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[[1974年]]の'''虹作戦'''(にじさくせん)とは、東アジア反日武装戦線が行った[[お召し列車]][[爆破]]未遂事件のこと。 |
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[[1973年]]頃から、暗殺計画が浮上していたが、具体化し始めるのは翌年[[1974年]]からである。彼らは天皇の行動を調べ、 |
[[1973年]]頃から、暗殺計画が浮上していたが、具体化し始めるのは翌年[[1974年]]からである。彼らは天皇の行動を調べ、全国各地で多様な公務をこなしながらも毎年[[8月14日]]だけは[[那須御用邸]]から[[皇居]]に[[お召し列車]]で帰還し、翌[[8月15日]]の[[全国戦没者追悼式]]に備えるという行動パターンをつかんだ。彼らはこのお召し列車を天皇もろとも爆破することを決意、爆弾の設置場所は、[[埼玉県]]と[[東京都]]の都県境に架かる[[東北本線]]荒川橋梁([[赤羽駅|赤羽]]-[[川口駅|川口]]間)とした。彼らは[[昭和|昭和時代]]を「'''昭和49年8月14日'''」をもって終わらせる作戦に高揚したという。 |
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=== 決行 === |
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ちょうどその頃から、「セジット」という爆薬の開発が進められ、8月14日の決行日に合わせるために急ピッチで爆弾が製造された。 |
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当初はリモコンによる遠隔操作で鉄橋の線路を爆破するつもりだったが技術的問題により挫折し、有線方式での爆破を企てた。迷彩を企図して黒装束に身を包み、殺傷能力を持たせた改造モデルガンとナイフで武装した彼らは、前々日の深夜より三夜にわたって、爆弾を爆発させるための電線の敷設を行い始めた。しかし、翌日(爆破計画前夜)の作業中、[[警察官]]とも[[浮浪者]]や[[痴漢]]とも考えられる正体不明の第三者が、橋脚付近をうろつき、遠巻きに自分たちを包囲しようとしているような行動をとり始めたことから、計画を察知されることを恐れ敷設を断念、計画は未遂に終わった。近い将来に虹作戦を再び行うため、電線はすべて回収し証拠を隠滅した。 |
当初はリモコンによる遠隔操作で鉄橋の線路を爆破するつもりだったが技術的問題により挫折し、有線方式での爆破を企てた。迷彩を企図して黒装束に身を包み、殺傷能力を持たせた改造モデルガンとナイフで武装した彼らは、前々日の深夜より三夜にわたって、爆弾を爆発させるための電線の敷設を行い始めた。しかし、翌日(爆破計画前夜)の作業中、[[警察官]]とも[[浮浪者]]や[[痴漢]]とも考えられる正体不明の第三者が、橋脚付近をうろつき始め、遠巻きに自分たちを監視、包囲しようとしているような行動をとり始めたことから、計画を察知されることを恐れ敷設を断念、計画は未遂に終わった。近い将来に虹作戦を再び行うため、電線はすべて回収し証拠を隠滅した。 |
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なお、計画では当日にお召し列車が走る全区間での[[警察]]、[[日本国有鉄道|国鉄]]関係者による最終調査・点検と警備の実施を考慮しておらず、仮に電線の敷設が完了していても、事前に察知される可能性があったことは否定できない。虹作戦当日の荒川鉄橋でも、通過時間の前後には警察官らが不審物の検索を行い、警備に当たった。また、爆弾を仕掛けようとしたのは東北本線上り線の橋梁だったが、実際にお召し列車が通過したのは[[東北貨物線]]であった。 |
