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「ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク」の版間の差分

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'''ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク=ラッツェブルク'''(Dorothea von Sachsen-Lauenburg-Ratzeburg, [[1511年]][[7月9日]] - [[1571年]][[10月7日]])は、[[デンマーク=ノルウェー]]の王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]の王妃。[[デンマーク語]]名ではDorothea af Sachsen-Lauenburg。
'''ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク=ラッツェブルク'''(Dorothea von Sachsen-Lauenburg-Ratzeburg, [[1511年]][[7月9日]] - [[1571年]][[10月7日]])は、[[デンマーク=ノルウェー]]の王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]の王妃。[[デンマーク語]]名ではDorothea af Sachsen-Lauenburg。


== 生涯 ==
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2020年6月13日 (土) 04:57時点における版

ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク=ラッツェブルク
Dorothea von Sachsen-Lauenburg-Ratzeburg
デンマーク=ノルウェー王妃
在位 1534年 - 1559年

出生 (1511-07-09) 1511年7月9日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ラウエンブルク
死去 (1571-10-07) 1571年10月7日(60歳没)
デンマークの旗 デンマーク=ノルウェースナボー
埋葬 デンマークの旗 デンマーク=ノルウェーロスキレ大聖堂
配偶者 デンマーク=ノルウェークリスチャン3世
子女 アンナ
フレゼリク
マグヌス
ハンス
ドロテア
家名 ザクセン=ラウエンブルク家
父親 ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世
母親 カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク
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ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク=ラッツェブルク(Dorothea von Sachsen-Lauenburg-Ratzeburg, 1511年7月9日 - 1571年10月7日)は、デンマーク=ノルウェーの王クリスチャン3世の王妃。デンマーク語名ではDorothea af Sachsen-Lauenburg。

生涯

ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世と妃カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイクの娘。妹カタリーナスウェーデングスタフ1世の最初の妃である。

1525年にクリスチャン3世と結婚し、5子をもうけた。

ドロテアは1571年に亡くなり、ロスキレ大聖堂で夫の隣に葬られた。