コンテンツにスキップ

「横穴墓」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
211.19.216.59 (会話) による ID:64101179 の版を取り消し WP:JPE 文体
→‎関東地方: リンク先追加(横浜市、七石山横穴墓群)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
35行目: 35行目:
*[[出山横穴墓群]]([[東京都]][[三鷹市]]、10基)
*[[出山横穴墓群]]([[東京都]][[三鷹市]]、10基)
*[[谷沢川#名所・旧跡・施設|等々力渓谷横穴群]](東京都[[世田谷区]])
*[[谷沢川#名所・旧跡・施設|等々力渓谷横穴群]](東京都[[世田谷区]])
*[[荏子田横穴|荏子田横穴(かんかん穴)]]([[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]、2基)
*[[荏子田横穴|荏子田横穴(かんかん穴)]]([[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]、2基、市指定史跡
*[[市ヶ尾横穴古墳群]]([[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]、19基)
*[[市ヶ尾横穴古墳群]]([[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]、19基、県指定史跡
*[[七石山横穴墓群]]([[神奈川県]][[横浜市]][[栄区]]、発見当時100基以上、[[横浜市登録地域文化財|市登録地域史跡]])


=== 東海地方 ===
=== 東海地方 ===

2017年5月23日 (火) 11:40時点における版

吉見百穴(2010年11月)

横穴墓(おうけつぼ、よこあなぼ)とは、一般には台地や段丘の斜面に高さ2メートル前後の穴を掘り、人間を埋葬した施設のことである。 古代東アジア社会などでもみられるが、本項では日本考古学の用語として解説する。

形態

構造は、横穴式石室に似ている。墳丘をもたないのが通例であるが、例外も一部ある。玄室には棺や棺を置く台を削りだした例もある。天井の形態は、家形・ドーム形・アーチ形がある。また、前室を設けたり、羨道の前に前庭を設ける例がある。[1]

横穴墓は単独で存在することは稀で、おおむね複数からなる横穴墓群を構成する。また線刻画をともなうこともある。九州および関東から東北地方南部の太平洋沿岸では、彩色が施された例もいくつかみられる。これらは装飾古墳にも位置づけられる。

起源と変遷

5世紀後半の九州北部の豊前地域に淵源を持つと考えられている。おもに6世紀中葉に山陰・山陽近畿・東海まで盛行した。7世紀初頭までには北陸・関東・東北南部まで分布した。薄葬令前後から爆発的に増加した。一部では8世紀中頃までに終焉。[2]

名称

横穴古墳ともいうが、正確には古墳とは墳丘を持つ高塚古墳を意味するため、墳丘をもたないものは横穴墓というべきである。ただし分類上は広義の「古墳」に含まれる。また人工の墳丘の側面から埋葬する施設(横穴式石室)を持つ「横穴式」古墳のことを横穴墓とはいわない。さらに中世日本でも、鎌倉地方で同様の墓制が存在したが、この場合やぐらとよぶ。

分布と著名な横穴墓

九州から山陰、近畿をはじめとし、北陸、東海をへて、特に南関東が多い。北限は宮城県北部といわれている。静岡県内では約3000基を数える。

東北地方

関東地方

東海地方

  • 柏谷横穴群(かしやおうけつぐん、静岡県函南町、国の史跡、106基)
  • 北江間横穴群(静岡県伊豆の国市、国の史跡、101基)

北陸地方

近畿地方

中国地方

九州地方

脚注

  1. ^ 参考文献の『岩波 日本史辞典』(1999年)「横穴」の項参照 1166ページ
  2. ^ 参考文献の『岩波 日本史辞典』(1999年)「横穴」の項参照 1166ページ

文献

  • 金井塚良一『吉見百穴横穴墓群の研究』(校倉書房、1975年
  • 池上悟『横穴墓』(ニュー・サイエンス社、1980年
  • 池上悟『日本の横穴墓』(雄山閣出版、2000年
  • 池上悟『日本横穴墓の形成と展開』(雄山閣出版、2004年
  • 永原慶二監修 石上英一他編集『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 ISBN 4-00-080093-0

関連項目