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「豊ノ島大樹」の版間の差分

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'''豊ノ島 大樹'''(とよのしま だいき、[[1983年]][[6月26日]] - )は、[[高知県]][[宿毛市]]出身の[[大相撲]][[力士]]。本名は'''梶原 大樹'''。身長171cm、体重133kg。得意技は左四つ、下手投げ。
'''豊ノ島 大樹'''(とよのしま だいき、[[昭和58年|1983年]][[6月26日]] - )は、[[高知県]][[宿毛市]]出身の[[大相撲]][[力士]]。本名は'''梶原 大樹'''。身長171cm、体重133kg。得意技は左四つ、下手投げ。
[[時津風部屋]]に所属し、現在の自己最高位は西[[前頭]]8枚目([[平成]]17年11月場所)。明るい性格。趣味は音楽鑑賞とカラオケ。
[[時津風部屋]]に所属し、現在の自己最高位は西[[前頭]]8枚目([[平成17年|2005年]]11月場所)。明るい性格。趣味は音楽鑑賞とカラオケ。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[豆腐]]店の三男で小学校1~3年生までは[[サッカー]]をやっていた。[[1998年]]片島中学校3年生のとき、全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝。[[2001年]][[宮城県|宮城]][[国民体育大会|国体]]では、県少年選抜チームの1人として相撲競技団体優勝に貢献。父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、[[高知県立宿毛高等学校|宿毛高校]]を卒業後に同部屋に入門。強靭な下半身と多彩な得意技が持ち味である。
[[豆腐]]店の三男で小学校1~3年生までは[[サッカー]]をやっていた。[[平成8年|1998年]]片島中学校3年生のとき、全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝。[[平成13年|2001年]][[宮城県|宮城]][[国民体育大会|国体]]では、県少年選抜チームの1人として相撲競技団体優勝に貢献。父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、[[高知県立宿毛高等学校|宿毛高校]]を卒業後に同部屋に入門。強靭な下半身と多彩な得意技が持ち味である。


その後、平成16年([[2004年]])5月場所には新[[十両]]となり、第二[[新弟子検査]]受検合格者で初めて[[関取]]に昇進した。平成17年([[2005年]])9月場所では、西十両筆頭で14勝1敗と、全勝はならなかったものの自身初の十両優勝を果たした。幕内での勝ち越しは、平成17年1月場所東前頭17枚目での1場所(成績は8勝7敗)のみで、まだ幕内には定着できずにいたが、平成18年([[2006年]])5月場所は、東前頭13枚目で苦しみながらも8勝7敗と幕内で2回目の勝ち越しを決め、定着への足がかりをつかんだ。
その後、[[平成16年|2004年]]5月場所には新[[十両]]となり、第二[[新弟子検査]]受検合格者で初めて[[関取]]に昇進した。2005年9月場所では、西十両筆頭で14勝1敗と、全勝はならなかったものの自身初の十両優勝を果たした。幕内での勝ち越しは、2005年年1月場所東前頭17枚目での1場所(成績は8勝7敗)のみで、まだ幕内には定着できずにいたが、[[平成18年|2006年]]5月場所は、東前頭13枚目で苦しみながらも8勝7敗と幕内で2回目の勝ち越しを決め、定着への足がかりをつかんだ。


== 主な戦績 ==
== 主な戦績 ==
(2006年5月場所現在)
(2006年5月場所終了現在)
* 生涯戦歴:166勝120敗(27場所)
* 生涯戦歴:166勝120敗(27場所)
* 幕内戦歴:61勝74敗(9場所)
* 幕内戦歴:61勝74敗(9場所)
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== 略歴 ==
== 略歴 ==
* 初土俵:平成14年(2002)1月場所
* 初土俵:[[平成14年|2002]]1月場所
* 新十両:平成16(2004年)5月場所
* 新十両:20045月場所
* 新入幕:平成16(2004年)9月場所
* 新入幕:20049月場所


== 四股名履歴 ==
== 四股名履歴 ==

2006年7月19日 (水) 14:05時点における版

豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年6月26日 - )は、高知県宿毛市出身の大相撲力士。本名は梶原 大樹。身長171cm、体重133kg。得意技は左四つ、下手投げ。 時津風部屋に所属し、現在の自己最高位は西前頭8枚目(2005年11月場所)。明るい性格。趣味は音楽鑑賞とカラオケ。

来歴

豆腐店の三男で小学校1~3年生まではサッカーをやっていた。1998年片島中学校3年生のとき、全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝。2001年宮城国体では、県少年選抜チームの1人として相撲競技団体優勝に貢献。父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、宿毛高校を卒業後に同部屋に入門。強靭な下半身と多彩な得意技が持ち味である。

その後、2004年5月場所には新十両となり、第二新弟子検査受検合格者で初めて関取に昇進した。2005年9月場所では、西十両筆頭で14勝1敗と、全勝はならなかったものの自身初の十両優勝を果たした。幕内での勝ち越しは、2005年年1月場所東前頭17枚目での1場所(成績は8勝7敗)のみで、まだ幕内には定着できずにいたが、2006年5月場所は、東前頭13枚目で苦しみながらも8勝7敗と幕内で2回目の勝ち越しを決め、定着への足がかりをつかんだ。

主な戦績

(2006年5月場所終了現在)

  • 生涯戦歴:166勝120敗(27場所)
  • 幕内戦歴:61勝74敗(9場所)

各段優勝

略歴

  • 初土俵:2002年1月場所
  • 新十両:2004年5月場所
  • 新入幕:2004年9月場所

四股名履歴

  • 梶原 大樹
  • 豊ノ島 大樹

その他

関連項目

外部リンク

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