ノート:エホバの証人/過去ログ12
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エホバの組織と歩調を合わせるすべての忠節なエホバの証人のみなさんへ
Wikipediaには自分自身の記事をつくらないというガイドラインがあり、手引き書にも記事の題材に注意しましょうと述べられています。それによれば、所属している組織
についての記事を書くことは勧められていません。
それで、エホバの組織と歩調を合わせるエホバの証人であることを願う人はだれでも、この組織やその出版物またその内容、見解、信条、慣習、また個々の成員などに関するあらゆる記事の執筆・編集に携わることを、断じて避けなければなりません。
多くの背教者を含む他の編集者との共同作業、あるいは論争がもとで、組織を去った人もいます。立場を偽って編集に加わり、“偽りの自分”の支配から抜け出せなくなった人もいるでしょう。それが露見するなら、他の人はあなたやあなたの組織をどのように見なすでしょうか。
ウィキペディアは何ではないかという方針によれば、Wikipediaは演説台、広告宣伝の手段ではありません
。そのような記事は削除対象とみなされるでしょう。たとえわずかでも、そのようなもののために労力を犠牲にすることは賢明ではありません。
そのような執筆や編集に、背教者とともに参加したいとの誘惑に駆られるなら、1985年の「忠誠を保つ人々」地域大会において行われた最も重要な講演を思い起こすことは肝要です。
その内容は『ものみの塔』誌1986年3月15日号の第1研究記事「すぐに動揺して理性を失ってはなりません」および第2研究記事 「悪魔にすきを与えてはなりません」からも学ぶことができ、読者は次のように自問することができます。
エホバは、私がうそをついて背教者の語ることに耳を傾けるよう望んでおられるだろうか。それは正直なことだろうか。組織の提案に調和しているだろうか。
ある人は、“神権的戦術”で編集に携わるのだからかまわない、と主張するかもしれません。しかし、どのような人でも、Wikipediaを編集しなくては命が危ないという状況に置かれることはまずありません。
むしろ組織への忠実を守り、エホバの側でのあなたの立場を守るためには、“神権的戦術”を騙って編集に参加するのではなく、淫行や偶像崇拝と同様に、これを一切捨て去らなくてはならないのです。
興味深いことに、この大会のために準備された『わたしたちの王国宣教』1985年6月号折り込みの3ページでは、この講演に関連して、次のように述べられています。
1985「忠誠を保つ人々」大会は、堅く立つためにわたしたちがしなければならない事柄について役立つ情報を備えるでしょう。忠誠は、事態が順調な時だけでなく、いつどんな時でもエホバの義の律法と原則に対して妥協することのない忠誠を要求します。
そうです。忠誠は、いつどんな時でも
、あなたがしなければならない
妥協することの
できない要求
なのです。これに例外はありません。
エホバのご要求に従うすべての忠実なエホバの僕たちが、この組織およびその出版物またその内容、見解、信条、慣習、また個々の成員などに関するあらゆる記事の執筆・編集をきっぱり避けるなら、その益はいかばかりか、計り知ることすらできないでしょう。--Solidrock0327(会話) 2017年9月24日 (日) 10:37 (UTC)(提案1、提案2により文章を修正)--Solidrock0327(会話) 2017年12月7日 (木) 12:44 (UTC)
- 確かにエホバの証人が編集ことは良くありません。しかし、それを良いことに好き放題編集することももってのほかです。いちいち、周囲の批判が登場し読んでて正直うざくなってきます。最近の情報から昔の新聞記事まで引っ張り出して、批判的な情報を探し編集することに余念がないように思えます。それだけの気力と時間をつぎ込む余裕があるのであれば、逆に評価すべき内容も探し出せるはずです。それもせず、批判的な情報を「事実だから」という理由で際限なく書く立てるのであれば、称賛すべき情報も「事実であれば」際限なく書いていいはずです。しかし、それをやると「エホバの証人による編集はおやめください」と言われる。(エホバの証人ではないのにですよ笑→たぶん)まったくもって矛盾している。組織に批判的な人物が編集に参加できないルールも作ってほしいものです。項の名前も「エホバの証人」から「エホバの証人に対する周囲の白い目」に変更した方が良いと思いますよ。趣旨がずれているし、蛇足だらけ。もっと、教義、統計、歴史などの事実を編集されてはいかがですか?教義に対して周囲(他宗派とか社会)がどう思っているかとか書くそんなにたくさん書く必要はないです。どう思っているかは、見た人が判断します。「〇〇〇を信じている」「〇〇〇であるとしている」など事実だけを書けばいい。もっとバランスよくより良いページになることを望みます。Simple is best--125.192.148.177 2017年9月25日 (月) 14:13 (UTC)
- 125.192.148.177さん、はじめまして。私はエホバの証人が嘘を平気でつく宗教であるかは存じませんが、少なくとも125.192.148.177さんはエホバの証人の信者ではないということですね。まず申し上げたいのは、貴殿はwikipediaの方針をご存知であるかということです。大きな勘違いをされているようですが、wikipediaは貴殿が勝手に考えたルールで編集されません。
- Wikipediaで記事を編集するにあたって、膨大な方針文書の中から最低限これだけは、予めお読みになりご理解頂きたい方針文書は以下となります。
