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予選敗退後、[[ロナルド・クーマン]]が監督に就任。代表内の世代交代を図り、[[フレンキー・デ・ヨング]]や[[マタイス・デ・リフト]]を主力に定着させた。2020年の夏、クーマンを[[FCバルセロナ]]に引き抜かれると、後任に[[フランク・デ・ブール]]が招聘され<ref>{{Cite web|title=オランダ代表監督にフランク・デブール氏が就任|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202009240000257.html|accessdate=2020-9-24|publisher=日刊スポーツ}}</ref>、[[UEFA EURO 2020予選]]は危なげなく突破し、本大会出場を決めた。その本大会では、グループステージで[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]、[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ]]、[[サッカー北マケドニア代表|北マケドニア]]と同居。3戦全勝で決勝トーナメントに進出すると、ベスト16で[[サッカーチェコ代表|チェコ代表]]と顔を合わせた<ref>{{Cite web|title=オランダ、3連勝で決勝Tへ弾み! 北マケドニアのパンデフは代表引退|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/euro/20210622/1541962.html|accessdate=2021-6-22|publisher=サッカーキング}}</ref>。試合の52分、スペースへ飛び出した[[パトリック・シック]]に並走していたデ・リフトが足を滑らせ、咄嗟に左手でボールを弾いた。VAR判定の結果、レッドカードがデ・リフトに掲示され、数的不利になったオランダは68分、80分と立て続けに被弾し、0-2で大会を後にした<ref>{{Cite web|title=オランダはデ・リフト痛恨の退場…チェコが2発快勝で2大会ぶりの準々決勝進出!|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/euro/20210628/1544025.html|accessdate=2021-6-28|publisher=サッカーキング}}</ref>。大会敗退が決定した2日後、デ・ブール監督の退任が発表された<ref>{{Cite web|url=https://nos.nl/l/2387210|title=Frank de Boer stapt per direct op als bondscoach van het Nederlands elftal|website=nos.nl|date=2021-6-29|accessdate=2021-6-30 }}</ref>。 |
予選敗退後、[[ロナルド・クーマン]]が監督に就任。代表内の世代交代を図り、[[フレンキー・デ・ヨング]]や[[マタイス・デ・リフト]]を主力に定着させた。2020年の夏、クーマンを[[FCバルセロナ]]に引き抜かれると、後任に[[フランク・デ・ブール]]が招聘され<ref>{{Cite web|title=オランダ代表監督にフランク・デブール氏が就任|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202009240000257.html|accessdate=2020-9-24|publisher=日刊スポーツ}}</ref>、[[UEFA EURO 2020予選]]は危なげなく突破し、本大会出場を決めた。その本大会では、グループステージで[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]、[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ]]、[[サッカー北マケドニア代表|北マケドニア]]と同居。3戦全勝で決勝トーナメントに進出すると、ベスト16で[[サッカーチェコ代表|チェコ代表]]と顔を合わせた<ref>{{Cite web|title=オランダ、3連勝で決勝Tへ弾み! 北マケドニアのパンデフは代表引退|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/euro/20210622/1541962.html|accessdate=2021-6-22|publisher=サッカーキング}}</ref>。試合の52分、スペースへ飛び出した[[パトリック・シック]]に並走していたデ・リフトが足を滑らせ、咄嗟に左手でボールを弾いた。