「深谷隆司」の版間の差分
m編集の要約なし |
|||
20行目: | 20行目: | ||
==人物== |
==人物== |
||
台東[[区議会議員]]、東京[[都議会議員]]を経験して衆議院選挙に出馬。中選挙区時代([[東京都第8区 (中選挙区)]]・定数3)は同じ自民党の |
苦労人の政治家である。中選挙区時代同じ選挙区で議席を争った[[鳩山邦夫]]とは同じ自民党公認とはいえ対極に位置していた。終戦後、満州国ハルピンから引き揚げて来た深谷一家は台東区立小学校内にあった引揚者住宅で暮らす。台東[[区議会議員]]、東京[[都議会議員]]を経験して衆議院選挙に出馬。中選挙区時代([[東京都第8区 (中選挙区)]]・定数3)は同じ自民党の鳩山邦夫、共産党の[[金子満広]]、公明党の[[中川嘉美]]と言った大物議員が多く、全国でも屈指の激戦区で、深谷自身も前職での落選経験がある。 |
||
当選が安定してからは[[郵政大臣]]、[[自治大臣]]・[[国家公安委員長]]、[[通商産業大臣]]、党[[総務会長]]等の要職を歴任するも、森内閣の不人気という逆風の中で行われた[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙|総選挙]]では、都市部を中心としていわゆる「[[1区現象]]」が起き、東京2区から出馬した当時現職の通商産業大臣だった深谷を含めた閣僚経験者をはじめとする自民党大物議員の多くが落選した([[与謝野馨]]・[[小杉隆]]・[[越智通雄]]・[[島村宣伸]]・[[玉澤徳一郎]]・[[愛知和男]]・[[船田元]]・[[松永光]]・[[中尾栄一]]等)。雪辱を期した2003年の[[第43回衆議院議員総選挙|衆院選]]でも落選(2回とも民主党の[[中山義活]]に敗北・比例復活もならず)。 |
当選が安定してからは[[郵政大臣]]、[[自治大臣]]・[[国家公安委員長]]、[[通商産業大臣]]、党[[総務会長]]等の要職を歴任するも、森内閣の不人気という逆風の中で行われた[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙|総選挙]]では、都市部を中心としていわゆる「[[1区現象]]」が起き、東京2区から出馬した当時現職の通商産業大臣だった深谷を含めた閣僚経験者をはじめとする自民党大物議員の多くが落選した([[与謝野馨]]・[[小杉隆]]・[[越智通雄]]・[[島村宣伸]]・[[玉澤徳一郎]]・[[愛知和男]]・[[船田元]]・[[松永光]]・[[中尾栄一]]等)。雪辱を期した2003年の[[第43回衆議院議員総選挙|衆院選]]でも落選(2回とも民主党の[[中山義活]]に敗北・比例復活もならず)。 |
||
2008年9月27日 (土) 12:36時点における版
生年月日 | 1935年9月29日 |
出身地 | 東京都台東区 |
最終学歴 | 早稲田大学 |
学位 | 法学士 |
前職 | 東京都議会議員 |
役職 | 衆院テロ対策特別委員長 |
世襲の有無 | 無 |
選挙区 | 東京2区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派 | 自由民主党(山崎派) |
党の役職 | 東京都連最高顧問 東京都第二選挙区支部長 台東総支部最高顧問 |
会館号室 | 衆議院第一議員会館の202号室 |
ウェブサイト | ふかや隆司オフィシャルウェブサイト |
深谷 隆司(ふかや たかし、1935年9月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。山崎派所属。郵政大臣・自治大臣・通商産業大臣や自民党党総務会長を歴任。表彰歴として衆議院議員在職二十五年表彰などがある。学歴は早稲田大学法学部卒業。学位は法学士(早稲田大学)。特技は絵画、料理。空手。段位は空手六段。
人物
苦労人の政治家である。中選挙区時代同じ選挙区で議席を争った鳩山邦夫とは同じ自民党公認とはいえ対極に位置していた。終戦後、満州国ハルピンから引き揚げて来た深谷一家は台東区立小学校内にあった引揚者住宅で暮らす。台東区議会議員、東京都議会議員を経験して衆議院選挙に出馬。中選挙区時代(東京都第8区 (中選挙区)・定数3)は同じ自民党の鳩山邦夫、共産党の金子満広、公明党の中川嘉美と言った大物議員が多く、全国でも屈指の激戦区で、深谷自身も前職での落選経験がある。 当選が安定してからは郵政大臣、自治大臣・国家公安委員長、通商産業大臣、党総務会長等の要職を歴任するも、森内閣の不人気という逆風の中で行われた2000年の総選挙では、都市部を中心としていわゆる「1区現象」が起き、東京2区から出馬した当時現職の通商産業大臣だった深谷を含めた閣僚経験者をはじめとする自民党大物議員の多くが落選した(与謝野馨・小杉隆・越智通雄・島村宣伸・玉澤徳一郎・愛知和男・船田元・松永光・中尾栄一等)。雪辱を期した2003年の衆院選でも落選(2回とも民主党の中山義活に敗北・比例復活もならず)。
