「西平和大橋」の版間の差分
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元々この地に架けられていた「新大橋」が、1945年に[[広島市への原子爆弾投下|原爆被災]]およびその後の[[水害]]により落橋してしまったため、1952年に架け直されたもの。[[こうの史代]]の[[漫画]]作品「[[夕凪の街 桜の国|夕凪の街]]」に、ヒロインが「川にぎっしり浮いた死体」を目撃した橋として登場する。 |
元々この地に架けられていた「新大橋」が、1945年に[[広島市への原子爆弾投下|原爆被災]]およびその後の[[水害]]により落橋してしまったため、1952年に架け直されたもの。[[こうの史代]]の[[漫画]]作品「[[夕凪の街 桜の国|夕凪の街]]」に、ヒロインが「川にぎっしり浮いた死体」を目撃した橋として登場する。 |
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独特な形状をもつ欄干のデザインは、アメリカ |
独特な形状をもつ欄干のデザインは、[[日系人|日系]][[アメリカ合衆国#国民|アメリカ人]][[彫刻家]]の[[イサム・ノグチ]]によるもの(詳細は[[平和大橋 (広島市)#デザイン]]参照)。 |
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「生きているもの、死んでいるもの、だが私は生きているものの方がが好きだ。」(芸術新潮1951.10)イサム・ノグチが1951年に、すでに工事が始まっていた平和公園に来たとき、倒れた墓石のなか、一行についてきたバラックの子供たちにライカを向け、つぶやいたひとこと。 |
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(詳細は[[平和大橋 (広島市)#デザイン]]参照)。 |
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2010年12月15日現在、このイサム・ノグチを育てた母の映画「レオニー」が、角川映画配給で 全国上映中。 |
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松井久子監督が7年をかけて、命がけで 世界を視野に入れて作った、深く静かで美しい すばらしい作品だ。 |
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この西平和大橋と平和大橋の欄干のデザインと共に、永久に残したいものだ。 |
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近年、周辺の再整備に伴い歩道橋の併設や、交通量増大に伴い幅員変更や掛け換えが予定されている。 |
近年、周辺の再整備に伴い歩道橋の併設や、交通量増大に伴い幅員変更や掛け換えが予定されている。 |
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=== 戦後 === |
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{{main|平和大橋 (広島市)#歴史}} |
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戦後、[[丹下健三]]による計画に基づき、爆心地区の中島地区を[[広島平和記念公園|平和公園]]とし、市街地の東西を貫く戦時中の[[疎開|建物疎開]]対象地域を[[平和大通り]]として整備する構想の一部として、この2つの橋の架橋が計画された。新しい橋の名称は一般公募によって決められた。 |
戦後、[[丹下健三]]による計画に基づき、爆心地区の中島地区を[[広島平和記念公園|平和公園]]とし、市街地の東西を貫く戦時中の[[疎開|建物疎開]]対象地域を[[平和大通り]]として整備する構想の一部として、この2つの橋の架橋が計画された。新しい橋の名称は一般公募によって決められた。もともと原爆慰霊碑のデザインを希望していたノグチは、丹下の推薦を受けて欄干のデザインを担当した。 |
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ドウス昌代著「イサム・ノグチ 宿命の越境者」(第22回講談社ノンフィクション賞受賞作)によると、 |
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イサム・ノグチは、原子爆弾を落とした国の人間として、ギルティ(罪悪感)を感じてきた。日米の血が流れる者として広島で |
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「平和共存の夢」を託す仕事がしたい、という希望を出会って以来、丹下健三に何度も伝えた。 |
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丹下も「世界のピースセンターとしては、どうしてもイサム・ノグチの芸術を取り入れたい。」と望んだ。 |
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1951年10月の第六回国体までの開通をめどに、米国対日援助見返り資金を投入して、二つの橋は突貫工事が推し進められた。 |
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橋は市ではなく建設省所管。平和公園入り口になるので欄干だけでも 資料館や公園と違和感のないデザインをと、頼まれた丹下は、 |
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イサムノグチに依頼した。 |
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広島市民も、この橋の欄干のデザインが巨匠イサム・ノグチと知らなかったりする。 |