- "このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたが在学している学校および卒業した学校、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚や知人、あなたの上司や部下、その他もろもろのあなたが利害関係を有する事柄についての記事について適用されます。"-Wikipedia:自分自身の記事をつくらない。
- "自分について書いた情報には、しばしば主観が入り込み、その主観はふつうは自分に都合のよいようにものごとをとらえがちです。おおよそ人には、自分のことを語るときには自分をよりよく、より大きく見せようとする傾向があり、また自分の意見を事実であるように表現する傾向があります。"-Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#自分自身の記事を書くことの問題点。
- "自分について書いた情報は、検証不可能な場合があります。もしあなたに関する事柄についての情報の源があなた自身だけであれば、読者はそのことを検証できません。"-Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#自分自身の記事を書くことの問題点。
- "あなたが個人的に関わっていることがらについて記事を書くときには、あなたは、いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません。"-Wikipedia:自分自身の記事をつくらない。
- "ウィキペディアは中立的な観点に基づきます。(中略)複数の観点を記述する必要もあるでしょう。その場合、各々の観点を正確に記述します。また、各々の観点の背景を説明することにより、その観点は誰の主張なのかを読者が理解できるようにします。そして、どの観点も「真実」や「最良の観点」と紹介しないようにします。中立的な観点に基づくということはまた、可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。とりわけ論争となりがちな話題では出典の明示が求められます。"-Wikipedia:五本の柱。
- "論争のある人物ないし団体に関する記事は、その人物ないし団体の見解がいかに誤解を含みまた反発を感じさせるものであったとしても、それを正確に記述するものであるべきです。「この論争の最良の記述とはどのようなものであるか」ということを常に念頭においてください。われわれの仕事は、ウィキペディアの編集によって、自身の特異な見解を反映させたり、なおかつ他のすべての利用者を退けるような編集をする者を擁護したりすることではなく、論争のすべての側にとって公平な立場に立つことです。"-Wikipedia:論争のある記事#論争を記述する
- "ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。"-Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは
- 「正直うざくなってきます」と仰せですが、残念ながらwikipediaは貴殿の感想より、参加者の合意形成によるガイドラインにそった記事になるのは当然のことです。--Solidrock0327(会話) 2017年9月25日 (月) 15:04 (UTC)
- 大切なガイドラインを1つ忘れていました。
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません 広告活動の手段ではありません。(中略)したがってウィキペディアにあるコンテンツは以下のいずれにも該当してはなりません。(中略)プロパガンダ、アドボカシー(提言)、あるいは求人や勧誘 営利的、政治的、宗教的、その他何にせよ、
- さすがにこれだけ書けばご理解いただけますよね?--Solidrock0327(会話) 2017年9月25日 (月) 15:13 (UTC)
- Solidrock0327さん。こんにちは。大方、ルールは守られていると思いますよ。ただし、Wikipedia:中立的な観点に「フェアであることと、好意的な立場」という節がありますよね。ここには、「もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。」と示されています。しかしながら、続けて「ある記事が、意見ではなく事実を記述するものになっていたとしても、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者にそれとなく感じさせるものになっている場合があります。」とあります。事実であってもそれとなく否定的なイメージを植え付けるような表現は記事として失敗です。批判的な内容を記載したいのであれば、せめて「○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている」という表現になるということです。私自身、アカウントを取る気はありませんし、これ以上は編集に首を突っ込む気はありません。疲れますからね。あとはSolidrock0327さんにお任せします。--125.192.148.177 2017年9月25日 (月) 15:43 (UTC)
- 肯定的な意見よりに記載するなら以下に反していますよね。
- "ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。"-Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは
- 何でも肯定的な記事にするというのは百科事典の記述ではないですよね。宗教団体の主張が知りたければ、団体の出版物を読んだり、公式サイトをみればよいのであって、wikipediaはそういう場所ではないのです。これ以上は平行線と思われるので、これぐらいにしましょうか。--Solidrock0327(会話) 2017年9月25日 (月) 15:54 (UTC)
