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「りょうもう」の版間の差分

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[[浅草駅]]を起点とし、伊勢崎線[[太田駅 (群馬県)|太田駅]]より桐生線[[新桐生駅]]を経由して[[赤城駅]]行が主となる。なお、[[館林駅]]より[[佐野線]][[佐野駅]]を経由して[[葛生駅]]へ、伊勢崎線の終点である[[伊勢崎駅]]までそれぞれ1往復ずつ運転されている。伊勢崎駅発着列車は2005年3月以降伊勢崎線全線を走破する唯一の列車となった。また、早朝の上りと夜間帯の下りおよび昼間時の一部の列車については太田駅発着列車も運行されている。
[[浅草駅]]を起点とし、伊勢崎線[[太田駅 (群馬県)|太田駅]]より桐生線[[新桐生駅]]を経由して[[赤城駅]]行が主となる。なお、[[館林駅]]より[[佐野線]][[佐野駅]]を経由して[[葛生駅]]へ、伊勢崎線の終点である[[伊勢崎駅]]までそれぞれ1往復ずつ運転されている。伊勢崎駅発着列車は2005年3月以降伊勢崎線全線を走破する唯一の列車となった。また、早朝の上りと夜間帯の下りおよび昼間時の一部の列車については太田駅発着列車も運行されている。


日光・鬼怒川方面に向かう「スペーシア」は主に[[観光]]客をターゲットにした列車であるのに対し、この「りょうもう」は[[館林市]]・[[足利市]]・[[太田市]]・[[桐生市]]など[[群馬県]]東部および[[栃木県]]南西部の主要都市をカバーする[[ビジネス]]列車としての側面が強い。群馬県下有数の[[工業都市]]で、東毛地域(群馬県東部)の主要都市である太田市へ浅草駅から所要約1時間20分で、東京-北関東間のビジネス客・所用客の足と定着している。また近年は[[あしかがフラワーパーク]]や[[県立つつじヶ岡公園|館林つつじヶ岡公園]]の観光客も多数利用するようになっている。
日光・鬼怒川方面に向かう「スペーシア」は主に[[観光]]客をターゲットにした列車であるのに対し、この「りょうもう」は[[館林市]]・[[足利市]]・[[太田市]]・[[桐生市]]など[[群馬県]]東部および[[栃木県]]南西部の主要都市をカバーする[[ビジネス]]列車としての側面が強い。太田市から足利市をおって、館林に向かうという非常に不便極まりい迂回ルートをとっていて桐生から東京は2時間450分を要し、利用不信の原因になっている。

しかし、伊勢崎線の[[線形 (路線)|線形]]の良さの割には所要時間がかかることから、特急としての位置付けとしてはさらなるスピードアップが必要という見解もあり、各方面より運転時間短縮の要望が出されている。館林以北は[[単線]]のため、普通列車との交換で最長5分程停車する駅がある。北千住~館林間に限ってみれば表定速度は85km/hで、決して遅いわけではない。



発車順に下り奇数・上り偶数の番号が与えられている。この際に重複するのは[[スペーシア|日光線特急「けごん」およびJR直通特急]]のみであるが、基本的には行先や列車名で区別が付くことや、発券の際に[[列車番号]]を記させる場合もあり、誤発券を生じさせることはないとされる。
発車順に下り奇数・上り偶数の番号が与えられている。この際に重複するのは[[スペーシア|日光線特急「けごん」およびJR直通特急]]のみであるが、基本的には行先や列車名で区別が付くことや、発券の際に[[列車番号]]を記させる場合もあり、誤発券を生じさせることはないとされる。

2007年11月25日 (日) 12:33時点における版

りょうもう (EXPRESS RYOMO) とは、東武鉄道が主に浅草駅赤城駅間を東武伊勢崎線桐生線経由で運行する特急列車の愛称。

本線系統の座席指定席を要する特急列車は日光線系統とこの系統の2系統があることから、"日光線特急「スペーシア」"に対して"伊勢崎線特急「りょうもう」"と広告されることが多い。これは日光線「スペーシア」登場時点で本列車群は有料の全車指定席急行列車であり、後に種別を「特急」に変更して本線特急が2系統になったための区別である。

200系りょうもう号(2006年12月撮影)

運転概況

浅草駅を起点とし、伊勢崎線太田駅より桐生線新桐生駅を経由して赤城駅行が主となる。なお、館林駅より佐野線佐野駅を経由して葛生駅へ、伊勢崎線の終点である伊勢崎駅までそれぞれ1往復ずつ運転されている。伊勢崎駅発着列車は2005年3月以降伊勢崎線全線を走破する唯一の列車となった。また、早朝の上りと夜間帯の下りおよび昼間時の一部の列車については太田駅発着列車も運行されている。

日光・鬼怒川方面に向かう「スペーシア」は主に観光客をターゲットにした列車であるのに対し、この「りょうもう」は館林市足利市太田市桐生市など群馬県東部および栃木県南西部の主要都市をカバーするビジネス列車としての側面が強い。太田市から足利市をとおって、館林に向かうという非常に不便極まりない迂回ルートをとっていて桐生から東京へは2時間450分を要し、利用不信の原因になっている。

発車順に下り奇数・上り偶数の番号が与えられている。この際に重複するのは日光線特急「けごん」およびJR直通特急のみであるが、基本的には行先や列車名で区別が付くことや、発券の際に列車番号を記させる場合もあり、誤発券を生じさせることはないとされる。

