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「ステルス機」の版間の差分

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=== RCS低減型 ===
=== RCS低減型 ===

2012年9月7日 (金) 09:15時点における版

YF-23 ブラック・ウィドウ II

ステルス機(ステルスき、stealth aircraft)とは、ステルス性を有する航空機のことである。

ステルス機の欠点と制限

RQ-3 ダークスター
空力的不安定性
ステルス機はレーダー反射断面積(RCS)を減少させるために、空力的洗練度に劣る造形とならざるを得ないので、機体制御が困難になる。これを解決するには、高性能な機体制御系統やフライ・バイ・ワイヤなどが必要となる。
電波使用制限
レーダーなどを使用して自ら電波を発信してしまうと、それを逆探知されてしまい、せっかくのステルス性が台無しになる。このため、ステルス機は自分からレーダーなどを使用することが出来ない。
搭載量
爆弾やミサイルなどを機外に装着すると、そのせいでRCSが増大するので、ステルス性が失われる。このため、ステルス機は基本的に搭載兵器は全て爆弾倉(ウエポン・ベイ)内部に搭載する必要があり、兵装搭載量が少なくなりがちである。
維持費
ステルス性を維持するためには、常に機体表面の研磨や電波吸収性塗料による塗装が必要であり、維持費・整備費が高価になる。

歴史

第二次大戦

英空軍戦闘機デ・ハビランド モスキート

ステルス技術は、レーダーが使われ始めた第二次世界大戦の頃から研究され始めた。レーダーと言う「目」の研究・実用化と共に、その目から逃れる技術を研究するのもまた、当然の流れであった。

この時代のステルス機と言われているのが、大戦中に英空軍で使用されたデ・ハビランド モスキートであろう。当時のイギリスでは資源の不足が心配されていたため、この木製のフレームに合板を張り合わせた爆撃機が開発された。だが、木材を使用したことでレーダーから探知されにくいという副次的な効果を生んだ。同時期のソ連軍の戦闘機・双発爆撃機にも木製機が多かったが、ステルス性については明確に記録されていない。同様の理由(資源不足)から日本ドイツでも木製航空機の試作が行われたが、組み立てに用いられる接着材の問題などから事故も発生し、またジュラルミン製の機体設計を元に木製化すると重量が増加したため、ごく一部を除いて実用化はされなかった。

また実用化には至らなかったが、ドイツが開発した全翼機ホルテン Ho229は、主翼前縁にレーダー波吸収を企図してカーボン塗料を塗布し、エンジンを上面配置して排熱抑制とする等、初めて意図してステルス対策を施された飛行機として関係者に知られるところである。本機は後にF-117の開発に際しても参考とされた[1]

北朝鮮のステルス機

朝鮮戦争でも、現代でいうステルス性能を発揮した航空機が存在した。北朝鮮軍のポリカルポフPo-2という複葉機である。複葉羽布張りの旧式機であったPo-2は、夜間にアメリカ軍基地の爆撃を行ったが、然したる戦果を上げられなかった。だが、地上のレーダー要員や迎撃に上がった夜間戦闘機は、これの探知に苦労したという。複葉羽布張りの航空機が超低空で飛行するとレーダー探知が困難になるという事実は、朝鮮戦争以降も指摘される事になる。

また、北朝鮮はかつてN-78「飛雲」と名づけられたステルス機が開発された事が有ると複数の中国メディアが2012年に報道した。その報道によると「史上最も反伝統的な色彩の偵察機」であり、ジェットエンジン4基を搭載し、外殻には発泡スチロールを使用。見た目は雲に酷似しており、空中の「不審な雲」の偵察が主な任務であった。海外に移住した北朝鮮出身の気象学者によると、3回目の飛行時に「飛雲」は本物の雲の中に消え、2度と姿をあらわさなかったという[2]

ステルス黎明期

1957年ソビエト連邦の科学者ピョートル・ウフィムツェフによって、ステルス機開発での重要論文が発表された。これにより従来、電波反射が解析不能だった部分の計算が可能となった。これ以前は、機体形状については「実際に作って飛ばしてみたらレーダーに映りにくかった」というケースがほとんどである。

また、アメリカ軍では入手したソ連製輸送機An-2を演習場内で飛ばし、レーダーがどの程度探知できるかを調べたり、繊維強化プラスチックを多用した軽飛行機で電波反射特性の調査を行った。

ベトナム戦争第四次中東戦争で、ソ連製地対空ミサイルによって多くの航空機を損失した事も、アメリカ軍のステルス機開発を後押しした。敵がその存在を探知できないステルス機が実現すれば、対空ミサイル迎撃戦闘機を管制する対空レーダーは無力化し、その存在意義はなくなる。ステルス機は従来の戦術思想を覆す革命的なシステムと期待された。

本格的なステルス機の登場

RAH-66 コマンチ

そしてアメリカでは、ロッキード社のスカンクワークスが開発したステルス実験機「ハブ・ブルー」をもとに、1981年に世界初の本格実用ステルス機、F-117が開発された。以降、F-22YF-23B-2といったステルス戦闘機や爆撃機が生み出された。

だが、ステルス性重視の機体設計と空気力学的に優秀な機体形状の要求は背反することが多い。電波吸収材の使用にも限度がある。2000年代末の今では、ステルス性を求めた為に空気力学的に不安定になった機体を、CCV技術フライ・バイ・ワイヤなどのエレクトロニクスによって操縦安定性を確保する事が必須となっている。

被発見率を下げる設計を指した言葉としてステルスという言葉が使われたのは、F-117の広報リリースが最初だと思われる。ただし、F-117が登場した当時は情報公開などもあまりなく、都合のいいスペックや戦果だけが伝えられたため、レーダーへの被発見率低下だけを指してステルスとか、ステルスであれば全然レーダーに引っかからない、またそうでなければステルスではない、などという誤解が広まることになった。

古典的複葉機の利用

ソ連製輸送機「An-2

第二次世界大戦時のモスキートがレーダーに映りにくかったように、古典的な複葉機が現代戦においてもステルス機として使用されるのではないかという話がある。

北朝鮮にも配備されているソ連製の旧式輸送機 An-2は、有事の際は韓国軍とアメリカ軍のレーダー網をすり抜けて、特殊部隊を韓国国内に送り込もうとしているのではないかと言われている。道路沿いを超低空・低速度で飛行すれば、早期警戒管制機でも陸上の走行車輌と判断する可能性がある。

ステルス機一覧

カリフォルニア沖の演習でMk.82爆弾を投下するB-2 スピリット爆撃機(1994年)
世界最高水準の戦闘能力を有するF-22 ラプター戦闘機

純粋ステルス型

RCS低減型

出典

  1. ^ 『ミリタリー・エアクラフト』(デルタ出版)1991年11月号より
  2. ^ 北朝鮮がステルス偵察機を開発、発泡スチロール利用 サーチナニュース 2012/01/06

関連項目