「鵺」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
47行目: | 47行目: | ||
== 文献における鵺 == |
== 文献における鵺 == |
||
14世紀半前半に[[兼好法師]]によって書かれた[[徒然草]]の第二百十段は次のとおりである。「喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或る真言書の中に喚子鳥(よぶこどり)鳴く時招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集の長歌に「霞立つ長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞ゆ。」これは「ある真言書」に出てくる喚子鳥が鵺のことであるとその区別を指摘したうえで、鵺=喚子鳥と同一視される理由をその「ことざま」が類似しているためであろうという考察を加えている<ref>{{Cite book|和書|author=[[西尾実・安良岡康作校注]]|title=新訂徒然草|year=2000|publisher=[[岩波文庫]]|isbn=978-4-00-301121-8|page=438}}</ref>守覚法親王によって東密小野流に伝えられた諸尊法を集成した13世紀半ばに書かれた[[秘鈔]]の巻九に「延命招魂作法」の項目があり、「毎初夜之時行之。後夜日中不然。」という記述が見られる<ref>{{Cite web|year=1908|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819738|title=秘鈔|publisher=太融寺 国立国会図書館蔵|accessdate=2020-2-22}}</ref>。ただし、ここには鵺(もしくは喚子鳥)についての記述は見られない。鵺が夜に鳴く鳥であるなら、その鳴き声が聞こえるのは夜であるはずである。したがって「喚子鳥(本来は鵺であろう)鳴く時招魂の法をば行ふ」とは、すなわち招魂の法が夜(の初めの方)に行われるべきであることを述べたものと考えられる。 |
14世紀半前半に[[吉田兼好|兼好法師]]によって書かれた[[徒然草]]の第二百十段は次のとおりである。「喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或る真言書の中に喚子鳥(よぶこどり)鳴く時招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集の長歌に「霞立つ長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞ゆ。」これは「ある真言書」に出てくる喚子鳥が鵺のことであるとその区別を指摘したうえで、鵺=喚子鳥と同一視される理由をその「ことざま」が類似しているためであろうという考察を加えている<ref>{{Cite book|和書|author=[[西尾実・安良岡康作校注]]|title=新訂徒然草|year=2000|publisher=[[岩波文庫]]|isbn=978-4-00-301121-8|page=438}}</ref>守覚法親王によって東密小野流に伝えられた諸尊法を集成した13世紀半ばに書かれた[[秘鈔]]の巻九に「延命招魂作法」の項目があり、「毎初夜之時行之。後夜日中不然。」という記述が見られる<ref>{{Cite web|year=1908|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819738|title=秘鈔|publisher=太融寺 国立国会図書館蔵|accessdate=2020-2-22}}</ref>。ただし、ここには鵺(もしくは喚子鳥)についての記述は見られない。鵺が夜に鳴く鳥であるなら、その鳴き声が聞こえるのは夜であるはずである。したがって「喚子鳥(本来は鵺であろう)鳴く時招魂の法をば行ふ」とは、すなわち招魂の法が夜(の初めの方)に行われるべきであることを述べたものと考えられる。 |
||
== 史跡 == |
== 史跡 == |
2020年4月13日 (月) 08:55時点における版
鵺、鵼、恠鳥、夜鳥、奴延鳥(ぬえ)は、日本で伝承される妖怪である。
外見
『平家物語』などに登場し、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇。文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で足が狸、尾は狐になっている。さらに頭が猫で胴は鶏と書かれた資料もある[1]。
描写される姿形は、北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の乾(犬とイノシシ)といった干支を表す獣の合成という考えもある[注 1]。
行動
「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。映画『悪霊島』(原作 横溝正史)のキャッチフレーズ、「鵺の鳴く夜は恐ろしい」とはこのことである。
一説には雷獣である。
平安時代後期に出現したとされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある[2]。
名称
元来、鵺(や)はキジに似た鳥[3]とされるが正確な同定は不明である。「夜」は形声の音符であり、意味を伴わない。鵼(こう・くう)は怪鳥[3]とされる。
