伊余国造
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伊余国造(いよのくにのみやつこ・いよこくぞう)は、伊余国を支配した国造。
概要
祖先
- 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に印幡国造と同祖の敷桁彦命の子・速後上命を国造に定められたとされる。
- 『古事記』によれば神八井耳命が伊余国造の祖とされる。
- 『異本阿蘇氏系図』等には神八井耳命の四世孫・敷桁彦命の従弟の建河上命の四世孫が速後上命とされる。
氏族
本拠
支配領域
国造の支配領域は当時伊余国と呼ばれた地域、後の令制国の伊予国伊予郡、現在の愛媛県松前町、伊予市に相当する。
8世紀初頭に確立した律令国家が松山平野に位置した「伊余国造」の名をとって令制国を「伊予国」としたのは、ヤマト王権にとって対九州との関係で重要な拠点であり、来住台地上に久米官衙群が存在したためともされる。
参考文献
- 加藤謙吉 他・編『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4、770頁