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「琴冠佑源正」の版間の差分

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'''琴冠佑 源正'''(ことかんゆう もとまさ、[[1966年]][[2月2日]] - )は、[[北海道]][[新冠郡]][[新冠町]]出身の[[大相撲]][[力士]]。[[佐渡ヶ嶽部屋]]所属。本名は西尾 源正(にしお もとまさ)。血液型はO型、183cm、129kg。既婚である。現役最古参力士。最高位は東十両7枚目([[平成]]13年([[2001年]])7月場所)。
'''琴冠佑 源正'''(ことかんゆう もとまさ、[[1966年]][[2月2日]] - )は、[[北海道]][[新冠郡]][[新冠町]]出身の[[大相撲]][[力士]]。[[佐渡ヶ嶽部屋]]所属。本名は西尾 源正(にしお もとまさ)。血液型はO型、183cm、129kg。既婚である。現役最古参力士。最高位は東十両7枚目([[2001年]]7月場所)。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
実家は[[サラブレッド]]の名産地ということもあり牧場を営んでいた。新冠中学校時代はサッカー部に所属し、入門前の相撲経験は無い。中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門。[[昭和]]56年([[1981年]])3月場所に初土俵を踏んだ。平成2年([[1990年]]の夏には部屋近くの路上を[[自転車]]で走行中[[オートバイ]]と接触し右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。怪我に悩まされ伸び悩んだ時期もあったが、平成8年([[1996年]])1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で[[十両]]に昇進した。新十両から2場所連続十両の土俵を務めた後、[[幕下]]に陥落。それ以後、幕下上位で一進一退を続けていた。平成12年([[2000年]])9月場所に東幕下5枚目で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌十一月場所は28場所ぶり、通算128場所目で十両に復帰した。同年7月場所限りで[[北勝鬨準人|北勝鬨]]が引退したたため100年以上絶え間なく続いていた[[道産子]][[関取]]が姿を消していたが、1場所で復活させた(平成16年([[2004年]])3月場所以降、道産子関取は再び途絶えている)。しばらく十両に定着していたが、平成14年([[2002年]]9月場所を最後に幕下に陥落した。しかし、幕下上位でも安定した成績を残し上手い相撲を見せ観客を沸かせている。平成17年([[2005年]])11月に師匠となった元[[関脇]]・[[琴ノ若晴將|琴ノ若]]の「兄弟子」である。
実家は[[サラブレッド]]の名産地ということもあり牧場を営んでいた。新冠中学校時代はサッカー部に所属し、入門前の相撲経験は無い。中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門。[[1981年]]3月場所に初土俵を踏んだ。[[1990年]]の夏には部屋近くの路上を[[自転車]]で走行中[[オートバイ]]と接触し右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。怪我に悩まされ伸び悩んだ時期もあったが、[[1996年]]1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で[[十両]]に昇進した。新十両から2場所連続十両の土俵を務めた後、[[幕下]]に陥落。それ以後、幕下上位で一進一退を続けていた。[[2000年]]9月場所に東幕下5枚目で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌十一月場所は28場所ぶり、通算128場所目で十両に復帰した。同年7月場所限りで[[北勝鬨準人|北勝鬨]]が引退したたため100年以上絶え間なく続いていた[[道産子]][[関取]]が姿を消していたが、1場所で復活させた[[2004年]]3月場所以降、道産子関取は再び途絶えている)。しばらく十両に定着していたが、[[2002年]]9月場所を最後に幕下に陥落した。しかし、幕下上位でも安定した成績を残し上手い相撲を見せ観客を沸かせている。[[2005年]]11月に師匠となった元[[関脇]]・[[琴ノ若晴將|琴ノ若]]の「兄弟子」である。


初土俵から平成18年([[2006年]]で25年。1981年3月場所初土俵の同期生[[陸奥北海勝昭|陸奥北海]]、[[大善尊太|大善]]が相次いで引退していていった一方で、単独で通算在位記録を伸ばし平成16年(2004)7月場所には元[[関脇]][[寺尾常史|寺尾]]の140場所を抜き、元[[小結]][[大潮憲司|大潮]]の157場所に次ぐ単独2位となった。また、関取経験の有る力士の中では現役最高齢である(現役最年長は[[一ノ矢充|一ノ矢]])。
初土俵から[[2006年]]で25年。1981年3月場所初土俵の同期生[[陸奥北海勝昭|陸奥北海]]、[[大善尊太|大善]]が相次いで引退していていった一方で、単独で通算在位記録を伸ばし20047月場所には元[[関脇]][[寺尾常史|寺尾]]の140場所を抜き、元[[小結]][[大潮憲司|大潮]]の157場所に次ぐ単独2位となった。また、関取経験の有る力士の中では現役最高齢である(現役最年長は[[一ノ矢充|一ノ矢]])。