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1953年の完成から既に半世紀以上が経過し、欄干の低さのほか、前後の平和大通りに公園・緑地帯を兼ねた幅広の歩道があるのに対し、両大橋部分の歩道は幅が1.8メートルと極端に狭く危険で、車道部分の車線も2車線しかなく、1車線あたりの幅も狭くなっており渋滞が多発していたため改築も検討されたが、ひとまず歩道橋を先に架橋することになった。平和大橋から先行して進められ、この橋と西隣の緑大橋もそれに続く予定である。 |
1953年の完成から既に半世紀以上が経過し、欄干の低さのほか、前後の平和大通りに公園・緑地帯を兼ねた幅広の歩道があるのに対し、両大橋部分の歩道は幅が1.8メートルと極端に狭く危険で、車道部分の車線も2車線しかなく、1車線あたりの幅も狭くなっており渋滞が多発していたため改築も検討されたが、ひとまず歩道橋を先に架橋することになった。平和大橋から先行して進められ、この橋と西隣の緑大橋もそれに続く予定である。 |
2011年2月14日 (月) 07:07時点における版
西平和大橋 | |
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欄干 橋全体 | |
基本情報 | |
所在地 | 広島県広島市 |
交差物件 | 太田川水系旧太田川 |
建設 | 1873年 木橋、1922年 RC橋、1952年 鋼橋 |
座標 |
左岸:中区中島町、右岸:中区土橋町 北緯34度23分29秒 東経132度26分57秒 / 北緯34.39139度 東経132.44917度 |
構造諸元 | |
形式 | 5径間単純鈑桁橋 |
材料 | 上部工:鋼橋、下部工:RC構造、基礎工:? |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
西平和大橋(にしへいわおおはし)は、広島県広島市の本川(旧太田川)にかかる道路橋。
ここより東にある平和大橋とは対の関係にあり、戦後の歴史およびデザイン構想など詳細はそちらを参照のこと。
概要
平和大通り筋にかかる橋であり、広島平和記念公園の南西側に位置する。西側に緑大橋、上流側に本川橋、下流側に中島神崎橋がある。
元々この地に架けられていた「新大橋」が、1945年に原爆被災およびその後の水害により落橋してしまったため、1952年に架け直されたもの。こうの史代の漫画作品「夕凪の街」に、ヒロインが「川にぎっしり浮いた死体」を目撃した橋として登場する。
独特な形状をもつ欄干のデザインは、日系アメリカ人彫刻家のイサム・ノグチによるもの(詳細は平和大橋 (広島市)#デザイン参照)。
近年、周辺の再整備に伴い歩道橋の併設や、交通量増大に伴い幅員変更や掛け換えが予定されている。
諸元
- 路線名:広島市道比治山庚午線(平和大通り)
- 橋長:101.9m
- 幅員:15m
- 上部工:5径間単純鋼鈑桁橋(リベット接合)
- 下部工:RC橋台2基、RCラーメン橋脚4基
- 基礎工:橋台 - 杭基礎、橋脚 - 井筒基礎
- 設計:建設省中国四国地方建設局
- 備考:工事は建設省、所有および維持管理は広島市。高欄デザインはイサム・ノグチ。
歴史
戦前
藩政時代、防衛のため城下には架橋規制が引かれており、西部や北部から広島城への道は、本川橋から元安橋を渡るルートのみであった。
明治時代になり規制は解かれ、1873年(明治6年)「新大橋」という名の木橋が、中島新町から本川をはさんで対岸の西地方町に向かって新たに架けられた(現在の西平和大橋とほぼ同じ位置)。その後、1922年(大正11年)に鉄筋コンクリート桁橋として架け替えられた。西詰に消防団詰め所があった。
1945年(昭和20年)3月末から4月頭までの間に、新大橋西詰から江波線電車道路まで、道路の南北両側に面した建物を強制疎開して、道路の幅員を拡大していた。同年8月6日、被爆(爆心地から620m)。両方の高欄が川に落下したものの、落橋には免れ通行はできた。数日後、この橋から西へ広がる建物疎開で広げられた道路に死体が並べられ、その多さからこの橋の上にも続いた。
同年9月に上陸した枕崎台風と同年10月の阿久根台風による水害により本川が相次いで増水、本川橋・住吉橋と共に落橋してしまった。
戦後
戦後、丹下健三による計画に基づき、爆心地区の中島地区を平和公園とし、市街地の東西を貫く戦時中の建物疎開対象地域を平和大通りとして整備する構想の一部として、この2つの橋の架橋が計画された。新しい橋の名称は一般公募によって決められた。もともと原爆慰霊碑のデザインを希望していたノグチは、丹下の推薦を受けて欄干のデザインを担当した。
1953年の完成から既に半世紀以上が経過し、欄干の低さのほか、前後の平和大通りに公園・緑地帯を兼ねた幅広の歩道があるのに対し、両大橋部分の歩道は幅が1.8メートルと極端に狭く危険で、車道部分の車線も2車線しかなく、1車線あたりの幅も狭くなっており渋滞が多発していたため改築も検討されたが、ひとまず歩道橋を先に架橋することになった。平和大橋から先行して進められ、この橋と西隣の緑大橋もそれに続く予定である。
周辺
東詰北側に平和記念公園が広がり、関連する碑などは平和大橋と対になる位置にあり、川のほとりに本川(旧太田川)の由来を記した碑が建てられている。
西詰には中国新聞本社ビル、少し行くと広島電鉄江波線が通る寺町通りへと続く。最寄の駅は広電土橋駅。
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中国新聞本社
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広電土橋駅
関連項目
外部リンク
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編(広島市、pdf)
- 歴史的鋼橋 G9-007西平和大橋(土木学会)
- 「平和大橋歩道橋の整備方針」の概要(広島市)