネマ]]が奈良の[[市川右太衛門プロダクション|市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所]]跡地に結集<ref>[http://www.bunkajnara.pref.nara.jp/movie/movie_zenkatsu.asp 奈良にゆかりの映画情報 全勝シネマ]、[[奈良県]]、2009年10月26日閲覧。</ref>、同社では[[杉山昌三九]]、[[大河内龍]]が主演した。
[[第二次世界大戦]]後は、[[大映京都撮影所]]、1947年(昭和22年)に製作を開始した[[東横映画]]、その後身で[[1951年]](昭和26年)に設立された[[東映京都撮影所]]で剣戟映画が製作された。[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]]、[[勝新太郎]]、中村錦之助(のちの[[萬屋錦之介]])らのスターを生んだ。


[[第二次世界大戦]]後は、[[大映京都撮影所]]、1947年(昭和22年)に製作を開始した[[東横映画]]、その後身で[[1951年]](昭和26年)に設立された[[東映京都撮影所]]で剣戟映画が製作された。
=== おもな作品 ===
{{節stub}}
* 『[[実録忠臣蔵]]』 : 監督[[牧野省三]]、1921年
* 『[[快傑鷹]]』 : 監督[[二川文太郎]]、1924年
* 『[[雄呂血]]』 : 監督二川文太郎、1924年
* 『[[月形半平太]]』 : 監督[[衣笠貞之助]]、1925年
* 『[[忠次旅日記]]』 : 監督[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]、1927年
* 『[[浪人街]]』 : 監督[[マキノ正博]]、1928年
* 『[[忠魂義烈 実録忠臣蔵]]』 : 監督牧野省三、1929年
* 『月形半平太』 : 監督[[岡山俊太郎]]、1931年
* 『月形半平太』 : 監督伊藤大輔、1933年
* 『[[鞍馬天狗]]』 : 監督[[曽根千晴]]、1934年
* 『[[丹下左膳余話 百萬両の壺]]』 : 監督[[山中貞雄]]、1935年
* 『[[恋山彦]]』 : 監督マキノ正博、1937年
* 『[[血煙高田の馬場]]』 : 監督マキノ正博、1937年


=== おもな作品 (日本) ===
* 『[[七人の侍]]』 : 監督[[黒澤明]]、1954年
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* 『[[座頭市物語 (映画)|座頭市物語]]』 : 監督[[三隅研次]]、1962年
* [[実録忠臣蔵]] (1921年) <small>※セルフリメイク1922年</small>
* [[快傑鷹]] (1924年)
* [[雄呂血]] (1924年)
* [[月形半平太]] (1925, 1931, 33年)
* [[忠次旅日記]] (1927年)
* [[浪人街]] (1928年)
* [[忠魂義烈 実録忠臣蔵]] (1929年)
* [[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]] (1934年)
* [[丹下左膳余話 百萬両の壺]] (1935年)
* [[恋山彦]] (1937年)
* [[血煙高田の馬場]] (1937年)
* [[七人の侍]] (1954年)
* [[用心棒]] (1961年)
* [[椿三十郎]] (1962年)
* [[座頭市物語]] (1962年)
* [[次郎長三国志]]シリーズ (1952 - 54, 1963 - 65年)
* [[眠狂四郎]]シリーズ (1963 - 1969年)
* [[三匹の侍]] (1964年)
* [[丹下左膳 飛燕居合斬り]] (1966年)
* [[牙狼之介]] (1966年)
* [[牙狼之介地獄斬り]] (1967年)
* [[御用金 (映画)|御用金]] (1969年)
* [[子連れ狼 (若山富三郎版)]] シリーズ (1972 - 74年)
* [[子連れ殺人拳]] (1976年)
* [[雲霧仁左衛門 (映画)|雲霧仁左衛門]] (1978年)
* [[柳生一族の陰謀]] (1978年)
* [[闇の狩人]] (1979年)
* [[魔界転生#1981年|魔界転生]] (1981年)
* [[将軍家光の乱心 激突]] (1989年)
}}


