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「浜口茂外也」の版間の差分

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'''浜口 茂外也'''(はまぐち もとや、[[1951年]][[7月16日]] - )は、日本の[[パーカッション]][[演奏者|奏者]]。
'''浜口 茂外也'''(はまぐち もとや、[[1951年]][[7月16日]] - )は、[[日本]]の[[パーカッション]][[演奏者|奏者]]。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[東京都]]出身。 血液型は[[ABO式血液型|A型]]。 父親は[[音楽家]]の[[浜口庫之助]]。
[[東京都]]出身。血液型は[[ABO式血液型|A型]]。父親は[[音楽家]]の[[浜口庫之助]]。


浜口 茂外也は10代の頃より、近所に住む[[細野晴臣]]と親交を結ぶ。
10代の頃より、近所に住む[[細野晴臣]]と親交を結ぶ。


[[1969年]]、[[早稲田大学]]在学中に[[ニューヨーク]]に渡り、[[フルート]]奏者の[[ジェレミー・スタイグ]](Jeremy Steig)に師事。
[[1969年]]、[[早稲田大学]]在学中に[[ニューヨーク]]に渡り、[[フルート]]奏者の[[ジェレミー・スタイグ]](Jeremy Steig)に師事。
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帰国後の[[1974年]]に、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]・バンドの[[バンブー (セッション・バンド)|バンブー]]にフルート奏者として参加。同バンドでの[[コンガ]]演奏を契機に、パーカッション奏者としての活動も開始。
帰国後の[[1974年]]に、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]・バンドの[[バンブー (セッション・バンド)|バンブー]]にフルート奏者として参加。同バンドでの[[コンガ]]演奏を契機に、パーカッション奏者としての活動も開始。


[[1975年]]、細野から誘われ、彼が在籍するバンドの[[ティン・パン・アレー (バンド)|ティン・パン・アレー]]のツアーにパーカッション/フルートで参加。演奏楽器はフルート、パーカッション、ギターなど。
[[1975年]]、細野から誘われ、彼が在籍するバンドの[[ティン・パン・アレー (バンド)|ティン・パン・アレー]]のツアーにパーカッション/フルートで参加。演奏楽器はフルート、パーカッション、[[ギター]]など。


以降、[[スタジオ・ミュージシャン]]として、数多くの音楽家のレコーディング等に参加。
以降、[[スタジオ・ミュージシャン]]として、数多くの音楽家のレコーディング等に参加。

2024年11月10日 (日) 13:12時点における最新版

浜口 茂外也(はまぐち もとや、1951年7月16日 - )は、日本パーカッション奏者

経歴

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東京都出身。血液型はA型。父親は音楽家浜口庫之助

10代の頃より、近所に住む細野晴臣と親交を結ぶ。

1969年早稲田大学在学中にニューヨークに渡り、フルート奏者のジェレミー・スタイグ(Jeremy Steig)に師事。

帰国後の1974年に、クロスオーバー・バンドのバンブーにフルート奏者として参加。同バンドでのコンガ演奏を契機に、パーカッション奏者としての活動も開始。

1975年、細野から誘われ、彼が在籍するバンドのティン・パン・アレーのツアーにパーカッション/フルートで参加。演奏楽器はフルート、パーカッション、ギターなど。

以降、スタジオ・ミュージシャンとして、数多くの音楽家のレコーディング等に参加。

ディスコグラフィ

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アルバム

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主な参加作品

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シングル

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アルバム

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あ行

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か行

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さ行

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た行

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な行

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は行

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ま行

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や行

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コンピレーションアルバム

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楽曲提供

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脚注

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出典

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  1. ^ 発売当時のクレジットは『忌野清志郎』のソロ名義で、演奏がトーサンズという扱いがされていた。

外部リンク

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