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'''飯倉 大樹'''(いいくら ひろき、[[1986年]][[6月1日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ヴィッセル神戸]]所属。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。 |
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2020年10月13日 (火) 02:29時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ヒロキ、ペレ | |||||
カタカナ | イイクラ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | IIKURA Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年6月1日(38歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ヴィッセル神戸 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2019 | 横浜F・マリノス | 225 | (0) | |||
2006 | →ロッソ熊本 (loan) | 26 | (0) | |||
2019- | ヴィッセル神戸 | 12 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
飯倉 大樹(いいくら ひろき、1986年6月1日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはゴールキーパー。
経歴
小学生まではフィールドプレイヤーであり、中学生になってからゴールキーパーに転向[1]。内藤友康とはジュニアユース時代のチームメイトで、2人でレギュラーを争っていた。また、2003年NEW!!わかふじ国体の神奈川県選抜でも同じチームで活躍した。
2005年にトップチームに昇格し、2006年に当時JFLに昇格したばかりのロッソ熊本(現・ロアッソ熊本)へ期限付き移籍し、リーグ戦26試合に出場した。2007年に復帰し、第29節の清水エスパルス戦でJリーグデビューを果たしたが、チームは0-2で敗れた。
2009年6月28日のJリーグ第15節ガンバ大阪戦(横浜国際総合競技場)で、ボールがラインを割ってコーナーキックになることを阻止しようとしてピッチ内に戻したボールが橋本英郎の足元に渡ってしまいゴールを許した。試合はこのゴールが決勝ゴールとなり1-2で逆転負けした。
9月6日、ヤマザキナビスコカップ準決勝2ndlegの川崎フロンターレ戦で、川崎のジュニーニョの遅延行為(直前に鄭大世のファウルにより、ホイッスルが鳴っているにもかかわらず、プレーを続けようとしていたこと)に対して激高。ジュニーニョを後ろから突き飛ばし退場処分を受けた。その後も抗議して、主審の胸を両手で押した。マリノスはこの時交代枠が無くなっていたために水沼宏太が急遽GKを務めたが、そのジュニーニョに同点ゴールを決められ敗退した。このプレーに対して9月11日、Jリーグは公式戦6試合の出場停止処分(J1リーグ戦5試合+天皇杯全日本選手権2回戦+サテライトリーグ1試合)を科した。
前述のように2009年はミスも目立ったものの、先輩の榎本哲也とポジションを争い19試合に出場した。
2010年は自身初のリーグ戦全試合出場を果たし、榎本から正GKの座を奪った。2011年も度々ファインセーブを見せ、チームの前半戦首位に貢献。しかし、チームは後半戦で失速し結局5位だった。ワールドカップアジア3次予選の予備登録メンバーにも選出された。
2012年も開幕から正GKを務めたが、7試合勝利なし低迷。しかし、第8節のヴィッセル神戸戦で初勝利を上げるとそこから15試合負けなしとチームは一変した。しかし、第23節のセレッソ大阪戦より3連敗し、終盤戦は榎本にポジションを譲った。
2013年は4年ぶりに開幕ベンチスタートとなったが、第3節のジュビロ磐田戦ではベンチからも外れた。4月6日に体調不良を訴えて横浜市内の病院に入院[2]。4月16日、心外膜炎と診断された[3]。9月の天皇杯でベンチ入りメンバーに復帰。
2015年は榎本からポジションを奪い正GKの座を確保した。2016年シーズンも開幕からスタメン出場を続けていたが、5月14日の鹿島アントラーズ戦で前半に負傷し、後半は榎本と交代しピッチを去った。その後再び榎本にポジションを奪われたものの、2017年に榎本が浦和レッズへ移籍したため、同年の開幕戦からスタメンに復帰。2010年以来となる全試合フル出場を果たした。
2018年も全試合フル出場を果たしたが、2019年シーズンの第5節のサガン鳥栖戦ではベンチスタートとなり、リーグ戦の連続フル出場は76試合で止まった[4]。その試合以降、同年新加入の朴一圭にレギュラーを奪われた[5]。
同年7月26日、キム・スンギュが移籍し[6]、GKを探していたヴィッセル神戸への移籍が発表された[7]。移籍発表2日後の7月28日に行われたマンチェスター・シティFC戦の後半30分から出場し、それがマリノスでのラストマッチとなった[8]。8月2日に行われたガンバ大阪戦で移籍後初出場を果たした[9]。その後もレギュラーとして活躍し、チーム初タイトルとなる天皇杯優勝にも貢献した。
2020年2月8日、FUJI XEROX SUPER CUPの横浜FM戦では、PK戦で2本ストップして優勝に貢献した[10]。
所属クラブ
- 1993年 - 1996年 FCイーグルス
- 1997年 - 1998年 横浜F・マリノスプライマリー追浜