=== おもな剣戟俳優 (日本) ===
* シリーズ「[[次郎長三国志]]」 : 監督マキノ雅弘、1952年 - 1954年 / 1963年 - 1965年
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* シリーズ「[[眠狂四郎映画版 (1963年-1969年)|眠狂四郎映画版]]」 : 監督[[田中徳三]] / 三隅研次 / [[安田公義]] / [[池広一夫]] / [[井上昭]]、1963年 - 1969年

=== おもな剣戟俳優 ===
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* [[尾上松之助]]
* [[尾上松之助]]
* [[市川百々之助]]
* [[市川百々之助]]
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* [[市川寿三郎]]
* [[市川寿三郎]]
* [[綾小路絃三郎]]
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* [[雲井之介]]
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* [[杉山昌三九]]
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* [[大河内龍]]
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* [[近衛十四郎]]
* [[近衛十四郎]]
* [[東千代之介]]
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* [[千葉真一]]
* [[里見浩太朗]]
* [[里見浩太朗]]
* [[北大路欣也]]
* [[北大路欣也]]
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* [[高橋英樹]]
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== 中国 ==
=== 関連の深い他分野 ===
中国における剣戟映画は、{{lang|zh|'''武俠片'''}}(ぶきょうへん、Wu Xia Pian)と呼ばれ、[[武侠小説]]に代表される[[武侠文化]]({{lang|zh|[[:zh:武侠文化]]}})の一つである。「{{lang|zh|武}}」は[[武術]]を、「{{lang|zh|俠}}」は[[騎士道]]に近い意味の[[任侠]]を、「{{lang|zh|片}}」は[[映画]]をそれぞれ意味する。日本語では[[武侠映画]]である。この武術には[[功夫]]を含み、必ずしも剣と戟の映画ではないが趣旨は同一である。
* [[剣豪小説]]

* [[講談]]
多くの剣戟映画がそうであるように、中国でもまた[[1920年代]]に最初の武侠映画が生まれ、発展した。第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)に[[中華人民共和国]]が宣言され、1951年(昭和26年)には武侠文化が禁止されたことから、武侠小説の作家たちが[[香港]]・[[台湾]]に流れ、武侠映画も同様に香港・台湾で発展した。
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=== おもな作品 (中国) ===
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== インド ==
== インド ==
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* [[:en:Akkineni Nageswara Rao]]
* [[:en:Akkineni Nageswara Rao]]
* [[:en:N.T. Rama Rao]]
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* ''[[:en:Patala Bhairavi|Patala Bhairavi]]'' : 1951年
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== 関連事項 ==
* [[ジョージ・キング]] ([[:en:George King (film director)]])
* [[アンドレ・ユヌベル]] ([[:fr:André Hunebelle]])
* [[フェルナンド・セルチオ]] ([[:en:Fernando Cerchio]])
* [[ジョルジュ・ランパン]] ([[:en:Georges Lampin]])
* [[ベルナール・ボルドリー]] ([[:fr:Bernard Borderie]])
* [[アントニオ・イサシ=イサスメンディ]] ([[:en:Antonio Isasi-Isasmendi]])
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* [[ガブリエル・アギヨン]] ([[:en:Gabriel Aghion]])
* [[ベルニー・ボンヴォワザン]] ([[:en:Bernie Bonvoisin]])


== 註 ==
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== 関連項目 ==
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* [[時代劇]]
* [[講談]]
* [[新国劇]]
* [[時代物]] - [[歌舞伎]]
* [[ジョージ・キング (映画監督)|ジョージ・キング]] [[:en:George King (film director)]]
* [[アンドレ・ユヌベル]] [[:fr:André Hunebelle]]
* [[フェルナンド・セルチオ]] [[:en:Fernando Cerchio]]
* [[ジョルジュ・ランパン]] [[:en:Georges Lampin]]
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* [[ガブリエル・アギヨン]] [[:en:Gabriel Aghion]]
* [[ベルニー・ボンヴォワザン]] [[:en:Bernie Bonvoisin]]
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== 外部リンク ==
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2023年11月3日 (金) 14:52時点における最新版