- 肯定的な意見よりに記載するなら以下に反していますよね。
- Solidrock0327さん。こんにちは。大方、ルールは守られていると思いますよ。ただし、Wikipedia:中立的な観点に「フェアであることと、好意的な立場」という節がありますよね。ここには、「もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。」と示されています。しかしながら、続けて「ある記事が、意見ではなく事実を記述するものになっていたとしても、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者にそれとなく感じさせるものになっている場合があります。」とあります。事実であってもそれとなく否定的なイメージを植え付けるような表現は記事として失敗です。批判的な内容を記載したいのであれば、せめて「○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている」という表現になるということです。私自身、アカウントを取る気はありませんし、これ以上は編集に首を突っ込む気はありません。疲れますからね。あとはSolidrock0327さんにお任せします。--125.192.148.177 2017年9月25日 (月) 15:43 (UTC)
- 大切なガイドラインを1つ忘れていました。
主流派キリスト教会の記事の移動について
ノートでの議論をお願いしましたが、合意なきまま差し戻しされ、今回、やむを得ず保護を依頼しました。氷鸛さん、46.193.169.22さんはまずノートで議論してください。また両者が同一人物であった場合は(ご存知かわかりませんが)禁止事項に抵触します(Wikipedia:多重アカウント)。今後はそのようなことはおやめください。またお二人がエホバの証人の関係者である場合、(どうしても編集に参加したい場合は)正直にこのノートで表明し、編集への間接的参加を試みてください。元来wikipediaでは、自身が関係する組織の編集に参加することはご遠慮いただくルールとなっております。また、今一度wikipediaのガイドラインをよくご確認いただき、今回の保護終了後に再度合意なき編集を行うなら、かなり悪質な行為と判断され、それなりの対処が行われるとご理解下さい。以上、よろしくお願いします。--Solidrock0327(会話) 2017年10月2日 (月) 14:49 (UTC)
出典の削除について
Solidrock0327さん、この編集についてご説明下さい。私はエホバの証人ですからWikipediaのルールに従い、当記事の編集に直接は参加致しませんが、「出典を明記する」点で記事の編集を後方から支援し、信頼性の向上に寄与する事は可能だと考えております。Solidrock0327さんは私が提示した出典を『項目と直接の関連がない団体の記事を追加しても文脈と合いません。当記事に追加するのは不適切です。』としてノートページで議論する事も無く削除されましたが、出典とした記事を最初から最後まで読んでいただければ明白なように、エホバの証人について取り扱っている記事となり、出典の挿入位置も妥当である事がお分かりいただけるかと思います。私はSolidrock0327さんをWikipedia:荒らし#分かりにくい荒らしに該当する人物だと見ておりますが、いかがでしょうか。--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 04:18 (UTC)
- Shingo.aさん、ご指摘ありがとうございます。貴殿の過去の編集傾向から、チェックせずに削除してしまいました。今回は完全に私の確認不足です。御不快をおかけし申し訳ありませんでした。早速ご指摘通り該当記事を復活させました。なお、wikipediaでは出典のタイトルだけみて記事を読まないケースもあり得るため、記事の概略説明も付記しました。また、ライブドアニュースは、記事の元ソースURLに変更しておきました。総合ポータルサイトのニュース記事は時間経過で削除される場合があるためです。
- また、エホバの証人の信仰をお持ちであることを正直に告白されたのは貴殿が初めてであり、お教えいただきありがとうございます。証拠はないながらも、明らかに信者でなければ知り得ない編集をされる方は多かったですが、どなたも告白されずに自然消滅していかれましたので。そして、出典で編集参加される御意思をお持ちだそうですが、お気持ちは十分理解できます。しかし残念ながら、以下ガイドラインがあります。
- >『自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない第三者が記事を編集するのを待ちましょう。』--Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき
- ですので、今後はノートにて提案をよろしくお願いいたします。また、他の記事についてもエホバの証人と関連のある記述編集はノートで依頼下さればと存じます。一般的な宗教関連記述についてはこの限りではないかと思いますが。以上よろしくお願いいたします。--Solidrock0327(会話) 2017年10月15日 (日) 05:57 (UTC)
- 「チェックせずに削除」とはどういう事でしょうか。ウィキペディアの編集はボランティアの上に成り立っている事を理解していないのでしょうか。二度としないで下さい。しかも「元ソースURLに変更しておきました」などと言っていますが、よくもあんな広告が多くて見にくいところに変更したものですね。大変感心しましたよ。--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 08:07 (UTC)
