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でら名古屋プロレス(でらなごやプロレス)は、かつて愛知県名古屋市を中心に活動していたプロレス団体。この頁では後継団体であるチームでらについても記述する。
歴史
- 2008年1月、高木三四郎が設立。
- 6月7日、Zepp Nagoyaで旗揚げ戦を開催。
- 2009年4月3日、代表の渋谷雅人が愛知県警察津島警察署に大麻取締法違反で現行犯逮捕された。
- 4月6日、代表の渋谷が逮捕されたことを受けて解散することを発表。
- 7月26日、中村スポーツセンターで開催する予定だった旗揚げ1周年記念大会を中止して入場無料のラスト興行を開催して解散。
- 7月27日、元所属選手の高井憲吾、入江茂弘、宮本武士、笠木峻がプロレスリング・チームでらを設立することを発表。
チームでら
- 2009年9月19日に愛知・スポルティーバアリーナにて旗揚げ[1]。初期はでら名古屋時代のコンセプトを受け継ぎ、チームでらvs他地域ローカル団体の対抗戦を軸にしていた[1]。のちに高井憲吾が代表に就任[2]。月に一度のペースで名古屋に密着した大会を開催している。
- 2017年4月に初の大阪大会を開催[2]。
所属選手
でら名古屋プロレス時代の所属選手
- 高木三四郎(DDTプロレスリング兼任所属)
- キャッチフレーズは「プロレス界のIT革命児」。現場監督を務めていた。
- キャッチフレーズは「三重の熱血泣き虫コーチ」。コーチを努めていた。
- キャッチフレーズは「ガッチリボーイ」。
- 宮本武士
- キャッチフレーズは「戦う花屋」。普段は花屋に勤務している。
- 笠木峻
- キャッチフレーズは「現役高校生ファイター」。普段は高校に通っている。
- 榊原渉
- キャッチフレーズは「三河のプロレス王子」。2008年12月27日引退。
- SHIGERU
- キャッチフレーズは「名古屋のラストサムライ」。2008年のハウスショーで膝前十字靱帯を断裂して長期欠場。2009年7月26日のラスト興行で5分間のエキシビジョンマッチを行った(相手は笠木)。チームでらに合流予定も負傷治療中のため迷惑がかけられないと、旗揚げ前に離脱している。
スタッフ
リングアナウンサー
- 松永郁恵(トレーナー兼任)
脚注
- ^ a b ベースボールマガジン社「週プレモバイル」2009年8月10日付けニュース・チームでら旗揚げ戦は9月19日
- ^ a b “名古屋のプロレス団体「チームでら」、4・23平野区民ホールで初の大阪大会開催!”. サンスポ (2017年4月6日). 2019年3月9日閲覧。