政治生命の危機も囁かれたが、2005年の総選挙では郵政大臣経験者ながら郵政民営化案に賛意を表明し(他の郵政大臣経験者では野田聖子や自見庄三郎・八代英太の様に法案に反対した者も多い)、自民党公認を得ることができ、宿敵中山義活を比例復活できないほどの差で初めて破り5年ぶりに国政復帰を果たした。自民党の内規では衆院選で2回連続で小選挙区で敗北し比例復活も出来なかった場合は次期総選挙公認されない事になっているが、急遽小泉純一郎総理が衆院解散したので新たな候補者が決まらず幸いにもお鉢が回ってきた。小選挙区で勝利をし、小選挙区制導入後、これが選挙区における初の勝利となった(1996年の総選挙では小選挙区では鳩山邦夫に敗北したが比例代表東京ブロックで復活当選)。TOKYO自民党政経塾塾長。
2007年衆議院テロ対策特別委員長に就任。
2008年自由民主党総裁選挙では、石原伸晃候補の推薦人代表を務めた。
略歴
- 1935年 靴屋の息子として東京都台東区浅草に生まれ、旧満州のハルピンに家族と共に渡る。
- 1954年 東京都立江北高等学校卒業
- 1963年 台東区議会議員に当選
- 1965年 早稲田大学卒業
- 1969年 東京都議会議員に当選(台東区選挙区)
- 1972年 第33回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(東京8区)
- 1976年 第34回衆議院議員総選挙で落選
- 1979年 第35回衆議院議員総選挙で返り咲き当選
- 1980年 労働政務次官に就任
- 1982年 総理府総務副長官に就任
- 1986年 衆議院逓信委員長に就任
- 1990年 海部内閣で郵政大臣に就任
- 1995年 村山内閣で自治大臣・国家公安委員会委員長に就任
- 1998年 自由民主党総務会長に就任
- 1999年 小渕内閣で通商産業大臣に就任
- 2000年 森内閣で通産大臣に再任
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙で落選
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙で落選
- 2004年 東洋大学大学院経済学研究科の客員教授に就任
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙で返り咲き当選
- 2005年 政経文化画人展にて芸術議員連盟会長賞受賞
- 2006年 衆議院国家基本政策委員長に就任
- 2006年10月 近未来政治研究会(山崎派)常任顧問に就任
- 2007年 第21回参議院議員通常選挙で東京選挙区で3選目指す保坂三蔵の選対本部長を務めるが次点に終わる。
- 2007年 政経文化人画人展に出品の絵画が国際芸術文化振興会副会長賞受賞
- 2007年 衆議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員長に就任
表彰・業績
表彰歴・賞歴等
- 衆議院議員在職二十五年表彰受彰。
- 2005年政経文化人画人展芸術議員連盟会長賞受賞。
- 2007年政経文化人画人展国際芸術文化振興会副会長賞受賞。
著作
- 『時代に挑む-与党から野党へ、そして与党へ-』東都書房、1996年9月。
- 『大臣日記』角川書店、1991年12月。
- 『ちょっとアメリカ急ぎヨーロッパ-代議士の妻・聞き書き亭主のヨーロッパ便り-』朝日出版社、1989年1月。(共著)深谷慶子。
- 『深谷隆司のさわやかトーク-あなたとこんにちわPart2-』サンケイ出版、1983年3月。
- 『~江戸っ子議員世界を往く~世界のきょうと明日』行政通信社、1971年。
- 『あなたとこんにちは-下町議員の一口評論-』行政通信社、1974年。
- 『保革逆転-チリ軍事クーデターの意味するもの-』浪曼、1974年。
評伝
- 山口朝雄『深谷隆司・全人像』行研出版局、1997年12月。
余談
- 公式ホームページではミュージシャンのGacktが応援メッセージを寄稿している。また、2006年6月に議員在職25年を迎え、国会内に肖像画が飾られたが、その肖像画は深谷と20年来の親交がある八代亜紀が描いた。他にも、都倉俊一、花田勝、山田純大らとも交友を持つなど、芸能界に幅広い人脈を持っている。
- 自身の選挙区内に事務局を構えるワールドシュートボクシング協会の初代コミッショナー、更に空手六段
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|