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==ゴールデングラブ賞POV部分修正案==(最終的には削除の方向)
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2008年1月17日 (木) 15:55時点における版

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==ゴールデングラブ賞POV部分修正案==(最終的には削除の方向)

「主観」で選ばれる賞

いかに記者の野球への目が研ぎ澄まされようと、結局は記者の「主観や先入観」が反映されてしまうために、常に議論あるいは批判の対象となる賞である。これは客観的に守備力を判断できる統計指標が未整備なこともあげられる。たとえば、守備率に拠り所を求めた場合、守備範囲が広く守備機会の多い選手は高いレベルの捕球を試みるため、かえって失策も多くなり守備率が低くなる傾向がある。逆に守備範囲が狭く捕れそうにない打球に積極的に手を出さない選手は失策にすらならず守備率が高くなってしまう可能性を否定できない。メジャーリーグでは1試合平均のアウトに関わった数(これをレンジファクターという)などをデータに含めるなどの新しい試みもなされている。しかし、結局は記者の「最高の守備観」という主観に大きく左右される賞である(広い守備範囲や強肩を誇りヒット性の打球を数多くアウトにする選手、一定の守備範囲の中で確実に打球を処理し当たり前のことを当たり前にミスなくやってみせる選手、など)。

もっとも、客観的統計指標が未整備である以上に明らかに統計指標にできないプレーが存在することも事実である。例として強肩の外野手がイメージで走者の進塁を躊躇わせることがあるが、走塁を躊躇うのはあくまでも走者側の主観であり、それを客観的に外野手の功績であると判断することは難しい。逆に弱肩のイメージを逆手に取り進塁を試みた走者を刺す例もあるので、外野手の強肩が走者に危険を冒さず確実に生き残る判断を促し生還のチャンスを残したという見方もできる。この他にも守備位置の微妙な調整や捕手のインサイドワークなど、試合の状況に加えて相手や味方そして自身の癖や特性を考慮して下したその場の判断を客観的に評価し指標化することはまず不可能であり、どうしても個々の野球理論に基づく主観により守備への貢献の度合いを判断せざるを得なくなる。しかも、記者たちは全試合における全野手の動きと思考を細かくチェックできるはずもなく、現行の記者投票のシステムである限り主観や先入観が入り込むのはいたし方がないとも言える。

選考結果に疑問が投げかけられたケース

前述のとおり、投票する記者の主観に大きく左右されるために、この賞の選考に当たっては、チーム成績、打撃成績、過去の印象、人気、知名度など、純粋な守備力以外の観点が重視され、必ずしも最も守備に卓越した選手が受賞しているわけではないとの指摘がしばしばなされている。

  • 1970年代 セ・リーグ 一塁手
    • いわゆる「V9巨人」で王貞治が堅実な守備によりこの賞を受賞し続けていたが(1972~1980)、巧みな捕球技術をもって、大洋ホエールズ松原誠を評価する意見もある。[要出典] また、同時期の大洋の内野手(ボイヤー、シピン山下大輔)の受賞には一塁手である松原誠の高い守備力による貢献もあったためという見解も存在する。[要出典]
  • 1987年 セ・リーグ 二塁手
    • 優れたポジショニングを誇る二塁守備で知られていた読売ジャイアンツ篠塚利夫が、優勝チームの攻守の要として活躍し受賞したが、同年大洋ホエールズ高木豊は、二塁手守備率日本記録(.9971)を樹立しながら、受賞できなかった。
    • 受賞できなかったことに関して、高木は公式に不満を表明した。[要出典] また、当件についても玉木正之は例としてあげて、批判を行った。[要出典]

