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山川晴重

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山川晴重(やまかわ はるしげ、1566年 - 1593年)は、戦国時代下総国国人

天正5年(1577年)、後北条氏結城氏、山川氏に攻撃を仕掛ける。これに対し結城・山川の両氏は、宇都宮氏佐竹氏那須氏と連合して対抗、撃退に成功する。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が後北条氏を降し、関東諸将の所領を安堵。山川氏も所領を安堵された。

同年11月、陸奥国で起こった葛西・大崎一揆鎮圧の為に徳川家康より出兵を命ぜられ、結城秀康に従い陸奥へ出陣。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦に於いて、結城秀康は会津上杉景勝による関東侵攻を防いだ功績により、越前国に加増転封された。

これに伴い、翌慶長6年(1601年)、山川氏は秀康と共に越前に移った。