運行区間・停車駅・使用車両など

停車駅一覧
路線名 駅名\発着駅名 赤城駅 伊勢崎駅 葛生駅 太田駅
伊勢崎線 浅草駅
北千住駅
東武動物公園駅
久喜駅
加須駅
羽生駅
館林駅
足利市駅
太田駅
木崎駅  
境町駅  
新伊勢崎駅  
伊勢崎駅  
桐生線 藪塚駅    
新桐生駅    
相老駅    
赤城駅    
佐野線 佐野市駅      
佐野駅      
田沼駅      
葛生駅      
  • ●:全列車停車、▲:一部列車通過(概ね下り浅草駅15時以前、上り赤城駅8時~15時始発列車が通過)、*:一部列車停車(概ね下り浅草駅15時以降、上り太田駅15時40分および赤城駅15時50分以降始発列車が停車)、∥:経由せず、空欄:運行せず
使用車両
200系・250系が使用されている。ただし、200系・250系が故障・検査入場で不足した時は、在来型の予備車である1800系 (1819F)が代走することがある。
  • 全車座席指定席制を採用。なお、概ね浅草駅始発12時~17時の下り列車及び始発駅17時50分以降に出発する上り列車については特急料金の割引(「午後割」「夜割」)が行われる。

歴史

東武本線系統の優等列車は戦前から存在していたが、日光鬼怒川方面へ向かう特急が、日光線開業時以来伝統的に観光列車という位置付けであったのに対し、1933年(昭和8年)より「急行列車」として運転を開始した伊勢崎線・桐生線方面への優等列車は、戦前、中島飛行機関連工場の多く所在した太田地区への便を図ったものであり、戦後も内陸工業地帯として発展したこの地域へのビジネス列車として定着してきた。

戦後は、日光・鬼怒川方面で運行していた「急行」の合間、ないしはかつて「特急」「急行」に使用されていた車両を用いて「急行」として運転されていた。しかし、この伊勢崎線系急行の位置付けは、日光・鬼怒川方面行き「急行」よりは格上で、日光線特急と日光線急行との中間的なものであった。

急行時代のりょうもう号(1998年撮影)

専用車両である1800系が1969年に落成する以前は、元日光線特急車である5310系5700系だけではなく、現役の日光線特急専用車両であった1700系も使用されたことがあり、5700系でも急行向けの「青帯車」のみならず特急専用車両とされた「白帯車」も使用された。

特急車両並みの内装を備える1800系の使用開始前後より「東武のビジネス列車」としての位置付けが強化され、1990年代にはホームライナー格の列車として「ビジネスライナー」の設定もなされた。200系に置き換えが完了した後、1999年(平成11年)のダイヤ改正により現行の特急へ昇格し、現在の運転形態になっている。

年表

  • 1933年(昭和8年) 特別料金不要の急行列車が浅草駅~新桐生駅間で運行を開始。
  • 1949年(昭和24年) 戦争激化に伴い運行休止していた伊勢崎線急行を、浅草駅~伊勢崎駅間で特別料金不要・定員制の急行列車として運行を再開。
  • 1951年(昭和26年) 5310系により自由定員制急行として浅草駅~新桐生駅間で運行開始。
  • 1956年(昭和31年) 新大間々駅(現・赤城駅)まで運行区間を延長。また、この年より上毛電気鉄道上毛線中央前橋駅まで直通運行する急行「じょうもう」運行開始。
    • 「じょうもう」運用には1700系が用いられることもあったが、1700系は全電動車である為電力消費が多く、上毛電気鉄道線内では変電所容量不足・電圧降下の問題が生じた。また前橋-東京間輸送は元々距離の短い国鉄線が圧倒的優位で、1957年には両毛線が前橋まで電化された事により上野までの電車直通も開始されており、(一時期は)「じょうもう」の成績は振るわなかった。
  • 1963年(昭和38年) 急行「じょうもう」上毛線の乗り入れ終了。また、北千住駅に上り列車の停車開始。
  • 1969年(昭和44年) 専用車両である1800系が落成。同時に1列車乗車ごとではなく距離による地帯制を採用。また、これにより「りょうもう」の名称に固定される。1800系時代の営業最高速度は105km/h。
  • 1989年(平成元年)10月 ホーム延伸とわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線との連絡により、相老駅に停車開始。
  • 1991年(平成3年) 200系使用開始。この時に現行の「Ryomo」のロゴが初めて登場する。
  • 1997年(平成9年)3月25日 北千住駅に下り列車の停車開始。また、伊勢崎駅発着列車運行開始(当初は週末のみ運行)。
  • 1999年(平成11年)3月16日 200系に全面的に置き換わったことにより「特急」に昇格。最高速度を110km/hに向上。
  • 2003年(平成15年)3月19日 東武動物公園駅に全列車停車開始。
  • 2006年(平成18年)3月18日 久喜駅に一部列車停車。
  • 2007年(平成19年)3月18日 全座席を禁煙席とする。

列車名の由来

列車名として、「りょうもう」の他に「あかぎ」「おりひめ」「こうづけ」「じょうもう」なども使用されていたが、専用車両である1800系の就役後は「りょうもう」に統一されている。各列車名の由来は下記の通りである(五十音順)。

  • 「あかぎ」 終着駅である赤城駅赤城山観光の拠点としていたことから。なお、国鉄JR東日本にもこの名の列車が存在する。こちらを参照。
  • 「おりひめ」 桐生市及び一帯が絹織物の産地であることにちなむ(桐生市と足利市には「織姫神社」がある)。
  • 「こうづけ」 群馬県の旧称「上野」国("こうづけ"のくに)から。
  • 「じょうもう」 群馬県の異称「上毛」(上野国の古称、「上毛野国」の略)から。
  • 「りょうもう」 主たる目的地である群馬県東部(桐生+太田+館林=東毛)および栃木県南西部(足利佐野)を指す「両毛」から。

関連事項