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等々力城 (信濃国)

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等々力城
長野県
城郭構造 平城
築城主 仁科氏流等々力氏
築城年 不明
主な城主 等々力治右衛門
廃城年 不明
遺構 曲輪堀切土塁
指定文化財 史跡等未指定[1]
登録文化財 史跡等未登録[1]
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等々力城(とどりきじょう)は、長野県安曇野市穂高等々力にあった日本の城標高は536メートル

概要

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創建年代は不明。戦国時代は城主の等々力治右衛門武田氏に臣従し、安曇郡支配の拠点の一つとなったが、武田氏滅亡とともに廃城となった。

穂高川と「欠の川」が合流する三角地形を利用して築城された。西方に「貝梅城(北城)」、東方に「主水城(あら城)」を配備して防備を固めた。城址の東側には大きな土塁があり、北側の土塁との間に虎口が開けており、曲輪を形成する。また穂高川のほとりには鎮守の鹿島神社が祀られている。

脚注

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  1. ^ a b 「文化財一覧」安曇野市公式HP

参考文献

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関連項目

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