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越後国

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越後国は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、現在の新潟県本州部分にあたる。

沿革

7世紀末、文武元年 (697) 以前のいずれかの年になされた国の分割によって成立した。当初の領域は、新潟県本州部分の中部から東部で、日本海側で蝦夷の領域に接する辺境国であった。

大宝2年 (702) 3月に、越中国から新潟県本州部分の残り、すなわち頚城郡、古志郡、魚沼郡、蒲原郡を譲り受けた。

和銅元年 (708) 9月28日 に、北東端から出羽国が分離した。後々まで続く越後国の形がこの時できあがった。

天平15年 (743) 2月11日に佐渡国を合わせたが、天平勝宝4年 (752)11月3日に元に復した。

国府は、現在の上越市にある「国府」地区の近辺にあったと考えられる。この地は越後国の成立時には越中国に属していたので、当初の国府はもっと東にあり、後に移転したと考えられる。

参照

旧国名一覧