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こんごう (護衛艦)

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こんごう
真珠湾にて
真珠湾にて
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  海上自衛隊
艦種 ミサイル護衛艦(DDG)
級名 こんごう型護衛艦
建造費 1,223億円
母港 佐世保
所属 第1護衛隊群第5護衛隊
艦歴
発注 1988年
起工 1990年5月8日
進水 1991年8月26日
就役 1993年3月25日
要目
基準排水量 7,250トン
満載排水量 9,485トン
全長 161m
最大幅 21m
深さ 12.0m
吃水 6.2m
機関 COGAG方式
主機 石川島播磨-GE LM2500 × 4基
出力 100,000PS
推進器 スクリュープロペラ × 2軸
最大速力 30ノット以上
燃料 1,785トン
航続距離 6,000海里(巡航速度:20ノット)
乗員 300名
兵装 54口径127mm単装速射砲 × 1門
ハープーンSSM 4連装発射機 × 2基
68式3連装短魚雷発射管 × 2基
Mk.15 Mod2 高性能20mm機関砲(CIWS) × 2基
Mk.41 mod6 VLS × 90セル
C4ISTAR イージスシステム
ミサイル防衛対応
OYQ-102 対潜情報処理装置
レーダー SPY-1D 多機能型
OPS-28D 対水上
OPS-20 航海用
Mk.99/SPG-62ミサイル誘導用 × 3基
81式射撃指揮装置2型-21G
ソナー OQS-102
OQR-2 曳航式
電子戦
対抗手段
NOLQ-2 ESM/ECM
Mk.137 デコイ発射機 × 4基
その他 AN/SLQ-25 対魚雷デコイ
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こんごうローマ字JS Kongō, DDG-173)は、海上自衛隊護衛艦イージス艦)。こんごう型護衛艦の1番艦。艦名は金剛山に因み、旧海軍金剛型コルベット金剛」、金剛型戦艦金剛」に続き日本の艦艇としては3代目。日本初のイージス・システム搭載艦である。艦名候補として当初は「ゆきかぜ」などが検討されていた。

艦歴

ライトアップされるこんごうすずなみ(2010年7月23日、仙台港

「こんごう」は、中期防衛力整備計画に基づく昭和63年度計画7200トン型護衛艦2313号艦[1]として、三菱重工業長崎造船所焼島工場で1990年5月8日に起工され、1991年8月26日に進水、1992年5月26日に公試開始、1993年3月25日に就役し、第2護衛隊群第62護衛隊に編入され佐世保に配備された。建造費は1223億円。

同型艦中、本艦のみ就役時ORQ-1ヘリコプター・データ・リンク装置が未装備であったが後日装備している。また、リンク16のアンテナも就役後装備した。

1993年11月26日から1994年2月21日の間、イージスシステムの装備認定試験(SQT)のためハワイに派遣。

1994年5月31日、護衛艦「くらま」等と共に環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加するため横須賀基地を出港し、6月23日から7月6日までハワイ周辺海域で実施された同演習に参加した。

2000年5月15日、リムパック2000に参加するため、本艦を旗艦として護衛艦「くらま」、「しまかぜ」、「むらさめ」、「はるさめ」、「ゆうだち」、「きりさめ」、「あさぎり」、補給艦「はまな」、潜水艦「なつしお」とともに横須賀基地を出港した。5月26日に真珠湾に寄港し5月30日から7月6日までハワイ周辺海域で演習に参加した。その最中、6月5日午前9時30分に米空軍F-16戦闘機と地上から発射された3発の模擬ミサイルをSM-2対空ミサイルで迎撃に成功した。7月13日から21日にサンディエゴに寄港。7月30日から8月3日まで再び真珠湾に戻り、8月16日に横須賀基地に帰投した。

2003年4月10日テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「ありあけ」、補給艦はまな」と共にインド洋に派遣、同年7月まで任務に従事し、8月22日に帰国した。

2004年5月17日、テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「ありあけ」と共にインド洋に派遣、同年8月まで任務に従事し、9月19日に帰国した。

2006年11月、三菱重工業長崎造船所に定期検査とMD(弾道ミサイル防衛)特別改造としてスタンダードSM-3 block1A発射能力付与工事を実施するため、長期入渠する。2007年3月にMD改造工事は完了し、同年8月に定期検査を完了する。同年10月15日にMDシステム試験の目的でハワイ近海に進出し、11月6日に米海軍タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦レイク・エリー」の迎撃試験時に標的2発の追尾に成功。11月15日には弾道ミサイル標的追尾訓練で分離標的の追尾に成功。12月18日、カウアイ島沖でスタンダードSM-3SAM(艦対空ミサイル)により、太平洋ミサイル試射場から発射された模擬弾道弾を高度160㎞の熱圏での撃墜にアメリカ以外では最初に成功する(JFTM1迎撃演習)。