== 十両昇進所要場所記録 ==
== 十両昇進所要場所記録 ==
琴冠佑は、昭和63年([[1988年]])9月場所に十両に昇進した元[[前頭]][[貴ノ嶺明彦|貴ノ嶺]]([[井筒部屋]])の84場所の記録を上回る89場所で昇進した。この記録を更新する力士は現れないと思われたが、平成17(2005年)5月場所に[[出羽海部屋]]の[[出羽の郷秀之|出羽の郷]]が114場所目で十両に昇進したため、大幅に記録が塗り替えられた(琴冠佑に次ぐ現在3位の記録は、平成14年(2002)5月場所に十両に昇進した同じ佐渡ヶ嶽部屋所属の[[琴乃峰篤実|琴乃峰]]の85場所である)。
琴冠佑は、[[1988年]]9月場所に十両に昇進した元[[前頭]][[貴ノ嶺明彦|貴ノ嶺]]([[井筒部屋]])の84場所の記録を上回る89場所で昇進した。この記録を更新する力士は現れないと思われたが、20055月場所に[[出羽海部屋]]の[[出羽の郷秀之|出羽の郷]]が114場所目で十両に昇進したため、大幅に記録が塗り替えられた(琴冠佑に次ぐ現在3位の記録は、20025月場所に十両に昇進した同じ佐渡ヶ嶽部屋所属の[[琴乃峰篤実|琴乃峰]]の85場所である)。


== 主な成績 ==
== 主な成績 ==

2006年7月21日 (金) 16:57時点における版

琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身の大相撲力士佐渡ヶ嶽部屋所属。本名は西尾 源正(にしお もとまさ)。血液型はO型、183cm、129kg。既婚である。現役最古参力士。最高位は東十両7枚目(2001年7月場所)。

来歴

実家はサラブレッドの名産地ということもあり牧場を営んでいた。新冠中学校時代はサッカー部に所属し、入門前の相撲経験は無い。中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門。1981年3月場所に初土俵を踏んだ。1990年の夏には部屋近くの路上を自転車で走行中オートバイと接触し右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。怪我に悩まされ伸び悩んだ時期もあったが、1996年1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で十両に昇進した。新十両から2場所連続十両の土俵を務めた後、幕下に陥落。それ以後、幕下上位で一進一退を続けていた。2000年9月場所に東幕下5枚目で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌十一月場所は28場所ぶり、通算128場所目で十両に復帰した。同年7月場所限りで北勝鬨が引退したたため100年以上絶え間なく続いていた道産子関取が姿を消していたが、1場所で復活させた2004年3月場所以降、道産子関取は再び途絶えている)。しばらく十両に定着していたが、2002年9月場所を最後に幕下に陥落した。しかし、幕下上位でも安定した成績を残し上手い相撲を見せ観客を沸かせている。2005年11月に師匠となった元関脇琴ノ若の「兄弟子」である。

初土俵から2006年で25年。1981年3月場所初土俵の同期生陸奥北海大善が相次いで引退していていった一方で、単独で通算在位記録を伸ばし2004年7月場所には元関脇寺尾の140場所を抜き、元小結大潮の157場所に次ぐ単独2位となった。また、関取経験の有る力士の中では現役最高齢である(現役最年長は一ノ矢)。

十両昇進所要場所記録

琴冠佑は、1988年9月場所に十両に昇進した元前頭貴ノ嶺井筒部屋)の84場所の記録を上回る89場所で昇進した。この記録を更新する力士は現れないと思われたが、2005年5月場所に出羽海部屋出羽の郷が114場所目で十両に昇進したため、大幅に記録が塗り替えられた(琴冠佑に次ぐ現在3位の記録は、2002年5月場所に十両に昇進した同じ佐渡ヶ嶽部屋所属の琴乃峰の85場所である)。

主な成績

  • 十両成績:67勝98敗15休(12場所)

改名歴

  • 西尾 源正 (にしお もとまさ)1981年3月
  • 琴ノ洋 源正 (ことのなだ もとまさ)1981年5月 - 1986年3月
  • 琴の洋 源烈 (ことのなだ もとれつ)1986年5月 - 1988年7月
    • - 源正 ( - もとまさ) 1988年9月 - 1994年1月
  • 琴冠佑 源正 (ことかんゆう もとまさ)1994年3月 -

関連項目

外部リンク