コンテンツにスキップ

「コンチーノ・コンチーニ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
 
(14人の利用者による、間の16版が非表示)
1行目: 1行目:
[[Image:Concino-Concini.jpg|thumb|コンチーノ・コンチーニのポートレート]]
[[ファイル:Concino-Concini.jpg|thumb|コンチーノ・コンチーニのポートレート]]
[[ファイル:Assassinatancre.jpg|thumb|right|180px|アンクル元帥の暗殺]]
'''アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ'''(Concino Concini、[[1575年]] - [[1617年]][[4月24日]])はフランス王妃[[マリー・ド・メディシス]]の寵臣。[[イタリア]]の[[フィレンツェ]]出身。
{{Commonscat|Concino Concini}}
'''アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ'''({{Lang-it-short|Concino Concini}}、[[1575年]] - [[1617年]][[4月24日]])は、[[フランス王国|フランス]]王妃[[マリー・ド・メディシス]]の寵臣。[[イタリア]]の[[フィレンツェ]]([[トスカーナ大公国]])出身。


フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]に嫁ぐマリー・ド・メディシスに従い、フランスに移住。王妃の[[侍女]][[レオノーラ・ドーリ]](ガリガイ)(1568-1617)と結婚し、アンリ4世暗殺後にマリーが息子[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の[[摂政]]として実権を握るや、瞬く間に元帥の地位に昇りついた。
[[フランス君主一覧|フランス王]][[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]に嫁ぐマリー・ド・メディシスに従い、フランスに移住。王妃の[[侍女]][[レオノーラ・ドーリ]](ガリガイ)(1568-1617)と結婚し、アンリ4世{{仮リンク|アンリ4世暗殺事件|label=暗殺|fr|Assassinat d'Henri IV}}後にマリーが息子[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の[[摂政]]として実権を握るや、瞬く間に[[元帥]]の地位に昇りついた。


しかし、王太后と結託して国王を蔑ろにする政治体制が反感を買い、国王自らのクーデターにより失脚、殺害された。妻のレオノーラも魔女として処刑され、王太后は[[ブロワ]]に幽閉された。
しかし、王太后と結託して国王を蔑ろにする政治体制が反感を買い、国王自らの[[クーデター]]により失脚、殺害された。妻のレオノーラも[[魔女]]として処刑され、王太后は[[ブロワ]]に幽閉された。
[[Image:Assassinatancre.jpg|thumb|right|180px|アンクル元帥の暗殺]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Concino Concini}}
* [http://perso.orange.fr/roger.castelain/crimes/concini.htm Assassinat de Concino Concini] {{fr icon}}
* [http://perso.orange.fr/roger.castelain/crimes/concini.htm Assassinat de Concino Concini] {{fr icon}}


{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こんちに こんちの}}
{{DEFAULTSORT:こんちに こんちの}}
[[Category:フラス史の人物]]
[[Category:ブルボの人物]]
[[Category:マリー・ド・メディシス]]
[[Category:イタリア系フランス人]]
[[Category:暗殺された人物]]
[[Category:フィレンツェ出身の人物]]
[[Category:1575年生]]
[[Category:1575年生]]
[[Category:1617年没]]
[[Category:1617年没]]
{{People-stub}}
{{France-stub}}



[[cs:Concino Concini]]
{{France-stub}}
[[de:Concino Concini]]
{{History-stub}}
[[en:Concino Concini]]
[[es:Concino Concini]]
[[fr:Concino Concini]]
[[hu:Concino Concini]]
[[it:Concino Concini]]
[[sv:Concino Concini]]
[[zh:康西诺·孔奇尼]]

2023年12月23日 (土) 13:54時点における最新版

コンチーノ・コンチーニのポートレート
アンクル元帥の暗殺

アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ: Concino Concini1575年 - 1617年4月24日)は、フランス王妃マリー・ド・メディシスの寵臣。イタリアフィレンツェトスカーナ大公国)出身。

フランス王アンリ4世に嫁ぐマリー・ド・メディシスに従い、フランスに移住。王妃の侍女レオノーラ・ドーリ(ガリガイ)(1568-1617)と結婚し、アンリ4世暗殺フランス語版後にマリーが息子ルイ13世摂政として実権を握るや、瞬く間に元帥の地位に昇りついた。

しかし、王太后と結託して国王を蔑ろにする政治体制が反感を買い、国王自らのクーデターにより失脚、殺害された。妻のレオノーラも魔女として処刑され、王太后はブロワ城に幽閉された。

外部リンク

[編集]