日本では、夜に鳴く鳥とされ、『古事記』『万葉集』に名が見られる[2]。この鳴き声の主は、鳩大で黄赤色の鳥[3]と考えられたが、現在では、トラツグミとするのが定説である[2]。この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという[2]。
『平家物語』にある怪物はあくまで「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」で名前はついていなかった。しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちらの方が有名である。
この意が転じて、掴みどころがなく、立ち回りは巧みだが得体の知れない人物を喩える際に使われる。
鵺退治
『平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』などによると、鵺退治の話は以下のように述べられている。平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。
側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある[4])を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した[5][6]。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという[5]。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し[7]、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。
退治された鵺のその後については諸説ある。『平家物語』などによれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を船に乗せて鴨川に流した。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着した後、海を漂って芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられた。芦屋の人々はこの屍骸をねんごろに葬り、鵺塚を造って弔ったという[5]。鵺を葬ったとされる鵺塚は、『摂津名所図会』では「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」とある[5]。
また江戸時代初期の地誌『芦分船』によれば、鵺は淀川下流に流れ着き、祟りを恐れた村人たちが母恩寺の住職に告げ、ねんごろに弔って土に埋めて塚を建てたものの[2][8]、明治時代に入って塚が取り壊されかけ、鵺の怨霊が近くに住む人々を悩ませ、慌てて塚が修復されたという[6]。一方で『源平盛衰記』『閑田次筆』によれば、鵺は京都府の清水寺に埋められたといい、江戸時代にはそれを掘り起こしたために祟りがあったという[2]。
別説では鵺の死霊は1頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたという。この馬は良馬であったために平宗盛に取り上げられ、それをきっかけに頼政は反平家のために挙兵してその身を滅ぼすことになり、鵺は宿縁を晴らしたのだという[2]。
また静岡県の浜名湖西方に鵺の死体が落ちてきたともいい、浜松市北区の三ヶ日町鵺代、胴崎、羽平、尾奈といった地名はそれぞれ鵺の頭部、胴体、羽、尾が落ちてきたという伝説に由来する[9]。
愛媛県上浮穴郡久万高原町には、鵺の正体は頼政の母だという伝説もある。かつて平家全盛の時代、頼政の母が故郷のこの地に隠れ住んでおり、山間部の赤蔵ヶ池という池で、息子の武運と源氏再興をこの池の主の龍神に祈ったところ、祈祷と平家への憎悪により母の体が鵺と化し、京都へ飛んで行った。母の化身した鵺は天皇を病気にさせた上、自身を息子・頼政に退治させることで手柄を上げさせたのである。頼政の矢に貫かれた鵺は赤蔵ヶ池に舞い戻って池の主となったものの、矢傷がもとで命を落としたという[10]。
文献における鵺
14世紀半前半に兼好法師によって書かれた徒然草の第二百十段は次のとおりである。「喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或る真言書の中に喚子鳥(よぶこどり)鳴く時招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集の長歌に「霞立つ長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞ゆ。」これは「ある真言書」に出てくる喚子鳥が鵺のことであるとその区別を指摘したうえで、鵺=喚子鳥と同一視される理由をその「ことざま」が類似しているためであろうという考察を加えている[11]守覚法親王によって東密小野流に伝えられた諸尊法を集成した13世紀半ばに書かれた秘鈔の巻九に「延命招魂作法」の項目があり、「毎初夜之時行之。後夜日中不然。」という記述が見られる[12]。ただし、ここには鵺(もしくは喚子鳥)についての記述は見られない。鵺が夜に鳴く鳥であるなら、その鳴き声が聞こえるのは夜であるはずである。したがって「喚子鳥(本来は鵺であろう)鳴く時招魂の法をば行ふ」とは、すなわち招魂の法が夜(の初めの方)に行われるべきであることを述べたものと考えられる。
史跡
- 鵺塚(阪神芦屋駅近く、松浜公園の一画)