データにおける優位者が受賞できなかった例

1988年のセ・リーグ三塁手
知名度・打撃成績・チームの成績の例
125試合で3失策の銚子利夫(打撃成績は.271、本塁打0、打点23/横浜大洋はリーグ4位)は受賞できず、
126試合で10失策の原辰徳(打撃成績は.300、本塁打31、打点81/巨人はリーグ2位)が受賞した。
1991年のセ・リーグ遊撃手
過去の印象の例
132試合で4失策であり、遊撃手として守備率(.994)と405守備機会連続無失策という当時の日本記録を達成した池山隆寛は受賞できず、
126試合で10失策の川相昌弘が3年連続受賞した。
1998年のセ・リーグ遊撃手
チーム成績の例
6失策で守備率.989の宮本慎也(ヤクルトは4位)は受賞できず(前年度は受賞)、
17失策で守備率.974の石井琢郎(横浜は優勝)が初受賞した。
1999年のパ・リーグ外野手
過去の印象の例
刺殺1位・補殺2位の柴原洋と刺殺2位・補殺1位の大村直之は受賞できなかった。
また刺殺3位の小関竜也は主にライトを守って、同チームでセンターの大友進を上回る刺殺数を記録しながら受賞できず、
逆に前年も受賞していた大友が連続受賞した。
1999年のセ・リーグ外野手
選手・チームの知名度の例
刺殺数・補殺数ともリーグトップの波留敏夫は受賞できず、どちらも大きく劣る新庄剛志高橋由伸が前年から連続受賞した。
2001年のセ・リーグ捕手
過去の印象の例
137試合で1失策・1捕逸、リーグトップの盗塁阻止率(許盗塁37・盗塁刺44で阻止率.543)を記録した谷繁元信ではなく、
116試合で3失策・2捕逸、盗塁阻止率.488(許盗塁22・盗塁刺21)だった古田敦也が受賞
2002年のセ・リーグ捕手
過去の印象の例
129試合で1失策・2捕逸、リーグトップの盗塁阻止率(許盗塁30・盗塁刺28で阻止率.483)を記録した谷繁元信ではなく、
126試合で6失策・9捕逸、盗塁阻止率.400(許盗塁30・盗塁刺20)だった阿部慎之助が受賞
2001年・2003年のセ・リーグ外野手
知名度・過去の印象・打撃成績の例
両年とも、金城龍彦は刺殺数・補殺数でリーグトップを記録したがいずれも受賞を逃した。
代わりに受賞した選手は松井秀喜、高橋由伸、赤星憲広、福留孝介
2003年のセ・リーグ二塁手
打撃成績の例
114試合で255刺殺・341補殺・6失策の荒木雅博や107試合で235刺殺・339補殺・9失策の木村拓也ではなく、
117試合で191刺殺・305補殺・7失策で首位打者を獲得した今岡誠が受賞
2004年のセ・リーグ捕手
過去の印象の例
120試合で2失策・9捕逸、リーグトップの盗塁阻止率(許盗塁28・盗塁刺17で阻止率.378)を記録した谷繁元信ではなく、
130試合で2失策・8捕逸、リーグ最下位の盗塁阻止率(許盗塁43・盗塁刺15で阻止率.259)だった古田敦也が受賞
2004年のパ・リーグ一塁手
打撃成績の例
135試合で1328刺殺101捕殺7失策の福浦和也ではなく、
117試合で960刺殺66捕殺5失策だったものの、三冠王を受賞した松中信彦が受賞
2005年のセ・リーグ外野手
チームの成績の例
セ・リーグでは1997年の緒方孝市以来となる年間300刺殺を記録した青木宣親が受賞できず。
2005年のセ・リーグ三塁手
過去の印象の例
142試合で102刺殺・248補殺・4失策の小久保裕紀(刺殺・補殺はリーグトップ、失策はリーグ最少)が受賞できず、
142試合で74刺殺・213補殺・14失策の岩村明憲(レンジファクターはリーグ最下位)が連続受賞
2006年のセ・リーグ三塁手
過去の印象の例
補殺数トップの新井貴浩(143試合で84刺殺・255補殺・19失策)、刺殺数トップ・補殺数2位の村田修一(145試合で94刺殺・251補殺・15失策)
はともに選ばれず、143試合で88刺殺・198補殺・12失策の岩村明憲(レンジファクターはリーグ最下位)が連続受賞
2006年のセ・リーグ二塁手
過去の印象の例
122試合で277刺殺・421補殺・8失策の東出輝裕が選ばれず、105試合で256刺殺・293補殺・12失策の荒木雅博が連続受賞。

特筆すべき過去の受賞例

同一球団所属の複数選手が特定部門を独占的に受賞した例
  • セ・リーグ投手部門
    • 2003年まで32年間(延べ33人)中30人(90.9%)が受賞時点で読売もしくは元読売所属の選手。この間、読売以外の投手が受賞したのは1986年の北別府学、1993年の今中慎二(ただし、桑田真澄との同時受賞)、2001年の野口茂樹(当時中日)のみ。
  • セ・リーグ一塁手部門
    • 1999年まで28年間中26人(92.9%)が受賞時点で読売もしくは元読売所属の選手。内訳は王貞治9回、中畑清7回、駒田徳広10回と3人が独占受賞。


チームの成績の躍進により多数選手が受賞した例
  • セ・リーグ
    • 1992年に最下位から2位に躍進した阪神は前年0人だったが同年4人に増加。このうちパチョレック・オマリー・亀山は通算でもこの年のみの受賞。翌年は2人。
    • 1998年に日本一になった横浜は前年2人だったが同年は5人に増加。投手を除く内野の全ポジションを独占した。翌年は2人、2000年以降は金城龍彦(2005年)の1回のみ。
    • 2003年にリーグ優勝した阪神は前年0人だったが同年は4人に増加。翌年は1人。
  • パ・リーグ
    • 2005年に日本一になったロッテは前年0人だったが同年は5人に増加。翌年は2人。
    • 2006年に日本一になった日本ハムは前年1人から同年は5人に増加、外野の3ポジションを独占した。


参考文献

  1. ^ 「日本プロ野球歴代名選手名鑑」(恒文社 1976年)のボイヤーの項『「守りは巨人・長嶋より、彼の方が数段上だろう。」というのが、一般に共通した見方であった。』

●ボツネタ

  • 1990年代セ・リーグ遊撃手
    • 全盛期は俊足・強肩で知られた野村謙二郎だが、受賞できたのはトリプルスリーを達成した1995年のみ。

→当方十分なデータがないが、野村は失策が多く(当時の受賞者である川相・宮本より多い)守備率は高くない。

  • 2006年パ・リーグ外野手
    • 外野の中で守備成績が最も劣る森本が最多得票。

→「守備成績が劣る」の根拠不明。少なくとも守備率は3人の中で最高。森本(.9961)、稲葉(.9894)、SHINJO(.9892)。

  • 1979年セ・リーグ捕手
    • 捕逸の年間タイ記録(17個)を作った若菜嘉晴が捕手として受賞

→奇妙な例であることは間違いないが、前後の年度で連続受賞していた大矢明彦(92試合)、好捕手として知られていた水沼四郎(97試合)の当年度の出場試合数が少なく、他に捕手として100試合以上出場したのが、あまり守備での評価が高くない木俣達彦・福嶋久晃だったため、選考に疑問は感じられない。

  • 他にも肩の弱さが広く知れ渡っていた松本匡史や川相昌弘・赤星憲広、守備範囲の狭さが明白だった岩村明憲が何年も連続受賞したケースなども純粋な守備力以外の要素が影響して受賞した例と言える。

→代わりに誰が受賞すべきであったか判断できないため、記事にできない。