コンテンツにスキップ

駢文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。219.175.128.27 (会話) による 2007年9月1日 (土) 02:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

駢文(べんぶん)とは、中国の文語文における文体の一つ。駢体(べんたい)・駢体文(べんたいぶん)ともいう。散文韻文に対立する。のころに形成され、六朝時代からにかけて盛行した。「駢」とは2頭の馬が並んでいることを表し、対句を基本とする文体であることを意味している。また駢儷文(べんれいぶん)・駢儷体(べんれいたい)ということもあるが、「儷」(または「麗」)もまた「ならぶ」という意味である。また句の字数が、4字または6字と決められているので四六文(しろくぶん)ともいう。「四六」の語は晩唐から使われはじめ、宋から明にかけて使われた。「駢文」の名は清代において名付けられた。合わせて四六駢儷文四六駢儷体とも言われる。また駢四儷六という語もあった。

駢文の特徴は、形態上、4字句と6字句を対句によってリズムよく並べられ、また音声上は平仄など韻律の制約を受け、内容から言えば、典故と藻飾を多用することである。

例えば、王勃の「滕王閣序」の一文は次のような平仄や対句構造をもっている。

馮唐易老 (平平仄仄) 名詞(人名)+副詞+動詞
李広難封 (仄仄平平) 名詞(人名)+副詞+動詞
屈賈誼於長沙 (仄仄仄-平平平) 動詞+名詞(人名)+介詞+名詞(地名)
非無聖主 (平平仄仄) 否定副詞+形容詞(数量)+名詞
竄梁鴻於海曲 (仄平平-平仄仄) 動詞+名詞(人名)+介詞+名詞(地名)
豈乏明時 (仄仄平平) 否定副詞+形容詞(数量)+名詞

また次のような典故が用いられている。

馮唐、老いやすく(馮唐が有能であっても、郎中署長という低い役職についた時、すでに年老いていたという故事から)
李広、封じがたし(武将李広が戦功を立てても生涯、諸侯に封じられることはなかったという故事から)
賈誼を長沙に屈するは
聖主無きにあらず(賈誼が時の政治を批判する意見を多く述べ、廷臣たちに疎まれて長沙に左遷された故事から)
梁鴻を海曲に竄(かく)すは
あに明時乏しからんや(梁鴻が『五噫詩』を書いて時の宮廷を諷刺したため追われる身となり、姓名を変えて斉魯の間に隠れすんだという故事から)