2008年3月26日、護衛隊改編により第1護衛隊群第5護衛隊に編入された。

2012年12月6日朝鮮民主主義人民共和国が「人工衛星」と自称する弾道ミサイルの発射に備えるため、護衛艦「みょうこう」、「ちょうかい」と共に佐世保から出航し、アメリカ合衆国海軍と連携して迎撃態勢を整える[2]。同月12日、ミサイルは発射されるも領土内に落着する恐れがなくなったため、破壊措置命令の解除を受けて順次撤収に移る[3]

2013年4月、再び北朝鮮にミサイル発射の徴候が見られたことから、破壊措置命令に基づき、日本海に展開した。2013年6月28日に、破壊措置命令は解除され、こんごうは約3ヶ月の警戒任務を終えて、6月30日に佐世保基地へと帰港した[4]

現在は第1護衛隊群第5護衛隊に所属し、定係港は佐世保である。

ミサイル防衛

こんごうからのRIM-161スタンダード・ミサイル3(SM-3)の発射

2007年10月4日から翌年1月4日の間、BMD機能付加に伴う装備認定試験のためハワイに派遣され、12月18日米軍以外によるものとしては初となるスタンダードSM-3による迎撃演習(JFTM-1)をハワイ・カウアイ島沖で行い、太平洋ミサイル試射場から発射された高度160キロメートルの熱圏を飛行する標的ミサイル1発の迎撃に成功した[5][6]

歴代艦長

歴代艦長(特記ない限り1等海佐
氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
1 本多宏隆 1993.3.25 - 1994.12.20 防大14期 こんごう艤装員長 開発指導隊群司令部付
→1995.3.23 誘導武器教育訓練隊司令
 
2 寺地重告 1994.12.21 - 1996.12.15   海上幕僚監部装備部
装備課装備管理班長
誘導武器教育訓練隊司令
3 柴田哲治 1996.12.16 - 1998.6.30 防大16期 しまかぜ艦長 開発指導隊群司令部首席幕僚
4 椋尾康広 1998.7.1 - 1999.9.29 防大17期 しまかぜ艦長 しらね艦長
5 堀 正 1999.9.30 - 2001.7.12   海上幕僚監部防衛部装備体系課
指揮通信体系班長
開発指導隊群司令部
6 山縣克幸 2001.7.13 - 2003.3.31 防大20期 呉地方総監部管理部付 横須賀地方総監部監察官
7 吉田 明 2003.4.1 - 2005.3.31 防大21期 舞鶴地方総監部管理部人事課長 ときわ艦長
8 由岐中一生 2005.4.1 - 2006.8.20 防大26期 あしがら艤装員長
9 平田峰男 2006.8.21 - 2008.8.19 生徒15期 ちょうかい艦長 誘導武器教育訓練隊教育部長
兼 学生隊長
10 鍋田智雄 2008.8.20 - 2010.12.19 防大26期 あけぼの艦長 情報本部電波部電波第4課長  
11 棚岡充雄 2010.12.20 - 2012.7.16 中央大学
36期幹候
大湊海上訓練指導隊副長
兼 指導部長 兼 船務航海科長
統合幕僚監部防衛計画部計画課
12 森田哲哉 2012.7.17 - 2013.12.2 防大31期 第1護衛隊群司令部首席幕僚 かしま艦長
13 清水博史 2013.12.3 - 2015.3.22 防大33期 佐世保地方総監部防衛部
第3幕僚室長 兼 第5幕僚室長
海上自衛隊幹部学校勤務
14 齊藤浩司 2015.3.23 - 2016.7.25 防大34期 第2護衛隊群司令部首席幕僚 海上幕僚監部防衛部防衛課分析室長
15 大島信吾 2016.7.26 - 2017.3.8 防大37期 海上自衛隊第1術科学校主任教官 護衛艦隊司令部勤務
16 今野 卓 2017.3.9 - 2018.3.29 東京商船大
44期幹候
自衛隊指揮通信システム隊
サイバー防衛隊情報班長
兼 統合幕僚監部指揮通信システム部
指揮通信システム企画課
海上自衛隊第1術科学校教育第2部長
17 廣中敬三 2018.3.30 - 防大39期 海上自衛隊幹部候補生学校学生隊長

脚注

参考文献

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)

外部リンク