VAR判定の結果、レッドカードがデ・リフトに掲示され、数的不利になったオランダは68分、80分と立て続けに被弾し、0-2で大会を後にした<ref>{{Cite web|title=オランダはデ・リフト痛恨の退場…チェコが2発快勝で2大会ぶりの準々決勝進出!|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/euro/20210628/1544025.html|accessdate=2021-6-28|publisher=サッカーキング}}</ref>。大会敗退が決定した2日後、デ・ブール監督の退任が発表された<ref>{{Cite web|url=https://nos.nl/l/2387210|title=Frank de Boer stapt per direct op als bondscoach van het Nederlands elftal|website=nos.nl|date=2021-6-29|accessdate=2021-6-30 }}</ref>。 |
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[[2022 FIFAワールドカップ]]は2大会ぶりの出場。グループリーグは開催国[[カタール]]も含む[[2022 FIFAワールドカップ・グループA|グループA]]に入り、初戦で[[サッカーセネガル代表|セネガル]]と対戦。立ち上がりからセネガルにボールを持たれ続け、劣勢の中でも相手に得点を与えず、互いに攻守の強度が高い引き締まった時間が続く。だが、スコアレスのまま終了かと思われた84分に[[コーディ・ガク |
[[2022 FIFAワールドカップ]]は2大会ぶりの出場。グループリーグは開催国[[カタール]]も含む[[2022 FIFAワールドカップ・グループA|グループA]]に入り、初戦で[[サッカーセネガル代表|セネガル]]と対戦。立ち上がりからセネガルにボールを持たれ続け、劣勢の中でも相手に得点を与えず、互いに攻守の強度が高い引き締まった時間が続く。だが、スコアレスのまま終了かと思われた84分に[[コーディ・ガクポ]]がヘディングシュートを決めて先制すると、終了間際にも追加点を奪い取り2-0で初戦勝利。だが続く第2戦の[[サッカーエクアドル代表|エクアドル]]戦では6分にガクポの2試合連続ゴールで先制するも、49分に[[エネル・バレンシア]]のゴールで同点とされ1-1の引き分けに終わる。第3戦の[[サッカーカタール代表|カタール]]戦では26分にガクポの3試合連続ゴールで先制すると49分には[[フレンキー・デ・ヨング]]のゴールで追加点を奪う。以降は最後まで開催国カタールに最後までチャンスを作らせないまま2-0で勝利し勝点7のグループA1位で決勝トーナメント進出を決めた(開催国カタールは3連敗で開催国が1勝もできずにグループリーグで敗退したのは大会史上初のことである)。2大会ぶりに進出した決勝トーナメント1回戦では[[サッカーアメリカ代表|アメリカ]]と対戦。10分に[[メンフィス・デパイ]]、45+1分に[[デイリー・ブリント]の2つのゴールで前半を終える。だが後半は決定機こそ作りながらも再三の決定機を[[マット・ターナー]]の好セーブの前に決めきれず。76分には[[ハジ・ライト]]に1点を返されてしまう。それでも81分に[[デンゼル・ダンフリース]]のゴールでトドメを刺し3-1で勝利し2大会ぶりの準々決勝進出を決める。準々決勝は[[リオネル・メッシ]]擁する[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]と対戦。オランダは立ち上がりからリオネル・メッシの巧みなパスワークを止められず。35分には[[ナウエル・モリーナ]]に先制ゴールを奪われ、今大会初めて先制を許す展開に。1点ビハインドで試合を折り返した後半もアルゼンチンにペースを握られ73分にはリオネル・メッシにPKを決められ敗退が決まるかと思われた。だが78分にメンフィス・デパイと交代した[[ボウト・ベグホルスト]]が交代から5分後に1点を返すと、45分+11分にはそのベグホルストがセットプレーから同点に追いつき試合は延長戦へ。その延長戦でもスコアは2-2のまま変わらず、勝負はPK戦へ。オランダは1人目の[[フィルジル・ファン・ダイク]]、2人目の[[ステフェン・ベルハイス]]が連続でGK[[エミリアーノ・マルティネス]]にセーブされ、続く[[トゥーン・コープマイネルス]]、2点ビハインドから2つのゴールで同点に追いつきチームを敗戦の危機から救ったボウト・ベグホルスト、[[ルーク・デ・ヨング]]はPKを成功させたが、最後はアルゼンチンの5人目[[ラウタロ・マルティネス]]に決められたところで試合終了。初優勝を目指した2大会ぶりの大舞台はベスト8で幕を閉じた。オランダを下したアルゼンチンは準決勝でクロアチアに3ゴールで快勝し決勝進出。決勝では前回大会覇者のフランスを3-3からのPK戦の末に破り36年ぶり3回目の優勝を成し遂げた。 |