- 1999年 - 2001年 横浜F・マリノスジュニアユース追浜(横浜市立本郷中学校)
- 2002年 - 2004年 横浜F・マリノスユース(藤嶺学園藤沢高校)
- 2005年 - 2019年7月 横浜F・マリノス
- 2006年 ロッソ熊本 (現:ロアッソ熊本)(期限付き移籍)
- 2019年7月 - ヴィッセル神戸
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 横浜FM | 16 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 熊本 | 21 | JFL | 26 | 0 | - | 2 | 0 | 28 | 0 | |
2007 | 横浜FM | 31 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2009 | 21 | 19 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 27 | 0 | ||
2010 | 34 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 41 | 0 | |||
2011 | 33 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 42 | 0 | |||
2012 | 28 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | |||
2013 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2014 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2015 | 25 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 30 | 0 | |||
2016 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 14 | 0 | |||
2017 | 34 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 38 | 0 | |||
2018 | 34 | 0 | 10 | 0 | 3 | 0 | 47 | 0 | |||
2019 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |||
神戸 | 18 | 12 | 0 | - | 5 | 0 | 17 | 0 | |||
2020 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 237 | 0 | 36 | 0 | 28 | 0 | 301 | 0 | |
日本 | JFL | 26 | 0 | - | 2 | 0 | 28 | 0 | |||
総通算 | 263 | 0 | 36 | 0 | 30 | 0 | 329 | 0 |
その他の公式戦
- 2020年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2005 | 横浜FM | 16 | 0 | 0 |
2014 | 21 | 0 | 0 | |
2020 | 神戸 | 18 | ||
通算 | AFC |
タイトル
- 横浜F・マリノスジュニアユース追浜
- 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会 (2001年)
- 神奈川県選抜
- NEW!!わかふじ国体(2003年)
- 横浜F・マリノス
- ヴィッセル神戸
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回 (2019年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2020年)
代表歴
- 2001年 U-15日本代表
脚注
- ^ “【ライターコラムfrom横浜FM】走行距離は異例の7キロ超…新たなGK像を模索する飯倉大樹”. SOCCERKING (2018年3月16日). 2018年10月27日閲覧。
- ^ 横浜FMのGK飯倉大樹が心外膜炎で離脱 SOKKER KING 2013年4月16日
- ^ 飯倉弘樹選手の検査結果について 横浜F.マリノス公式サイト 2013年4月16日
- ^ 横浜FM守護神飯倉ベンチスタート、連続フル出場76試合でストップ…鳥栖はトーレスがベンチ外 - ゲキサカ 2019年3月29日
- ^ “ハイリスク”なマリノスを支える、GK朴一圭の視線が気になって観察。Number 2019年7月13日
- ^ 神戸が横浜GK飯倉大樹を完全移籍で獲得する一方、韓国代表守護神キム・スンギュの古巣への“復帰”を発表!サッカーダイジェストWeb 2019年07月26日
- ^ GK飯倉大樹選手が横浜F・マリノスより完全移籍加入のお知らせヴィッセル神戸 2019年7月26日
- ^ 【横浜】神戸移籍前のラストマッチ、試合終了の瞬間、ピッチ上の飯倉大樹は何を思ったかサッカーダイジェストWeb 2019年07月28日
- ^ 神戸新加入のGK飯倉、新天地初戦で存在感「何がベストか模索したい」サンスポ 2019年8月2日
- ^ “珍PK劇”に神戸GK飯倉「いい加減にせえよ、お前ら(笑)」初の古巣戦で優勝立役者ゲキサカ 2020年2月8日
関連項目
外部リンク
- 飯倉大樹 - J. League Data Siteによる選手データ
- ヴィッセル神戸 選手/スタッフ : 飯倉 大樹
- hiroki21ikura (@hiroki21ikura) - Instagram