「石川明 (実業家)」の版間の差分
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2019年9月20日 (金) 02:19時点における版
いしかわ あきら 石川 明 | |
---|---|
生誕 |
1937年8月12日 日本千葉県野田市 |
死没 | 2004年3月30日(66歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京電機大学工学部通信工学科 |
職業 | 実業家 |
活動拠点 |
チッソ 日本テキサス・インスツルメンツ ボール・セミコンダクタ |
石川 明(いしかわ あきら、1937年8月12日 - 2004年3月30日)は日本の実業家。
大学卒業後、チッソに入社して半導体向けシリコン材料の生産・検査を担当したが、集積回路の考案者であるジャック・キルビーがいたテキサス・インスツルメンツにあこがれ、日本テキサス・インスツルメンツに転職して生産技術の革新、工場の立ち上げ、組合運動への対応等を経て本社副社長兼日本テキサス・インスツルメンツの社長として国際提携を担当、売上高にして年間1000億から1500億円の事業を毎年一つずつ立ち上げた[1]。その後、画期的な球状半導体を開発して多数の特許を取得した。
略歴
- 1937年(昭和12年)8月12日 - 千葉県野田市生まれ
- 1960年(昭和35年)3月 - 東京電機大学工学部通信工学科卒
- 同年4月 - 株式会社チッソ入社
- 1968年(昭和43年)- 日本テキサス・インスツルメンツ入社
- 1972年(昭和47年)- 米テキサス・インスツルメンツ ヒューストン工場出向
- 1973年(昭和48年)- 日本テキサス・インスツルメンツ 日出工場長就任
- 1979年(昭和54年)- 日本テキサス・インスツルメンツ 取締役就任
- 1982年(昭和57年)- 日本テキサス・インスツルメンツ 代表取締役社長就任
- 1986年(昭和61年)- 日本テキサス・インスツルメンツ 社長 兼 米テキサス・インスツルメンツ上席副社長就任
- 1988年(昭和61年)- 米テキサス州ダラスに移住
- 1996年(平成8年)- 3月 退職
- 1996年(平成8年)- 10月 AAKI Semiconductor(現ボール・セミコンダクタ)設立
- 2004年(平成16年)- 3月30日 胃がんのため死去
参考文献
- 石川明. "挑む 石川明氏 (テキサス・インスツルメンツ前上級副社長) 手作りゴルフ場・半導体メ-カ-… 夢に向かって走る." 日経ビジネス 864 (1996): 86-88.
- 石川明,山根一眞. "メタルカラーの時代 (493) 世界市場を震撼させる直径 1 ミリの球状半導体 (1) 特許申請は 300 件以上! 米テキサス州ダラスに誕生した日本のハイテクベンチャーの挑戦--ボールセミコンダクター 石川明さん." 週刊ポスト 33.27 (2001): 184-187.
- 日経ビジネス 2004年4月12日号 P12 時事潮流
- 仲野英志 『ITの先駆者丸い半導体(ボール・セミコンダクター)に挑んだ男たち』 2006年、新生出版、ISBN 978-4-86128-165-5。
特許
- アメリカ合衆国特許第 6,366,206号
- アメリカ合衆国特許第 6,546,268号
- アメリカ合衆国特許第 5,955,776号
- アメリカ合衆国特許第 6,447,448号
- アメリカ合衆国特許第 6,415,184号
- アメリカ合衆国特許第 6,464,687号
- アメリカ合衆国特許第 6,266,567号
- アメリカ合衆国特許第 6,251,550号
- アメリカ合衆国特許第 6,261,247号
- アメリカ合衆国特許第 5,945,725号
- アメリカ合衆国特許第 6,178,131号
- アメリカ合衆国特許第 6,179,922号
- アメリカ合衆国特許第 6,355,873号
- アメリカ合衆国特許第 6,423,974号
- アメリカ合衆国特許第 6,203,658号
他多数