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== ユニフォーム == |
== ユニフォーム == |
2022年12月26日 (月) 13:40時点における版
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国または地域 | オランダ | |||
協会 | オランダサッカー協会 | |||
FIFAコード | NED | |||
愛称 |
Oranje(オランイェ) オレンジ軍団 | |||
監督 | ルイ・ファン・ハール | |||
最多出場選手 | ヴェスレイ・スナイデル(134試合) | |||
最多得点選手 | ロビン・ファン・ペルシ(50得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
ベルギー 1-4 オランダ (アントウェルペン, ベルギー, 1905年4月30日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
オランダ 11-0 サンマリノ (アイントホーフェン, オランダ, 2011年9月2日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
イングランド 12-2 オランダ (ダーリントン, イングランド, 1907年12月21日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 11回(初出場は1934) | |||
最高成績 | 準優勝(1974, 1978, 2010) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 10回 | |||
最高成績 | 優勝(1988) | |||
サッカーオランダ代表(サッカーオランダだいひょう、蘭: Nederlands voetbalelftal)は、オランダサッカー協会(KNVB)によって編成されるオランダのサッカーのナショナルチーム。
スタジアム
ホームスタジアムは3つある。
- ヨハン・クライフ・アレナ (アムステルダム) 収容人数:53,502人
- フィリップス・スタディオン (アイントホーフェン) 収容人数:35,000人
- フェイエノールト・スタディオン (ロッテルダム) 収容人数:51,117人
歴史
FIFAランキングで1位になった経験を持つ8ヶ国の一つで、世界でも屈指の強豪国である。しかしFIFAワールドカップでは未だ優勝経験が無い。
ワールドカップでは初出場の1934年大会と、続く1938年大会で両方とも初戦の16強で敗退した。
3回目の出場となった1974 FIFAワールドカップでは準優勝を果たし、リヌス・ミケルス監督の下、ヨハン・クライフを中心にトータルフットボールと呼ばれる戦術でサッカー界に革命を起こした。1978 FIFAワールドカップでもクライフを欠きながら決勝まで駒を進めるも、地元アルゼンチンに敗れ準優勝となった。
UEFA欧州選手権1988では後にACミラン黄金時代の中核を担うこととなるオランダトリオ(ファン・バステン、ルート・フリット、フランク・ライカールト)を擁したチームで臨み、準決勝で西ドイツに2-1で、決勝でソ連に2-0で勝利し初優勝を果たした。決勝戦でファン・バステンが決めた難易度の高いボレーシュートは大きな印象を残した。
1998 FIFAワールドカップではベルカンプ、パトリック・クライファート、クラレンス・セードルフ、フランク・デ・ブールら攻守にスター選手を擁して優勝候補の一角に挙げられていた。高い前評判に応える内容で勝ち上がり、準々決勝でアルゼンチンに2-1で勝利して準決勝まで進むもブラジルにPK戦の末敗れ、さらに3位決定戦で初出場のクロアチアにも敗れて4位に終わった。
これ以降は地元開催となったEURO 2000では準決勝でイタリアにPK戦で敗れベスト4、2002 FIFAワールドカップは予選敗退、EURO 2004では準決勝で開催国ポルトガルに敗れてベスト4、2006 FIFAワールドカップではラウンドオブ16でポルトガルに敗れベスト16、EURO 2008では準々決勝でロシアに敗れベスト8に終わるなど、高い前評判に応えきれない成績で終わる大会が続いてきた。
2010 FIFAワールドカップでは準々決勝で1974年大会を最後に7試合で勝利が無かったブラジルに2-1で勝ち、準決勝でもウルグアイに3-2で競り勝つなど、欧州予選から準決勝まで14試合全勝で32年ぶりの決勝進出を果たすも、決勝で同じく初優勝を狙うスペインに延長戦までもつれた末に0-1で敗れ、またしても準優勝という結果となった。
