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小山城 (下野国)

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小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった。別名は祇園城(ぎおんじょう)。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。

歴史・沿革

小山城は、1148年久安4年)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。小山氏武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗った。

小山城は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代下野国守護を務めた小山氏の主要な居城であった。当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となった。1380年康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった小山義政の乱では、小山方の拠点として文献資料に記された鷲城、岩壺城、新々城、祇園城、宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。小山氏は義政の乱で鎌倉府により追討され断絶したが、同族の結城家から養子を迎えて再興した。

小田原の役ののち、1602年慶長12年)頃、本多正純相模国玉縄より入封したが、正純は1619年元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった。

現況

小山城のあった場所は、現在、小山城址公園となっている。すぐ近くにある小山市役所の正面入り口前の駐車場に「小山評定跡」石碑と由来碑が設置されている。

史跡指定

1991年平成3年)3月12日、小山城跡は「祇園城跡」として鷲城跡とともに国の史跡に指定されたが、その時点では祇園城跡の南久保曲輪の土塁の一部、また、鷲城跡の本丸の一部が未指定であった。1994年(平成6年)、両城跡の未指定部分を追加するとともに、あらたに中久喜城跡を追加指定して、史跡指定名称を「小山氏城跡」に改めた。

関連項目

外部リンク