コンテンツにスキップ

「延和 (唐)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Yonoemon (会話 | 投稿記録)
新規作成
 
この年号の経緯と出来事を『資治通鑑』によって記載。
タグ: 曖昧さ回避ページへのリンク
 
(6人の利用者による、間の7版が非表示)
1行目: 1行目:
'''延和'''(えんわ)は、[[唐]]の[[睿宗 (唐)|睿宗]]李旦の治世に使用された[[元号]]。712年。
'''延和'''(えんわ、えんな)は、[[唐]]の[[睿宗 (唐)|睿宗]]李旦の治世に使用された[[元号]]。712年。
『[[資治通鑑]]』巻210によれば、この年号は著しく短かった。実質的な期間は3ヶ月であった。

== できごと ==
司馬光『[[資治通鑑]]』巻210により略記する。<ref>司馬光『資治通鑑』中華書局、1964</ref>
*712年5月辛巳、天下に[[大赦]]して、延和と改元。
*712年7月壬辰、皇太子[[玄宗|李隆基]]に譲位を伝えるが、皇太子は固辞した。
*712年8月庚子、譲位により[[玄宗]]即位。睿宗は太上皇を称す。 

{{ウィキプロジェクトリンク|紀年法}}


== 西暦・干支との対照表 ==
== 西暦・干支との対照表 ==
{| class="wikitable" style="background-color:#ffffff;text-align:center"
:{| border=1 cellspacing=0
|- style="font-weight:bold;background-color:#CCCCCC;color:#000000;text-align:right"
|- style="background-color:#cccccc;font-weight:bold"
|延和||元年
|延和||元年
|-
|- style="background-color:#FFFFFF;text-align:center"
|西暦||[[712年]]
|西暦||[[712年]]
|-
|- style="background-color:#FFFFFF;text-align:center"
|[[干支]]||[[壬子]]
|[[干支]]||[[壬子]]
|}
|}


== 関連項目 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
*[[元号一覧 (中国)|元号一覧]]


== 関連項目 ==
{| border="1" cellspacing="1" align="center"
*[[元号一覧 (中国)]]
|-align="center" height="60pix"
|前<br>[[太極 (唐)|太極]]||width="40%"|[[唐]]||次の年号<br>[[先天 (唐)|先天]]
|}
[[Category:中国の元号|えんわ]]


{{中国|[[唐]]|[[太極 (唐)|太極]]|[[先天 (唐)|先天]]|えんわ}}
[[zh:延和 (唐睿宗)]]
{{唐の元号}}
[[Category:の元号]]

2023年11月25日 (土) 13:02時点における最新版

延和(えんわ、えんな)は、睿宗李旦の治世に使用された元号。712年。 『資治通鑑』巻210によれば、この年号は著しく短かった。実質的な期間は3ヶ月であった。

できごと

[編集]

司馬光『資治通鑑』巻210により略記する。[1]

  • 712年5月辛巳、天下に大赦して、延和と改元。
  • 712年7月壬辰、皇太子李隆基に譲位を伝えるが、皇太子は固辞した。
  • 712年8月庚子、譲位により玄宗即位。睿宗は太上皇を称す。 

西暦・干支との対照表

[編集]
延和 元年
西暦 712年
干支 壬子

脚注

[編集]
  1. ^ 司馬光『資治通鑑』中華書局、1964

関連項目

[編集]


前の元号
太極
中国の元号
次の元号
先天