UEFA EURO 2012ではデンマーク、ドイツ、ポルトガルと同じ死の組に入るが全敗を喫した。FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権を合わせて本大会に出場すればグループステージは11連続で突破していたが、UEFA欧州選手権1980以来の敗退となった。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦で前回優勝国で決勝にて敗れたスペインを5-1で破り、3連勝でグループリーグを首位で通過した。ラウンドオブ16でメキシコに勝利し、準々決勝ではコスタリカに対して延長引き分けPK戦の末、2大会連続でベスト4に進出した。しかし、準決勝のアルゼンチン戦では延長引き分けのPK戦の末、決勝進出を逃した。3位決定戦ではブラジルに勝利し大会無敗(5勝2分)で3位となった。欧州予選は9勝1分0敗で突破しており、地区予選から無敗での3位は1978 FIFAワールドカップのブラジル以来2チーム目となった。
2014年9月、UEFA EURO 2016の予選からフース・ヒディンクが監督として指揮を執ったが、成績不振で2015年6月契約が解除となった。同年7月よりダニー・ブリントが監督に就任したが、予選グループA4位で1984年大会以来8大会ぶりに予選敗退となった。
2018 FIFAワールドカップはヨーロッパ予選グループAでフランス、スウェーデン、ブルガリアなどと本大会出場を争ったが2017年3月25日、敵地でブルガリアに0-2で敗れるとブリント監督は解任された。その後はディック・アドフォカート監督がUEFA EURO 2004以来に再就任するも、グループA3位で4大会ぶりに予選敗退となった。
予選敗退後、ロナルド・クーマンが監督に就任。代表内の世代交代を図り、フレンキー・デ・ヨングやマタイス・デ・リフトを主力に定着させた。2020年の夏、クーマンをFCバルセロナに引き抜かれると、後任にフランク・デ・ブールが招聘され[1]、UEFA EURO 2020予選は危なげなく突破し、本大会出場を決めた。その本大会では、グループステージでオーストリア、ウクライナ、北マケドニアと同居。3戦全勝で決勝トーナメントに進出すると、ベスト16でチェコ代表と顔を合わせた[2]。試合の52分、スペースへ飛び出したパトリック・シックに並走していたデ・リフトが足を滑らせ、咄嗟に左手でボールを弾いた。VAR判定の結果、レッドカードがデ・リフトに掲示され、数的不利になったオランダは68分、80分と立て続けに被弾し、0-2で大会を後にした[3]。大会敗退が決定した2日後、デ・ブール監督の退任が発表された[4]。
2022 FIFAワールドカップは2大会ぶりの出場。グループリーグは開催国カタールも含むグループAに入り、初戦でセネガルと対戦。立ち上がりからセネガルにボールを持たれ続け、劣勢の中でも相手に得点を与えず、互いに攻守の強度が高い引き締まった時間が続く。だが、スコアレスのまま終了かと思われた84分にコーディ・ガクポがヘディングシュートを決めて先制すると、終了間際にも追加点を奪い取り2-0で初戦勝利。だが続く第2戦のエクアドル戦では6分にガクポの2試合連続ゴールで先制するも、49分にエネル・バレンシアのゴールで同点とされ1-1の引き分けに終わる。第3戦のカタール戦では26分にガクポの3試合連続ゴールで先制すると49分にはフレンキー・デ・ヨングのゴールで追加点を奪う。以降は最後まで開催国カタールに最後までチャンスを作らせないまま2-0で勝利し勝点7のグループA1位で決勝トーナメント進出を決めた(開催国カタールは3連敗で開催国が1勝もできずにグループリーグで敗退したのは大会史上初のことである)。2大会ぶりに進出した決勝トーナメント1回戦ではアメリカと対戦。10分にメンフィス・デパイ、45+1分に[[デイリー・ブリント]の2つのゴールで前半を終える。だが後半は決定機こそ作りながらも再三の決定機をマット・ターナーの好セーブの前に決めきれず。76分にはハジ・ライトに1点を返されてしまう。それでも81分にデンゼル・ダンフリースのゴールでトドメを刺し3-1で勝利し2大会ぶりの準々決勝進出を決める。準々決勝はリオネル・メッシ擁するアルゼンチンと対戦。オランダは立ち上がりからリオネル・メッシの巧みなパスワークを止められず。35分にはナウエル・モリーナに先制ゴールを奪われ、今大会初めて先制を許す展開に。1点ビハインドで試合を折り返した後半もアルゼンチンにペースを握られ73分にはリオネル・メッシにPKを決められ敗退が決まるかと思われた。だが78分にメンフィス・デパイと交代したボウト・ベグホルストが交代から5分後に1点を返すと、45分+11分にはそのベグホルストがセットプレーから同点に追いつき試合は延長戦へ。その延長戦でもスコアは2-2のまま変わらず、勝負はPK戦へ。オランダは1人目のフィルジル・ファン・ダイク、2人目のステフェン・ベルハイスが連続でGKエミリアーノ・マルティネスにセーブされ、続くトゥーン・コープマイネルス、2点ビハインドから2つのゴールで同点に追いつきチームを敗戦の危機から救ったボウト・ベグホルスト、ルーク・デ・ヨングはPKを成功させたが、最後はアルゼンチンの5人目ラウタロ・マルティネスに決められたところで試合終了。初優勝を目指した2大会ぶりの大舞台はベスト8で幕を閉じた。オランダを下したアルゼンチンは準決勝でクロアチアに3ゴールで快勝し決勝進出。決勝では前回大会覇者のフランスを3-3からのPK戦の末に破り36年ぶり3回目の優勝を成し遂げた。
