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トルコの言語純化運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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トルコの言語純化運動とは、ケマル・アタテュルクによって開始されたトルコ語固有語復活とアラビア語ペルシア語からの借用語の除去によってトルコ語の純化を行おうとする運動。広義には文字改革によるアラビア文字の禁止とラテン文字の採用も含まれる。これによりオスマン語は完全に廃棄され死語となり、現在見るような共和国トルコ語が成立した。

方法

トルコ語を純化した方法は次のとおりである、

  1.  オスマン語以前に記録された古語から廃語となった固有語を復活させる。
  2.  周辺のテュルク諸語またはトルコ国内の方言から固有語を拾い、そのまま取り入れるか音法則に従い変化させて取り入れる。
  3.  高級語彙に関しては、基本語彙を重ね合わせた連語、複合語を用いて置換する。

運動の成果

ケマルの強力なリーダーシップによりかなりのアラビア語ペルシア語由来の要素が除去され、オスマン語に見られる不規則性、複雑さは多くの程度取り除かれた。先に行われた文字改革と合わせ、オスマン語に替わる平易な共和国トルコ語が普及し、識字率の急激な上昇と教育水準の向上を引き起こすこととなった。

問題点

上記のとおりかなりの成果を収めた言語純化運動だったが、問題点も少なくない。 まずトルコ語に於けるアラビア語ペルシア語由来の要素は非常に大きく、又強固であった。そのためケマル自身が予想したとおり運動には多くの困難や反対が付きまとった。 主な批判は、アラビア語ペルシア語に長け、オスマン語の主な使用者層であったイスラム法学者を中心とする保守派知識人である。彼等は「アラビア語ペルシア語の優れた造語力抜きに本来のトルコ語のみで高級語彙をまかなうのは不可能であり、又数百年続いてきた文化的伝統との断絶を生んでしまう。」と主張した。 実際にこのような意見は一般にもある程度の浸透を見せていたらしく、実際言語純化運動が進んだ後も多くのアラビア語ペルシア語由来の要素が残存し、ケマルが当初理想としていたほどの成果は上がらなかった。また反対を押し切って強引に置換された語彙の中には、いくつかの固有語を後置詞で結合したものが多く、冗長さが否めないものが少なくなかった。日本語に例えて例を挙げると、

例) 学校→学ぶ所 潜水艦→海の下 虹→空の橋 書物→書かれた物(失敗)

などとなる。このため最後の例のように結果的に失敗に終わった事例も少なくない。 現代においても純化は続いているが、行き過ぎた純化はかつてイスラム法学者などの保守派知識人が危惧した通りのトルコ語の表現力低下を招きつつあるとの声も強く、オスマン語と『純正なトルコ語』の間でトルコ語は今も揺れ動いている。

関連項目