剣戟映画(けんげきえいが)は、剣戟を中心に据えた映画のジャンルである。1920年代から1940年代までの第二次世界大戦前、1940年代から1950年代までの戦後の時期に流行し、量産された。日本で製作された剣戟映画は、俗にちゃんばら映画と呼ばれ親しまれ、日本ではハリウッドフランスの剣戟映画をも俗に同呼称を用いている。「ちゃんばら」の由来に関してはチャンバラの項を参照。

略歴・概要

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剣戟(けんげき)は、(つるぎ)と(ほこ)を意味し、さらにはこれを使用した戦いを意味する[1]。剣戟映画を指す英語 Swashbuckler filmSwashbuckler は「剣戟を帯びた荒くれの剣士」(#主人公の造型)であり、剣戟映画を指すフランス語 Film de cape et d'épée は、Comédie de cape et d'épée (騎士任侠劇[2])に由来する語で、直訳すると「ケープと剣の映画」を意味する。

ハリウッドを中心とした英語圏では、1903年(明治36年)の『大列車強盗』に代表されるアクション映画が盛んに製作されたが、そのなかのサブジャンルであった。海賊義賊騎士といった人物を主人公に、中世のヨーロッパを舞台にした、歌舞伎でいうところの「時代物」にあたる時代の物語が量産された。

日本においては、1908年(明治41年)に、京都の興行会社横田商会に依頼されて、牧野省三が『本能寺合戦』を監督したのが「日本初の時代劇映画」とされるが、同時に剣戟映画の最初でもある。日本においては、時代劇のサブジャンルであり、時代劇が明治維新以前の世界を描くジャンル[3]である以上、日本の剣戟映画も明治維新以前の世界を舞台にした。1920年代以降は、新国劇の開発した「剣劇」の影響も大きかった[4]。⇒ #日本

ハリウッドでも、日本でも、1960年代に入ると剣戟専門の映画は廃れるが、そのスタイルはスターウォーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』、アニメでは『ONE PIECE』等、アクション映画内の要素として引き継がれている。

アメリカ合衆国

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撮影中のダグラス・フェアバンクス、1920年

アメリカ合衆国における剣戟映画は、w:Swashbuckler filmと呼ばれ、アクション映画冒険活劇の一ジャンルである。剣戟と冒険ヒーロー的なキャラクターに特徴があり、西ヨーロッパルネサンス期を舞台にしたセットのなかで、その時代に相応しい華麗な衣裳によるコスチュームプレイが行なわれる。剣戟映画における倫理観は明快で、主人公は明快に英雄的であり、悪役ですら対戦儀礼を厳守する。「囚われの姫君」と「恋愛映画」の要素を多く含む。

映画の出現の当初から、サイレント映画の時代は、剣戟で満たされていた。もっとも知られる剣戟映画は、ダグラス・フェアバンクスの主演映画であり、フェアバンクスの映画が本ジャンルを定義した。ストーリーは、フランスの小説家・大デュマことアレクサンドル・デュマ・ペールとイギリスの小説家・ラファエル・サバチニの小説に代表される大時代的なロマン小説を原作とし、また範とした。結末に少なくとも、意気揚々としたスリリングな音楽が付されることが、剣戟映画の作劇の方程式の重要な要素であった[5]

剣戟映画には、3つの時代に大別する。

  1. 1920年 - 1929年(大正9年 - 昭和4年) : ダグラス・フェアバンクスの時代
  2. 1935年 - 1941年(昭和10年 - 昭和16年) : エロール・フリンの時代
  3. 1950年代 (昭和25年 - 昭和34年) : 『黒騎士Ivanhoe、『バラントレイ卿The Master of Ballantrae、イギリスの人気テレビ映画ロビン・フッドの冒険The Adventures of Robin Hood.[6]の時代

主人公の造型

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剣戟映画の主人公を指す Swashbuckler の語は、剣 sword と小楯 buckler とを帯びた荒くれの闘士に由来する語である[7]Swashbuckler は、空威張りする向こうみずな男であるが、自らのスキル不足を騒音と自慢と大声でカヴァーする貧困層の剣士であることを示している。小説、そしてハリウッドは、この語の指し示す意味内容を変容させ、大口をたたくがそれはいい自慢であり、物語の主軸となるヒーローを意味するものとした[5]