ユニフォーム
旧国旗の色とオランダ王家(オラニエ=ナッサウ家、かつてオランジュの領主だった)にちなんでユニフォームの色をオレンジとしており、世界的に「オレンジ軍団」という愛称で知られている。また1974年のW杯では正確無比なトータルフットボールを展開したことから「時計じかけのオレンジ」というあだ名で呼ばれたことがある。
オレンジという国旗にない色をチームカラーとする世界でもまれなナショナルチームであり、ほかの例としては日本やイタリアの青、ドイツの白がある。
なおロゴに描かれた「王冠をかぶったライオン」も、オランダ王家の紋章が由来である。
FIFAワールドカップ成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1930 | 不参加 | ||||||
1934 | 1回戦敗退 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 |
1938 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | |
1950 | 不参加 | ||||||
1954 | |||||||
1958 | 予選敗退 | ||||||
1962 | |||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | 準優勝 | 7 | 5 | 1 | 1 | 15 | 3 |
1978 | 準優勝 | 7 | 3 | 2 | 2 | 15 | 10 |
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | |||||||
1990 | ベスト16 | 4 | 0 | 3 | 1 | 3 | 4 |
1994 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 8 | 6 |
1998 | 4位 | 7 | 3 | 3 | 1 | 13 | 7 |
2002 | 予選敗退 | ||||||
2006 | ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 |
2010 | 準優勝 | 7 | 6 | 0 | 1 | 12 | 6 |
2014 | 3位 | 7 | 5 | 2 | 0 | 15 | 4 |
2018 | 予選敗退 | ||||||
2022 | ベスト8 | 5 | 3 | 2 | 0 | 10 | 4 |
合計 | 出場11回 | 55 | 30 | 14 | 11 | 96 | 52 |
UEFA欧州選手権成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1960 | 不参加 | ||||||
1964 | 予選敗退 | ||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | 3位 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 5 |
1980 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 |
1984 | 予選敗退 | ||||||
1988 | 優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 8 | 3 |
1992 | ベスト4 | 4 | 2 | 2 | 0 | 6 | 3 |
1996 | ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 4 |
2000 | ベスト4 | 5 | 4 | 1 | 0 | 13 | 3 |
2004 | ベスト4 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | 6 |
2008 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 10 | 4 |