- 今回の件は私の確認不足であり重ねてお詫びいたします。しかし貴殿が過去に文脈に関係のない記事を追加した実例があるもまた事実です(この編集)。しかもエホバの証人の信者様と明らかになった今、宣伝活動そのものであると言わざるを得ないではないですか。貴殿もそのような編集は2度としないでください。出典記事の件は貴殿が納得されていないようなのでライブドアニュースに戻しておきました。今後もご意見は当ノートにお書き下さいませ。ただし意見は合意が得られなければ反映されないことはご理解下さい。--Solidrock0327(会話) 2017年10月15日 (日) 08:26 (UTC)
- 「宣伝活動そのもの」?その編集はWikipedia:論争のある記事#論争を記述するに従い、論争に参加するのではなく論争を記述したまでです。私はWikipedia:中立的な観点に基づき、中立的な観点で書いているという事がまだ分からないのですか?--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 08:57 (UTC)
- ちょっと待って下さい。貴殿が編集した時点で中立的観点ではないのです(Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#中立的な観点に関する問題)。エホバの証人の信者様がエホバの証人に関連する記事を記述するのがWikipedia:自分自身の記事をつくらないに反するのです。エホバの証人の信者様がエホバの証人に関連することを編集する時点で中立的観点には立てないと第3者からは判断されます。
- "自分について書いた情報には、しばしば主観が入り込み、その主観はふつうは自分に都合のよいようにものごとをとらえがちです。おおよそ人には、自分のことを語るときには自分をよりよく、より大きく見せようとする傾向があり、また自分の意見を事実であるように表現する傾向があります。"-Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#中立的な観点に関する問題。
- 広告・宣伝については『Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません』の「自己宣伝」の項目をお読みください。もう一度私が取り上げた上記ガイドラインをよくお読みくだされば、貴殿が編集でエホバの証人関連の記述をすることが不適切であるということをご理解いただけると思います。--Solidrock0327(会話) 2017年10月15日 (日) 14:05 (UTC)
- 「自分について書いた情報には、しばしば主観が入り込み」?今回の出典の追加で、私は一文字でも何かを記述したでしょうか?主観が入り込む余地など無かった事すらまだ分からないのですか?これ以上は平行線と思われるので、これぐらいにしましょうか。--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 21:10 (UTC)
- 「宣伝活動そのもの」?その編集はWikipedia:論争のある記事#論争を記述するに従い、論争に参加するのではなく論争を記述したまでです。私はWikipedia:中立的な観点に基づき、中立的な観点で書いているという事がまだ分からないのですか?--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 08:57 (UTC)
- 今回の件は私の確認不足であり重ねてお詫びいたします。しかし貴殿が過去に文脈に関係のない記事を追加した実例があるもまた事実です(この編集)。しかもエホバの証人の信者様と明らかになった今、宣伝活動そのものであると言わざるを得ないではないですか。貴殿もそのような編集は2度としないでください。出典記事の件は貴殿が納得されていないようなのでライブドアニュースに戻しておきました。今後もご意見は当ノートにお書き下さいませ。ただし意見は合意が得られなければ反映されないことはご理解下さい。--Solidrock0327(会話) 2017年10月15日 (日) 08:26 (UTC)
- 「チェックせずに削除」とはどういう事でしょうか。ウィキペディアの編集はボランティアの上に成り立っている事を理解していないのでしょうか。二度としないで下さい。しかも「元ソースURLに変更しておきました」などと言っていますが、よくもあんな広告が多くて見にくいところに変更したものですね。大変感心しましたよ。--Shingo.a(会話) 2017年10月15日 (日) 08:07 (UTC)
追記の提案
基本的に信者としか結婚しない点を追記していただければ嬉しく思います。エホバの証人#主な行動様式の項目内に、以下のような一文を記載していただければ理由まで明確です。
- コリント人への第二の手紙(口語訳) 6章14節に基づき、基本的に信者としか結婚しない[* 1]。
追記を依頼する理由としては、私自身がエホバの証人なため、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに従うと、自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされているからです。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年11月28日 (火) 10:52 (UTC)
- 提案に基づき追記いたしました。--Solidrock0327(会話) 2017年11月29日 (水) 17:30 (UTC)
- この編集内ですね。確認しました。どうもありがとう。--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 10:03 (UTC)
- 脚注*