- 『平家物語』で川に流された鵺を葬ったとされる塚[5]。付近に掛かっている鵺塚橋の名はこの鵺塚に由来する[7]。
- 鵺塚(大阪市都島区)
- 『芦分船』で淀川下流に流れ着いた鵺を葬ったとされる塚。現在の塚は前述の通り1870年に大阪府が改修したもので、祠も1957年に地元の人々によって改修されたもの[13]。
- 鵺塚(京都府)
- 岡崎公園運動場付近。京都の清水寺に鵺を葬ったという伝承との関連性は不明。発掘調査の結果、古墳時代の墳墓であることが判明している[2][14]。
- 鵺池
- 二条城北西の上京区主税町、二条公園にある池。頼政が鵺を射抜いて血塗られた矢を洗ったとされる。鵺池碑(復旧)が建立されている[15]。現在では池跡が親水施設状に改装されている[16][17]。
- 神明神社
- 京都市下京区。頼政が鵺退治の前にここで祈願し、見事退治した礼といって矢尻を奉納したという。この矢尻は社宝とされ、普段は写真のみ展示されており、毎年9月の祭礼で実物が公開される[16]。
- 矢根地蔵
- 京都府亀岡市。頼政が鵺退治の際、守り本尊である地蔵菩薩に願をかけたところ、夢枕に地蔵が現れ、矢田の鶏山の白鳥の羽で矢を作るよう告げた。この伝承にちなみ、この地蔵は矢尻を持った姿をしているが、普段は非公開[2][7]。
- 長明寺
- 兵庫県西脇市。この地はもとは頼政の所領地であり、寺の境内には頼政による鵺退治の像があるほか、寺のそばの矢竹藪という竹薮は、頼政が鵺退治の矢に用いる竹を採取したといわれる[16]。
これらのほか、大分県別府市の八幡地獄にあったテーマパーク「怪物館」には鵺のミイラがあったといい、ほかにも類のない貴重なものと言われたが、このテーマパークは現存せず、ミイラの行方も判明していない[18]。
鵺に関連する文化
- 能の演目『鵺』 - 平家物語の説話を基にした、世阿弥の作。切能(五番目物)の畜類物。
- 石見神楽 - 同じく源頼政の鵺退治伝説を基にした『頼政』を代表的演目の一つに持つ神楽。
- 鵺払い祭り - 静岡県伊豆の国市伊豆長岡温泉で毎年1月28日に行われる祭り。「鵺踊り」や「餅まき」が行われる[19]。
- 大阪港では、紋章デザインのモチーフとして鵺が使われている。鵺塚の伝説から、鵺と大阪湾が関係しているため選定された[8]。
脚注
注釈
出典
- ^ 水木しげる『日本妖怪大全』講談社〈KCデラックス〉、1991年、324頁。ISBN 978-4-06-313210-6。
- ^ a b c d e f g h i 村上 2007, pp. 12–17
- ^ a b c 角川書店『角川漢和中辞典』「鵺」「鵼」[要文献特定詳細情報]
- ^ 『平家物語』 上、梶原正昭・山下宏明校注、岩波書店〈新日本古典文学大系〉、1991年、256頁。ISBN 978-4-00-240044-0。
- ^ a b c d e 田辺 1998, pp. 88–89
- ^ a b 多田 1990, pp. 319–323
- ^ a b c 村上 2002, pp. 64–76
- ^ a b “大阪市市政 大阪港紋章について”. 大阪市役所 (2009年3月16日). 2009年11月11日閲覧。
- ^ 村上 2008, pp. 182–183
- ^ 村上 2008, p. 337.
- ^ 西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫、2000年、438頁。ISBN 978-4-00-301121-8。
- ^ “秘鈔”. 太融寺 国立国会図書館蔵 (1908年). 2020年2月22日閲覧。
- ^ “鵺塚”. 都島区ドットコム (2002年). 2012年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月24日閲覧。
- ^ “鵺塚(京都)”. 『怪』 -KWAI Network-. 角川書店. 2010年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月19日閲覧。
- ^ “KA068 鵺池碑”. 京都のいしぶみデータベース. 京都市. 2019年5月20日閲覧。
- ^ a b c 村上 2008, pp. 229–230
- ^ “上京区の史蹟百選/鵺池”. 上京区役所総務課 (2008年10月21日). 2009年11月11日閲覧。
- ^ 山口敏太郎・天野ミチヒロ『決定版! 本当にいる日本・世界の「未知生物」案内』笠倉出版社、2007年、138-139頁。ISBN 978-4-7730-0364-2。
- ^ “鵺払い祭”. 伊豆の国市役所 (2005年). 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月19日閲覧。
参考文献
- 多田克己『幻想世界の住人たち(日本編)』 IV、新紀元社〈Truth In Fantasy〉、1990年。ISBN 978-4-915146-44-2。
- 田辺眞人『神戸の伝説』神戸新聞総合出版センター、1998年。ISBN 978-4-87521-076-4。
- 村上健司『妖怪ウォーカー』角川書店〈Kwai books〉、2002年。ISBN 978-4-04-883760-6。
- 村上健司『京都妖怪紀行 - 地図でめぐる不思議・伝説地案内』角川書店〈角川oneテーマ21〉、2007年。ISBN 978-4-04-710108-1。
- 村上健司『日本妖怪散歩』角川書店〈角川文庫〉、2008年。ISBN 978-4-04-391001-4。