なお、計画では当日にお召し列車が走る全区間での[[警察]]、[[日本国有鉄道|国鉄]]関係者による最終調査・点検と警備の実施を考慮しておらず、仮に電線の敷設が完了していても、事前に察知される可能性があったことは否定できない。虹作戦当日の荒川鉄橋でも、通過時間の前後には警察官らが不審物の検索を行い、警備に当たった。また、爆弾を仕掛けようとしたのは東北本線上り線の橋梁だったが、実際にお召し列車が通過したのは[[東北貨物線]]であった。 |
2013年12月23日 (月) 13:48時点における版
虹作戦(にじさくせん)
- 1942年に行われたバレンツ海海戦のドイツ側の作戦名。
- 2004年に行われたイスラエルによるガザ地区掃討作戦の作戦名。
- 1974年に日本の武闘派左翼テロリストグループである東アジア反日武装戦線が立案した昭和天皇に対する暗殺計画。本項にて記す。
概要
立案
1970年春、法政大学の学生で中核派出身の大道寺将司らが結成した「Lクラス闘争委員会」は尖鋭化の一途をたどり、極端な反日思想のもと実力行使も辞さないまでに過激化していった。1972年冬、東アジア反日武装戦線を名乗る大道寺らは本格的な武装闘争の準備を開始、そのターゲットの中には「幾千万人ものアジア人民を圧殺した、この大犯罪人を処刑することは、反日思想の当然の帰結である」として昭和天皇が上がっていた。
1973年頃から、暗殺計画が浮上していたが、具体化し始めるのは翌年1974年からである。彼らは天皇の行動を調べ、全国各地で多様な公務をこなしながらも毎年8月14日だけは那須御用邸から皇居にお召し列車で帰還し、翌8月15日の全国戦没者追悼式に備えるという行動パターンをつかんだ。彼らはこのお召し列車を天皇もろとも爆破することを決意、爆弾の設置場所は、埼玉県と東京都の都県境に架かる東北本線荒川橋梁(赤羽-川口間)とした。彼らは昭和時代を「昭和49年8月14日」をもって終わらせる作戦に高揚したという。
決行
ちょうどその頃から、「セジット」という爆薬の開発が進められ、8月14日の決行日に合わせるために急ピッチで爆弾が製造された。
当初はリモコンによる遠隔操作で鉄橋の線路を爆破するつもりだったが技術的問題により挫折し、有線方式での爆破を企てた。迷彩を企図して黒装束に身を包み、殺傷能力を持たせた改造モデルガンとナイフで武装した彼らは、前々日の深夜より三夜にわたって、爆弾を爆発させるための電線の敷設を行い始めた。しかし、翌日(爆破計画前夜)の作業中、警察官とも浮浪者や痴漢とも考えられる正体不明の第三者が、橋脚付近をうろつき始め、遠巻きに自分たちを監視、包囲しようとしているような行動をとり始めたことから、計画を察知されることを恐れ敷設を断念、計画は未遂に終わった。近い将来に虹作戦を再び行うため、電線はすべて回収し証拠を隠滅した。
なお、計画では当日にお召し列車が走る全区間での警察、国鉄関係者による最終調査・点検と警備の実施を考慮しておらず、仮に電線の敷設が完了していても、事前に察知される可能性があったことは否定できない。虹作戦当日の荒川鉄橋でも、通過時間の前後には警察官らが不審物の検索を行い、警備に当たった。また、爆弾を仕掛けようとしたのは東北本線上り線の橋梁だったが、実際にお召し列車が通過したのは東北貨物線であった。
この虹作戦のために製造されていた爆薬「セジット」は、後に三菱重工爆破事件で使用されている。予想を上回る大惨事になったのは、列車爆破用の爆弾を転用したからである。そして、翌年の1975年5月19日にメンバーが一斉逮捕。再度、虹作戦が実行に移される事はなかった。
作戦名の由来
この作戦が決定した際、彼らが連想したのは映画の「戦場にかける橋」である。この映画の結末が、橋の爆破で列車もろとも川に転落するという話だからである。そのとき大道寺将司が「虹の彼方に」を口ずさんだことで、両者が結合し「戦場にかける橋」+「虹の彼方に」=「虹をかける橋」→「虹をかける作戦」→「虹作戦」という作戦名が決定した。
参考文献
- 松下竜一『狼煙を見よ』読売新聞社、1997年
関連項目
- 日本の新左翼
- 東アジア反日武装戦線
- 反皇室闘争
- 大逆事件
- オウム真理教の国家転覆計画(戦後日本で計画されたもう一つの天皇暗殺計画)