フェンシング

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フェンシングは本ジャンルのつねに支柱であり、劇的な決闘がストーリーラインの旋回軸であった。剣戟が明らかにされている映画は、剣戟映画をおいてほかにはない。剣術指導で有名なのは、ヘンリー・ユーテンホーフ、フレッド・カヴェンズ、ジャン・ヘレマンス、ラルフ・ファルクナーらがいる。彼らはその後もスポーツとしてのフェンシング界で長いキャリアをもった[8]

剣戟とテレビ

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海の征服者』、1942年

前出のイギリスのテレビ映画シリーズ『ロビン・フッドの冒険』は、1959年(昭和34年)に全143話が放映開始され、イギリスとアメリカ合衆国の両国で、特筆すべき成功となった。本ジャンルのテレビ映画は、イギリスで量産され、米国でも同様に享受された。ほかにも1956年 - 1957年に放映された『バカニアーズThe Buccaneers、同じく『サー・ランスロットの冒険w:The Adventures of Sir Lancelot、1956年の『紅はこべ』(ITV)、同年のITC版『モンテ・クリスト伯The Count of Monte Cristo (ITV)、1957年のジョージ・キング監督の『華麗なる騎士Gay Cavalier (ITV)、1993年 - 2008年の長寿番組『炎の英雄 シャープSharpe (ITV)などである。

おもな作品 (アメリカ)

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おもな俳優・女優 (アメリカ)

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エロール・フリン

フランス

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フランスにおける剣戟映画は、1950年代1960年代に黄金時代を迎えた。ジェラール・フィリップが、1952年(昭和27年)のクリスチャン=ジャック監督作『花咲ける騎士道』でその幕を開いた。ジョルジュ・マルシャルがそれに続き、アンドレ・ユヌベル監督の『三銃士』(1953年)、フェルナンド・セルチオ監督の『ブラジュロンヌ子爵』(1954年)等が生まれた。

ジャン・マレーが主役を演じ、ジョルジュ・ランパン監督の『城が落ちない』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督の『城塞の決闘』(1959年)と『快傑キャピタン』(1960年)、ピエール・ガスパール=ユイ監督の『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』(1961年)、アンドレ・ユヌベル監督の『狼の奇蹟』(1961年)、アンリ・ドコワン監督の『鉄仮面』(1962年)に主演した。『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』では助演俳優だったジェラール・バレーは、ベルナール・ボルドリー監督の『三銃士』(1961年)、『騎士パルダヤン』(1962年)、『剣豪パルダヤンの逆襲』(1964年)で主役となり、アントニオ・イサシ=イサスメンディ監督の『フォンテンブローの決戦』(1964年)にも主演した。

本ジャンルには、フランソワ・ペリエブールヴィルが主演したアンドレ・ユヌベル監督の『弟ルセル』(1954年)のような、ユーモアに満ちたヴァリエーションが存在する。あるいは、フィリップ・ド・ブロカ監督の『大盗賊』(1962年)やジャン=ポール・ル・シャノワ監督の『盗賊紳士マンドラン』(1962年)のような、歴史劇的なヴァリエーションも存在する。ミシェル・メルシェ主演によるベルナール・ボルドリー監督の『アンジェリク はだしの女侯爵』(1964年)のような、センチメンタルなサーガも存在する。

さらに30年後、剣戟映画は新しい流れをつかんだ。かつて『コニャックの男』(1971年)を監督したジャン=ポール・ラプノー監督が、ジャン・ジオノの小説『屋根の上の軽騎兵』とエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を翻案したのがそのきっかけで、ジェラール・ドパルデューが主演した『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990年)、オリヴィエ・マルティネスが主演した『プロヴァンスの恋』(1995年)であった。ベルトラン・タヴェルニエが監督し、ソフィー・マルソーが主演した『ソフィー・マルソーの三銃士』(1994年)といった女性版の剣戟映画もこの時期に生まれた。

上記の動きと対照的に、ガブリエル・アギヨン監督の『ル・リベルタン』(2000年)やベルニー・ボンヴォワザン監督の『ブランシュ』(2002年)といったコミカルな剣戟映画も生まれたが、さほど大衆に受け入れられることはなかった。

