田中判決解散
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田中判決解散(たなかはんけつかいさん)は1983年11月28日の衆議院解散の俗称。
概要
1983年10月12日に東京地方裁判所で行われたロッキード事件の第一審判決公判で元内閣総理大臣田中角栄に対し懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が言い渡される。無罪を主張していた田中は不退転の決意を示し、衆議院議員辞職を拒否、即日控訴を表明する。
元首相の実刑判決に国会は紛糾。野党は田中への議員辞職勧告決議案の上程、採決を強硬に主張し、国会審議は空転する。福田一衆議院議長と木村睦男参議院議長が連名で、政府提出の重要法案の審議を促進させることを野党に同意させた上で、衆議院解散をする斡旋案を提示。与野党がそれを受け入れたため、重要法案成立後に中曽根内閣が衆議院解散を決定した。
この解散を受け行われた第37回衆議院議員総選挙では、田中は新潟3区で自身最高の22万761票を獲得して1位当選を果たす。しかし、自民党は田中判決の逆風にあい、過半数割れとなった。自民党は政権を維持するために新自由クラブと連立政権(第2次中曽根内閣)を組むこととなり、1955年から続いた28年続いた自民党単独政権が一旦は終了した。