2012 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 5 |
2016 | 予選敗退 | ||||||
2021 | ベスト16 | 4 | 3 | 0 | 1 | 8 | 4 |
合計 | 出場10回/優勝1回 | 39 | 20 | 8 | 11 | 65 | 41 |
歴代監督
期間 | 氏名 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1905-1908 | セース・ファン・ハッセルト | 11 | 6 | 0 | 5 | |
1908-1913 | エドガー・チャドウィック | 27 | 16 | 2 | 9 | |
1914 | ビリー・ハンター | 4 | 2 | 1 | 1 | |
1919 | ジャック・レイノルズ | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1919-1923 | フレッド・ウォーバートン | 21 | 7 | 7 | 7 | |
1923 | ボブ・グレンデニング | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1924 | ウィリアム・タウンリー | 8 | 2 | 3 | 3 | |
1924 | ジョン・ボリントン | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1925-1940 | ボブ・グレンデニング | 86 | 35 | 15 | 36 | 1934 FIFAワールドカップ、1938 FIFAワールドカップ出場 |
1946 | カレル・カウフマン | 4 | 2 | 1 | 1 | |
1947-1948 | ジェッセ・カーヴァー | 10 | 6 | 2 | 2 | |
1948 | トム・スネッドン | 1 | 0 | 1 | 0 | |
1949 | カレル・カウフマン | 2 | 1 | 1 | 0 | |
1949-1954 | ヤープ・ファン・デル・レック | 29 | 5 | 3 | 21 | |
1954-1955 | カレル・カウフマン | 1 | 0 | 0 | 1 | |
1955 | フリードリヒ・ドネンフェルト | 1 | 0 | 1 | 0 | |
1955-1956 | マックス・メルケル | 10 | 7 | 1 | 2 | |
1956 | ハインリヒ・ミュラー | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1956-1957 | フリードリヒ・ドネンフェルト | 2 | 1 | 1 | 0 | |
1957 | ジョージ・ハードウィック | 5 | 1 | 1 | 3 | |
1957-1964 | エレク・シュヴァルツ | 49 | 19 | 12 | 18 | |
1964-1966 | デニス・ネヴィル | 8 | 2 | 3 | 3 | |
1966-1970 | ゲオルク・ケスラー | 28 | 10 | 6 | 12 | |
1970-1974 | フランティシェク・ファドロンツ | 20 | 13 | 4 | 3 | |
1974 | リヌス・ミケルス | 10 | 6 | 3 | 1 | 1974 FIFAワールドカップ出場 |
1974-1976 | ヘオルヘ・クノベル | 15 | 9 | 1 | 5 | UEFA EURO 1976出場 |
1976-1977 | ヤン・ズワルトクラウス | 4 | 3 | 1 | 0 | |
1977-1978 | エルンスト・ハッペル | 14 | 9 | 3 | 2 | 1978 FIFAワールドカップ出場 |
1978-1981 | ヤン・ズワルトクラウス | 22 | 8 | 6 | 8 | UEFA EURO 1980出場 |
1981 | ロプ・バーン | 1 | 1 | 0 | 0 | 暫定監督 |
1981-1984 | ケース・ライフェルス | 22 | 11 | 3 | 8 | |
1984-1985 | リヌス・ミケルス | 2 | 1 | 0 | 1 | |
1985-1986 | レオ・ベーンハッカー | 6 | 5 | 0 | 1 | |
1986-1988 | リヌス・ミケルス | 23 | 14 | 4 | 5 | UEFA EURO 1988出場 |
1988-1990 | テイス・リブレフツ | 11 | 6 | 3 | 2 | |
1990 | ノル・デ・ロイテル | 2 | 0 | 1 | 1 | 暫定監督 |
1990 | レオ・ベーンハッカー | 6 | 1 | 3 | 2 | 1990 FIFAワールドカップ出場 |
1990-1992 | リヌス・ミケルス | 19 | 11 | 5 | 3 | UEFA EURO 1992出場 |