おもな作品 (フランス)

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おもな俳優・女優 (フランス)

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日本

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日本における剣戟映画は、俗に「ちゃんばら映画」とも呼ばれる。その始まりは、時代劇映画の始まりと同時、1908年(明治41年)9月17日に公開された中村福之助嵐璃徳主演のサイレント映画『本能寺合戦』である。同作を製作・興行した京都の横田商会は、当時まだ撮影所をもっておらず、寺の境内で嵐扮する森蘭丸の剣戟シーンを撮影している[9]。牧野は、1910年(明治43年)には尾上松之助主演の『忠臣蔵』を製作しているが、松之助は、横田商会が合併して日活になり、1927年(昭和2年)までの間に1,000本近い時代劇映画に主演、その多くが剣戟映画であった。

1921年(大正10年)に発足させた牧野教育映画製作所で製作、牧野が監督した『実録忠臣蔵』が、1922年(大正11年)5月27日、横浜の大正活映の協力で東京の有楽座で公開される。同作は、歌舞伎の影響下にあった従来の演出を脱し、リアリティを追求した作品であった。同上映を鑑賞した寿々喜多呂九平が京都入りして牧野教育映画に入社、前年11月に獏与太平(のちの古海卓二)、二川文太郎内田吐夢井上金太郎江川宇礼雄渡辺篤岡田時彦鈴木すみ子らが大正活映から同社に移籍[10]、1923年(大正12年)4月には、国際活映から環歌子を引き抜いた際に、環が国活の大部屋俳優だった阪東妻三郎を牧野に推挙した[11]

同社は、同年6月にマキノ映画製作所に改組され、同年、寿々喜多呂九平脚本、阪東妻三郎が初主演した剣戟映画『鮮血の手型』前篇・後篇がヒット、阪東は一躍剣戟スターとなる。1924年(大正13年)、寿々喜多はダグラス・フェアバンクス主演の『奇傑ゾロ』(監督フレッド・ニブロ、1920年)を翻案したシナリオ『快傑鷹』を執筆、二川文太郎が監督し高木新平主演で映画化、高木は「鳥人」と呼ばれる。1925年(大正14年)6月にはマキノ映画製作所がマキノ・プロダクションとなり、阪東が独立し、阪東妻三郎プロダクションを設立した。同年、寿々喜多脚本、二川文太郎監督、阪東妻三郎主演、阪東妻三郎プロダクション製作、マキノ・プロダクション配給による剣戟映画『雄呂血』が製作・公開された。同作は、米国の日本映画専門館でも上映され、ジョセフ・フォン・スタンバーグは同作のなかで何百人が斬られるかを数えたという逸話がある[12]。同時期、沢田正二郎の新国劇の演劇題目『月形半平太』、『国定忠治』が大ヒットし、沢田らが歌舞伎から導入した「剣劇」は剣戟映画に大きな影響を与えた[4]

1927年(昭和2年)、当時のマキノスターである片岡千恵蔵嵐寛寿郎月形龍之介らが独立する。1928年(昭和3年)、牧野の長男のマキノ正博監督、山上伊太郎脚本、無名の俳優である南光明谷崎十郎ら主演の『浪人街』がヒットする。1929年(昭和4年)3月、牧野監督、山上伊太郎・西条照太郎脚本の『忠魂義烈 実録忠臣蔵』を一部消失しながらも完成、7月に牧野が死去した。ダグラス・フェアバンクスは1929年、1931年(昭和6年)と来日し、マキノ・プロダクションを訪問、牧野や嵐寛寿郎らと交流している。

剣戟映画の全盛期において、阪東妻三郎は「剣戟王」と呼ばれ[13]、阪東のほか、嵐寛寿郎、市川右太衛門大河内傳次郎、片岡千恵蔵、月形龍之介、林長二郎(のちの長谷川一夫)を「七剣聖」と呼んだ[14]