- ^ “結婚 ― 愛ある神からの賜物 - エホバの証人公式サイト”. 2017年11月28日閲覧。9節
一言削除の提案
エホバの証人#神の概念の一点目、三位一体の否定の箇所ですが、以下のように一言削除する事を提案させていただきます。
- 削除前「・キリスト教会、クリスチャンが信じ、重要視している三位一体を激しく否定する」
- 削除後「・キリスト教会、クリスチャンが信じ、重要視している三位一体を否定する」
理由はWikipedia:大言壮語をしないにある通り、過剰な形容詞に相当するため、ウィキペディア日本語版のガイドラインに違反しているからです。わざわざ編集を他人に依頼する理由は、私自身がエホバの証人なため、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに従うと、自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされているからです。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 10:25 (UTC)
- ご指摘感謝致します。修正いたしました。--Solidrock0327(会話) 2017年11月30日 (木) 10:49 (UTC)
- 文字数としてはたった3文字、データ量にして9Byte、72bit相当でしたが、クリスチャンであるなら、s:ルカによる福音書(口語訳)#16:10にあるように、小さい事にも忠実である事を示す必要がありました。貴殿ならご理解していただける事と思います。修正を確認いたしました。どうもありがとう。--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 11:39 (UTC)
- コメントありがとうございます。s:ヨハネによる福音書(口語訳)#8:7、s:マタイによる福音書(口語訳)#7:5、s:マタイによる福音書(口語訳)#18:22をご参考にしてくださると幸いです。(一文追記)--Solidrock0327(会話) 2017年11月30日 (木) 12:05 (UTC)
- 私やイエス・キリストなら許すかもしれませんが、エホバはどうでしょうかね。s:出エジプト記(口語訳)#34:7に書いてある通り、罪は許されても処罰は必ず臨む事になると思います。--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 12:24 (UTC)
- 今まで数えきれないエホバの証人の広告・宣伝編集を行い、小事どころか、大事に全く忠実でないにもかかわらず、さらにはこのコメントの謝罪もなく、s:マタイによる福音書(口語訳)#7:5以外にかける言葉がみつかりません。--Solidrock0327(会話) 2017年11月30日 (木) 12:30 (UTC)
- 旧約聖書は使わないんですか?--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 12:40 (UTC)
- これ以上はノートの利用目的に反しますので、質問等ございましたら私の会話頁にお願い致します。--Solidrock0327(会話) 2017年11月30日 (木) 12:42 (UTC)
- 承知しました。Wikipedia:ノートページのガイドライン#記事のノートページの使い方にある通り、ノートページは「記事」について議論するための場であり、その記事の主題に関して会話を楽しむ場ではありません(もちろん無関係な話題は論外です)ですね。自重します。--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 12:49 (UTC)
- これ以上はノートの利用目的に反しますので、質問等ございましたら私の会話頁にお願い致します。--Solidrock0327(会話) 2017年11月30日 (木) 12:42 (UTC)
- 旧約聖書は使わないんですか?--Shingo.a(会話) 2017年11月30日 (木) 12:40 (UTC)
誕生日は祝わない点について追記の提案
誕生日は祝わない点を追記していただければ嬉しく思います。エホバの証人#主な行動様式の項目内に、以下のような一文を記載していただければと思います。ref group="#" はノートページ用の調整です。記事に移す際は最初のは ref group="証人" 、2つ目のはグループ指定を解除していただければと思います。
・誕生日を祝うことは非聖書的として、自らの誕生日はもちろん、親族や友人などの誕生日も祝う事はしない[# 1][# 2]
追記を依頼する理由としては、私自身がエホバの証人なため、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに従うと、自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされているからです。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月7日 (木) 11:36 (UTC)
- 追記提案後1週間が経過しましたが、他の利用者からの明確な反対意見が全く無く、議論も全く起きていませんので、「wikipediaというコミュニティ」からは、追記提案の内容自体に反対は全く無い、という事だと解釈いたしました。自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされておりますが、全く誰も追記しようとはされませんでしたので、私自身で追記させていただく事を提案させていただきます。告知期間として再度1週間置かせていただきます。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 11:59 (UTC)