1992-1994 | ディック・アドフォカート | 26 | 15 | 6 | 5 | 1994 FIFAワールドカップ出場 |
1995-1998 | フース・ヒディンク | 39 | 23 | 8 | 8 | UEFA EURO 1996、1998 FIFAワールドカップ出場 |
1998-2000 | フランク・ライカールト | 22 | 8 | 12 | 2 | UEFA EURO 2000出場 |
2000-2002 | ルイ・ファン・ハール | 14 | 8 | 4 | 2 | |
2002-2004 | ディック・アドフォカート | 29 | 16 | 7 | 6 | UEFA EURO 2004出場 |
2004-2008 | マルコ・ファン・バステン | 52 | 35 | 11 | 6 | 2006 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2008出場 |
2008-2012 | ベルト・ファン・マルワイク | 52 | 34 | 10 | 8 | 2010 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2012出場 |
2012-2014 | ルイ・ファン・ハール | 29 | 18 | 9 | 2 | 2014 FIFAワールドカップ出場 |
2014-2015 | フース・ヒディンク | 10 | 4 | 1 | 5 | |
2015-2017 | ダニー・ブリント | 17 | 7 | 3 | 7 | |
2017 | フレット・フリム | 1 | 0 | 0 | 1 | 暫定監督 |
2017 | ディック・アドフォカート | 9 | 8 | 0 | 1 | |
2018-2020 | ロナルド・クーマン | 20 | 11 | 5 | 4 | |
2020 | ドワイト・ローデヴェーヘス | 2 | 1 | 0 | 1 | 暫定監督 |
2020-2021 | フランク・デ・ブール | 15 | 8 | 4 | 3 | UEFA EURO 2020出場 |
2021- | ルイ・ファン・ハール |
現招集メンバー
2022年11月11日、2022 FIFAワールドカップに向けて発表されたメンバー[6]。
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歴代選手
主要大会のメンバー
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主な歴代選手
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記録
出場試合数
2022年12月3日現在[7]
位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | ヴェスレイ・スナイデル | 134 | 31 | 2003-2018 |
2 | エトヴィン・ファン・デル・サール | 130 | 0 | 1995-2008 |
3 | フランク・デ・ブール | 112 | 13 | 1990-2004 |
4 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 109 | 25 | 2001-2013 |
5 | ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト | 106 | 6 | 1996-2010 |
6 | ディルク・カイト | 104 | 24 | 2004-2014 |
7 | ロビン・ファン・ペルシ | 102 | 50 | 2005-2017 |
8 | フィリップ・コクー | 101 | 10 | 1996-2006 |
9 | ダレイ・ブリント | 98 | 3 | 2013- |
10 | アリエン・ロッベン | 96 | 37 | 2003-2017 |
11 | クラレンス・セードルフ | 87 | 11 | 1998-2008 |
ヨニー・ハイティンハ | 7 | 2004-2013 |
得点数
2022年12月3日現在[8]
位 | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 | 得点率 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ロビン・ファン・ペルシ | 50 | 102 | 2005-2017 | 0.49 |
2 | メンフィス・デパイ | 43 | 85 | 2013- | 0.519 |
3 | クラース・ヤン・フンテラール | 42 | 76 | 2006-2015 | 0.55 |
