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'''北鎌尾根''' (きたかまおね) とは、[[飛騨山脈]]南部の山、[[槍ヶ岳]]から北に伸びる[[尾根]]である。険しいことで非常に名高く、槍ヶ岳への登路として用いられる。独標の標高は2,899m。 |
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== 登路 == |
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2010年9月28日 (火) 16:36時点における版
北鎌尾根 (きたかまおね) とは、飛騨山脈南部の山、槍ヶ岳から北に伸びる尾根である。険しいことで非常に名高く、槍ヶ岳への登路として用いられる。独標の標高は2,899m。
概要
槍ヶ岳への一般的な登路としては上高地からのものと新穂高温泉からのものがあるが、北鎌尾根は登山道がないため、完全なバリエーションルートとして用いられる。通過には当然、岩登りの装備、技術を要する。また登山道がないことにより、ルートファインディング能力も必要とする。
歴史
初登攀は、1920年 (大正9年) 7月18日である。信濃山岳会に属していた土橋荘三が、案内人小林喜作と共に成し遂げた。続く記録は、1922年 (大正11年) 7月5日である。早稲田大学と学習院の山岳部が日を同じくして登頂。1936年 (昭和11年) には加藤文太郎が、1939年 (昭和14年) には松濤明がここで遭難死した。
登路
古くからの登路は湯俣からのものと言われている。すなわち、高瀬渓谷を遡上し、湯俣から水俣川を遡り、千天出合へと進み、北鎌尾根に取り付くというものである。他の登路としては、水俣乗越から天上沢もしくは大天井岳から貧乏沢を下降し、北鎌沢を登るというものがある。湯俣からのものも北鎌沢からのものも険しいルートであることには相違ない。途中の北鎌平には碑が設置されている。