1934年(昭和9年)、マキノ正博が開発したトーキー技術を使用し、嵐寛寿郎プロダクションは、曽根千晴監督、嵐寛寿郎主演により剣戟映画『鞍馬天狗』をトーキーリメイク、1935年(昭和10年)11月には、マキノ正博がマキノトーキー製作所を設立、剣戟映画もトーキーの時代となる。同社は1938年(昭和13年)春には解散、マキノを含め多くが日活京都撮影所に移籍、日活でも『恋山彦』等[15]のトーキー剣戟を量産した。

一方、サイレントの剣戟映画にこだわる極東映画が同時期に設立され、羅門光三郎市川寿三郎綾小路絃三郎雲井竜之介ら剣戟スターが西宮の甲陽撮影所に集められ、剣戟映画を量産した[16]。同社が現在の羽曳野市に撮影所を移転したときに、羅門らは甲陽撮影所に残留し甲陽映画を設立した[16]。1936年(昭和11年)には、同様にサイレントの剣戟映画を製作する全勝キネマが奈良の市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所跡地に結集[17]、同社では杉山昌三九大河内龍が主演した。

第二次世界大戦後は、大映京都撮影所、1947年(昭和22年)に製作を開始した東横映画、その後身で1951年(昭和26年)に設立された東映京都撮影所で剣戟映画が製作された。

おもな作品 (日本)

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おもな剣戟俳優 (日本)

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中国

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中国における剣戟映画は、武俠片(ぶきょうへん、Wu Xia Pian)と呼ばれ、武侠小説に代表される武侠文化zh:武侠文化)の一つである。「」は武術を、「」は騎士道に近い意味の任侠を、「」は映画をそれぞれ意味する。日本語では武侠映画である。この武術には功夫を含み、必ずしも剣と戟の映画ではないが趣旨は同一である。

多くの剣戟映画がそうであるように、中国でもまた1920年代に最初の武侠映画が生まれ、発展した。第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)に中華人民共和国が宣言され、1951年(昭和26年)には武侠文化が禁止されたことから、武侠小説の作家たちが香港台湾に流れ、武侠映画も同様に香港・台湾で発展した。

1960年代に武侠映画は香港で黄金時代を迎え、胡金銓(キン・フー)監督の『大酔侠』(Come Drink with Me、1966年)、『侠女』(A Touch of Zen、1970年)等に代表される武侠映画が生まれる。

2000年代に台湾出身のアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』(2000年)、西安映画製作所出身の張芸謀監督の『LOVERS』(2004年)等が製作され、武侠映画のルネッサンスが起こる。

おもな作品 (中国)

[編集]

インド

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[編集]
  1. ^ 剣戟デジタル大辞泉コトバンク、2009年10月25日閲覧。
  2. ^ 『クラウン仏和辞典』、三省堂、1981年、p.192.
  3. ^ 時代劇映画百科事典マイペディアコトバンク、2009年10月25日閲覧。
  4. ^ a b 剣劇、百科事典マイペディア、コトバンク、2009年10月25日閲覧。
  5. ^ a b Foster on Film (英語), 2009年10月25日閲覧。
  6. ^ Screen Online (英語), 2009年10月25日閲覧。
  7. ^ Embleton, Gerry. The Medieval Soldier. Windrow and Green, London. ISBN 1859150365
  8. ^ Classical Fencing (英語), 2009年10月25日閲覧。
  9. ^ 『日本映画発達史 I 活動写真時代』、田中純一郎中公文庫、1975年、p.146.
  10. ^ 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年、竹中労執筆「古海卓二」、p.350-362。
  11. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報、1980年、盛内政志執筆「環歌子」、p.436-437。
  12. ^ 『日本映画監督全集』、岸松雄執筆「二川文太郎」、p.345。
  13. ^ 文藝春秋』第31巻第10号、文藝春秋社、1953年、p.119.
  14. ^ 『時代劇スター七剣聖 チャンバラ黄金時代』、石割平・円尾敏郎、ワイズ出版、 2001年 ISBN 4-89830-067-7
  15. ^ マキノ映画活動史立命館大学衣笠キャンパス、2009年10月26日閲覧。
  16. ^ a b 『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、ワイズ出版、1998年 ISBN 4-948735-91-4.
  17. ^ 奈良にゆかりの映画情報 全勝シネマ奈良県、2009年10月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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