4 | パトリック・クライファート | 40 | 79 | 1994-2004 | 0.51 |
5 | デニス・ベルカンプ | 37 | 79 | 1990-2000 | 0.47 |
アリエン・ロッベン | 96 | 2003-2017 | 0.39 | ||
7 | ファース・ヴィルケス | 35 | 38 | 1946-1961 | 0.92 |
ルート・ファン・ニステルローイ | 70 | 1998-2011 | 0.50 | ||
9 | アーベ・レンストラ | 33 | 47 | 1940-1959 | 0.70 |
ヨハン・クライフ | 48 | 1966-1977 | 0.69 | ||
11 | ヴェスレイ・スナイデル | 31 | 134 | 2003-2018 | 0.23 |
エピソード
6月25日 呪われたジンクス
1978 FIFAワールドカップ決勝でアルゼンチンに延長戦の末に敗れて以後、ワールドカップにおいて6月25日に開催された試合で3敗1分と1度も勝利しておらず、特に2006 FIFAワールドカップのポルトガル戦はイエローカード16枚(史上最多タイ)、レッドカード4枚(合となった。
- 1978年6月25日(1978 FIFAワールドカップ アルゼンチン大会 -決勝戦-)
- オランダ 1 - 3 アルゼンチン(延長戦)
- 1994年6月25日(1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会 グループリーグ-グループF-)
- オランダ 0 - 1 ベルギー
- 1998年6月25日(1998 FIFAワールドカップ フランス大会 グループリーグ-グループE-)
- オランダ 2 - 2 メキシコ
- 2006年6月25日(2006 FIFAワールドカップ ドイツ大会 決勝トーナメント-Round of 16-)
- オランダ 0 - 1 ポルトガル
なお、2010 FIFAワールドカップではこの日の前日となる6月24日にグループリーグでカメルーンと対戦し2-1で勝利している。
死の組
ワールドカップや欧州選手権(EURO)でオランダは優勝候補と目されるチームや直近の大会で好成績を収めたチームとグループリーグで同組となることがたびたびあり、1990 FIFAワールドカップ、2006 FIFAワールドカップ、2014 FIFAワールドカップで死の組に入りながらグループリーグを突破、EURO 2000ではフランス(1998 FIFAワールドカップ優勝国)、チェコ(EURO '96準優勝国)、デンマーク(EURO '92優勝国)と同組となったことをはじめに、EURO 2008では2006 FIFAワールドカップ決勝進出国(イタリア、フランス)と同組に、EURO 2012ではドイツ、ポルトガル、デンマークと大会前の最新FIFAランクTOP10以内のチームと同組になった。
このような死の組でオランダは好成績を収めることが多く、EUROでは2000年大会と2008年大会でいずれも3戦全勝でグループリーグを突破し、特に2008年大会はワールドカップ優勝のイタリアに3-0、準優勝のフランスに4-1で圧勝して大会を席巻した。しかし、2012年大会は逆に3戦全敗でグループリーグ敗退となっている。
脚注
- ^ “オランダ代表監督にフランク・デブール氏が就任”. 日刊スポーツ. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “オランダ、3連勝で決勝Tへ弾み! 北マケドニアのパンデフは代表引退”. サッカーキング. 2021年6月22日閲覧。
- ^ “オランダはデ・リフト痛恨の退場…チェコが2発快勝で2大会ぶりの準々決勝進出!”. サッカーキング. 2021年6月28日閲覧。
- ^ “Frank de Boer stapt per direct op als bondscoach van het Nederlands elftal”. nos.nl (2021年6月29日). 2021年6月30日閲覧。
- ^ “Netherlands national football team managers” (英語). eu-football.info. 2019年8月20日閲覧。
- ^ “Van Gaal maakt 26-koppige WK-selectie bekend” (オランダ語). オランダサッカー協会 (2022年11月11日). 2022年11月11日閲覧。
- ^ “Netherlands international footballers” (英語). eu-football.info. 2019年8月20日閲覧。
- ^ “Netherlands national football team goal scorers” (英語). eu-football.info. 2019年8月20日閲覧。