- エホバの証人の信者様による編集はご遠慮下さる様お願い致します。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 12:12 (UTC)
- 私はWikipedia:荒らし#分かりにくい荒らしに該当する人物ではありません。ここはウィキペディアです。Solidrock0327さんの意見よりWikipediaのガイドラインに従います。Wikipedia:論争のある記事#論争を記述するに基づき、記載するべき内容であると私は考えております。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないでは「自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましい」と記載されており、「自分のことについては他の利用者に執筆を任せなければならない」とは記載されておりません。Wikipedia:出典を明記する点にも忠実さを示しつつ、Wikipedia:中立的な観点に基づいた中立的な内容での追記を提案しているにもかかわらず、全く誰も追記しないのであれば、自分の事について自分で記載する事も提案して一定の告知期間を置いた上で実施できると私は考えております。Solidrock0327さん、私の追記提案内容を記事に追記していただけない理由は何でしょうか?ご説明下さい。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 12:44 (UTC)
- 以下はWikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるときからの引用です。
- >自分が関わっている事柄についての記事の編集をするときには特に注意する必要がありますし、時にはそれを我慢することも、とても大切なことなのです。
- >提案をして、合意を得た後に、編集することが推奨されています。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。
- >ただし、誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許されます。
- 以下はWikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるときからの引用です。
- 以下はWikipedia:案内文の文例#関係者による自己宣伝と思われる投稿をする利用者にからの引用です。
- >題材にWikipedia:独立記事作成の目安をクリアするほどの実績があれば、信頼できる情報源(ブログなど当事者自身が発信する情報は該当しません)を出典として第三者によって執筆されます。宣伝・広報はウィキペディアではなく、それが許されている他のサイトを利用されるようお願いいたします。
- 以下はWikipedia:案内文の文例#関係者による自己宣伝と思われる投稿をする利用者にからの引用です。
- 1つのガイドラインを守るために他のガイドラインを破っていいことにはなりません。貴殿のようにやたらめったら追記提案するのは全然wikipediaの意図と違います。基本的にwikipediaは第三者による編集が前提で、当事者がいちいち編集に口を出していたら編集参加しているのとあまり変わらなくなってしまいます。はっきりいって迷惑です。
- 「提案をして、合意を得た後に、編集することが推奨されています。」第三者による記事の追記自体は反対しないが、貴殿が追記しないでください。そんなことをしたら、どんどんルールを破り始めますよね。過去の発言・編集行為でそれだけ貴殿には不信感があります。まずは信頼が得られるような編集・発言を行ってください。「時にはそれを我慢することも、とても大切なことなのです。」の意図、意味を理解してください。強制していないから、していいではなく、「遠慮してください(迷惑ですから)」という背後の意図もくみ取ってください。
- 私が追記するか、しないか、あなたに指図される筋合いはありません。私の自由です。あえていうなら「そんなヒマはない」ということです。もっと優先的に編集する記事はwikipediaに多数あります。貴殿の提案の第三者による追記に反対しないまでも、必須記事とも全然言えません。どんどん追加されて、それをいちいち追記していたらキリがないし、たまったものではありません。もっと厳選して、年に数回、とかならまだ理解できますが。提案するにしてもマナーというものがあるでしょう。項目ごとにいちいちタイトルをつけて同じ文章を繰り返していて、読む方の身になって追記してください。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 13:20 (UTC)
- ルールを破るつもりは全くありません。貴殿に迷惑をかけるつもりも全くありません。追記分も必要最低限に厳選しております。貴殿は多忙でしょうから、私自身で編集作業を行う用意がある事を明示的に示したまでです。貴殿が反対しなければ1週間後には私の方で反対意見の出なかった提案内容そのままで編集作業を行う予定でした。それなら誰にも手間は取らせません。貴殿が迷惑に感じるのであれば、無視していただければそれで十分なのでは無いでしょうか?「時にはそれを我慢することも、とても大切なことなのです。」でもなぜか1週間は無視できたけれど、私が自分で書くと言った瞬間に「ご遠慮下さい」と書き込んだのは貴殿の方です。Wikipedia:説明責任に基づき、説明責任が発生する事は貴殿も良くご存じでしょう?--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 13:37 (UTC)
