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三井野原駅

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三井野原駅
駅舎(2007年9月)
みいのはら
Miinohara
出雲坂根 (6.4 km)
(5.6 km) 油木
地図
所在地 島根県仁多郡奥出雲町八川3109
北緯35度5分28.65秒 東経133度6分58.74秒 / 北緯35.0912917度 東経133.1163167度 / 35.0912917; 133.1163167座標: 北緯35度5分28.65秒 東経133度6分58.74秒 / 北緯35.0912917度 東経133.1163167度 / 35.0912917; 133.1163167
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 E 木次線
キロ程 69.7 km(宍道起点)
電報略号 ミノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
4人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1949年昭和24年)12月24日*[1]
備考 無人駅
* 仮乗降場として。1958年(昭和33年)9月1日に正式な駅へ格上げ[1]
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三井野原駅(みいのはらえき)は、島根県仁多郡奥出雲町八川にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線である。愛称は「高天原」(たかまがはら)。

JR西日本の駅の中で最も標高が高い駅(727m)である[2]

歴史

島根県と広島県にまたがる三井野原(三井野、とも)はいわゆる戦後開拓地区である[3]

当地はもともと島根側に住む「たたら御三家」と呼ばれる大地主のひとつ、絲原一族の私有地であった。地形的には緩やかで恵まれているものの、高所で灌漑水が不足するなどの理由からか農耕は行われず、絲原一族がたたら場を置いていた程度で、人の定住はなかった[3]。1944年(昭和19年)に太平洋戦争の情勢逼迫を受けた食糧増産(種子ばれいしょの生産)を目的に開拓が始まり、戦後に緊急開拓事業の一環で1947年(昭和22年)冬より入植を開始し、1948年(昭和23年)より「八川開拓地」として本格的な入植が始まった[3]

こうした経緯から同地は山陰・山陽間の交通路ではあったものの通過地点にすぎず、同地を通る木次線にも駅が設けられなかった。自動車が普及していない当時、開拓地の人々は用事のため坂根地区へ出るにも急なジクザグの道路を徒歩で向かうしかなかった。特に冬季の通学は困難を極め、なかには学校からの帰りに出雲坂根駅で列車に乗り、列車が三井野原に差し掛かったところで飛び降りる、という子供も現れるほどであった[3]

こういった事情もあり、戦後の入植2年目の1949年(昭和24年)10月から仮乗降場の設置運動が展開され、住民はホームを自力で建設し、国鉄側に乗降をさせてもらえるように陳情した[3]。合わせて、同地では地元住民によりスキー場(三井野原スキー場)の開設がなされることとなった。これは当地が丘陵地でかつ豪雪であったということや、木次線と国道314号(当時は県道)が通過し便がよいということもあったものの、駅設置の名目、という意味合いも強かった[3]

このことが島根新聞(のちの山陰中央新報)木次支局長の目にとまり、当時の県スキー連盟会長や代議士を動かし、出雲坂根駅長も働きかけを行った。これにより米子鉄道管理局は三井野原に仮乗降場の設置を認めることとなり、同年12月から営業を開始した[3]。当初は1日2往復の停車であったが、スキー時には急行を含む全列車が停車した[3]

1952年(昭和27年)に入ると、スキー客の増加、営農の進展による人流の増加に伴い、正式な駅に昇格する運動が起こり始めた。運動は6年続き、1958年(昭和33年)9月に正式な駅(旅客駅)昇格となった。この時、駅建設は地元負担となり、駅舎の総工費120万円は斐上町(のちの横田町、現在の奥出雲町の一部)が、また盛り土作業は地元住民奉仕活動として行われた[3]

年表

駅構造

備後落合方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅停留所)。木次鉄道部管理の無人駅であるが、駅舎に出札口が残る。駅舎はオレンジ色と黄緑色に塗替えられた。

利用状況

近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り[統計 1]。なお、1994年度は46人、1984年度は44人だった。

乗車人員推移
年度 1日平均人数
1981 4
1984 44
1994 46
1999 24
2000 7
2001 4
2002 3
2003 4
2004 3
2005 3
2006 2
2007 13
2008 17
2009 7
2010 8
2011 3
2012 5
2013 3
2014 3
2015 4
2016 4
2017 3
2018 3
2019 3
2020 1
2021 4

駅周辺

駅周辺にはスキー場が広がる。以前は広島県福山市福山駅から福塩線芸備線経由で、また広島駅方面から芸備線経由で、直通スキー列車が運行されていたこともあった[4]

隣の駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)
E 木次線
出雲坂根駅 - 三井野原駅 - 油木駅

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、330頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 一番高い駅は!?”. 広報だより「トレナビ」. JR西日本 (2013年1月18日). 2013年1月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 横田町産業開発課 編『三井野開拓誌横田町、1979年3月1日、8-9, 19, 37, 64-65, 70-72頁。doi:10.11501/11994557https://dl.ndl.go.jp/pid/11994557 
  4. ^ 『時刻表』1977年12月号(日本交通公社)の例では、福山、広島、及び広島経由小郡発着の3本の列車(三井野原銀嶺1-3号)が設定されている。

統計資料

関連項目

外部リンク