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2008年9月27日 (土) 12:36時点における版

衆議院議員 深谷 隆司
生年月日1935年9月29日
出身地東京都台東区
最終学歴早稲田大学
学位法学士
前職東京都議会議員
役職衆院テロ対策特別委員長
世襲の有無
選挙区東京2区
当選回数9回
所属党派自由民主党(山崎派
党の役職東京都連最高顧問
東京都第二選挙区支部長
台東総支部最高顧問
会館号室衆議院第一議員会館の202号室
ウェブサイトふかや隆司オフィシャルウェブサイト

深谷 隆司(ふかや たかし、1935年9月29日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(9期)。山崎派所属。郵政大臣自治大臣通商産業大臣や自民党党総務会長を歴任。表彰歴として衆議院議員在職二十五年表彰などがある。学歴早稲田大学法学部卒業学位法学士(早稲田大学)。特技は絵画料理空手段位は空手六段。

人物

苦労人の政治家である。中選挙区時代同じ選挙区で議席を争った鳩山邦夫とは同じ自民党公認とはいえ対極に位置していた。終戦後、満州国ハルピンから引き揚げて来た深谷一家は台東区立小学校内にあった引揚者住宅で暮らす。台東区議会議員、東京都議会議員を経験して衆議院選挙に出馬。中選挙区時代(東京都第8区 (中選挙区)・定数3)は同じ自民党の鳩山邦夫、共産党の金子満広、公明党の中川嘉美と言った大物議員が多く、全国でも屈指の激戦区で、深谷自身も前職での落選経験がある。 当選が安定してからは郵政大臣自治大臣国家公安委員長通商産業大臣、党総務会長等の要職を歴任するも、森内閣の不人気という逆風の中で行われた2000年総選挙では、都市部を中心としていわゆる「1区現象」が起き、東京2区から出馬した当時現職の通商産業大臣だった深谷を含めた閣僚経験者をはじめとする自民党大物議員の多くが落選した(与謝野馨小杉隆越智通雄島村宣伸玉澤徳一郎愛知和男船田元松永光中尾栄一等)。雪辱を期した2003年の衆院選でも落選(2回とも民主党の中山義活に敗北・比例復活もならず)。

政治生命の危機も囁かれたが、2005年総選挙では郵政大臣経験者ながら郵政民営化案に賛意を表明し(他の郵政大臣経験者では野田聖子自見庄三郎八代英太の様に法案に反対した者も多い)、自民党公認を得ることができ、宿敵中山義活を比例復活できないほどの差で初めて破り5年ぶりに国政復帰を果たした。自民党の内規では衆院選で2回連続で小選挙区で敗北し比例復活も出来なかった場合は次期総選挙公認されない事になっているが、急遽小泉純一郎総理が衆院解散したので新たな候補者が決まらず幸いにもお鉢が回ってきた。小選挙区で勝利をし、小選挙区制導入後、これが選挙区における初の勝利となった(1996年総選挙では小選挙区では鳩山邦夫に敗北したが比例代表東京ブロックで復活当選)。TOKYO自民党政経塾塾長。

2007年衆議院テロ対策特別委員長に就任。

2008年自由民主党総裁選挙では、石原伸晃候補の推薦人代表を務めた。

略歴

表彰・業績

表彰歴・賞歴等

  • 衆議院議員在職二十五年表彰受彰。
  • 2005年政経文化人画人展芸術議員連盟会長賞受賞。
  • 2007年政経文化人画人展国際芸術文化振興会副会長賞受賞。

著作

  • 『時代に挑む-与党から野党へ、そして与党へ-』東都書房、1996年9月。
  • 『大臣日記』角川書店、1991年12月。
  • 『ちょっとアメリカ急ぎヨーロッパ-代議士の妻・聞き書き亭主のヨーロッパ便り-』朝日出版社、1989年1月。(共著)深谷慶子。
  • 『深谷隆司のさわやかトーク-あなたとこんにちわPart2-』サンケイ出版、1983年3月。
  • 『~江戸っ子議員世界を往く~世界のきょうと明日』行政通信社、1971年。
  • 『あなたとこんにちは-下町議員の一口評論-』行政通信社、1974年。
  • 『保革逆転-チリ軍事クーデターの意味するもの-』浪曼、1974年。

評伝

  • 山口朝雄『深谷隆司・全人像』行研出版局、1997年12月。

余談


先代
与謝野馨
通商産業大臣
1999 - 2000
次代
平沼赳夫
先代
森喜朗
自由民主党総務会長
1998 - 1999
次代
池田行彦
先代
野中広務
自治大臣
1995 - 1996
次代
倉田寛之
先代
野中広務
国家公安委員会委員長
1995 - 1996
次代
倉田寛之
先代
大石千八
郵政大臣
1990
次代
関谷勝嗣