- 迷惑をかけるつもりがなくても、ルールの抜け道を必死で抜けようとする行為そのものが私は不快です。しかも自分で小事に忠実といいながら今までどれだけwikipediaのルールを破ったんですか?お願いですから、宣伝行為はやめていただけませんか?当事者の編集は宣伝・広報になるんですよ。同じ内容でも、あなたが提案した時点でそうなるんですよ。第三者である私が必須ではないと判断しているのですが。第三者の判断を覆し、当事者の意見を記事に反映させる、合理的理由があるのですか?「どうしても編集したい場合」なんですから、年数回、数行とかにしてくださいよ。宣伝・広報はウィキペディアではなく、それが許されている他のサイトを利用されるようお願いいたします。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 13:55 (UTC)
- まぁまぁ、落ち着いて。私は貴殿の事が良く分かっていなかっただけです。ルールも抜け道を探すのではなく、それに従って作業できるようにと最初に熟読していただけです。貴殿にとってはs:コリント人への第一の手紙(口語訳)#10:13だったようですが(笑)。それに私に反対意見をこんなにも執拗に述べているのは貴殿ただお一人しか居ない訳です。それじゃもはや第三者視点とは言えませんよ。お互い全くの当事者そのものです。
- 本件のこの一件に関しては「どうしても編集したい場合」に該当します。私は私の誕生日を誰かに祝福された記憶がありません。でもそれは本当に愛のあるやり方なのか?とずっと心の奥で疑問に感じてきた事なのです。提案した内容であればWikipedia:論争のある記事#論争を記述するに基づいたこの論争の最良の記述であると感じています。よってできれば私やSolidrock0327さんではない第三者に追記を依頼したい提案内容です。どなたかよろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 14:31 (UTC)
- 信者でもないのに、反対しているから当事者になってしまうなんて詭弁ですよ。当事者の編集参加に反対しているのです。「私だけが執拗に反対している」を理由にして自分で追記などくれぐれもしないでください。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 14:53 (UTC)
- その意見はWikipedia:記事の所有権に書いてある「私有化」に該当していませんか?--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 15:02 (UTC)
- 「他の利用者に執筆を任せるのが望ましい」を拡大解釈して「他の利用者に執筆を任せなければならないとは記載されておりません」などとルールを乗り越えようとしているので釘を刺したのです。「望ましい」は「望ましい」であって、それに従えば何も問題ありません。それを乗り越える合理的理由はないでしょう。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 15:10 (UTC)
- 左様でございますか。とりあえず疑問の答えは得られましたので私としてはもう満足です。時間という概念さえも神に創造されたものであると仮定すると、神の誕生日を祝う事など不可能ですね。それでか。私からは以上です。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 21:24 (UTC)
- 一つ貴殿に贈る言葉が見つかりましたのでプレゼントです。「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」。参考までに。--Shingo.a(会話) 2017年12月16日 (土) 01:23 (UTC)
- 済 現状の問題は「当事者の編集参加に反対」が1件だけなので、Wikipedia:論争の解決#ステップ4:_投票で決着させるのが良いのか?とか考えましたが、なんかやっぱりもう面倒なので、「発案者による取り下げ」という形を取らせていただき、本件もクローズとさせていただきます。お騒がせいたしました。それでは失礼いたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月16日 (土) 11:23 (UTC)
- 一つ貴殿に贈る言葉が見つかりましたのでプレゼントです。「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」。参考までに。--Shingo.a(会話) 2017年12月16日 (土) 01:23 (UTC)
- 左様でございますか。とりあえず疑問の答えは得られましたので私としてはもう満足です。時間という概念さえも神に創造されたものであると仮定すると、神の誕生日を祝う事など不可能ですね。それでか。私からは以上です。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 21:24 (UTC)
- 「他の利用者に執筆を任せるのが望ましい」を拡大解釈して「他の利用者に執筆を任せなければならないとは記載されておりません」などとルールを乗り越えようとしているので釘を刺したのです。「望ましい」は「望ましい」であって、それに従えば何も問題ありません。それを乗り越える合理的理由はないでしょう。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 15:10 (UTC)
- その意見はWikipedia:記事の所有権に書いてある「私有化」に該当していませんか?--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 15:02 (UTC)
- 信者でもないのに、反対しているから当事者になってしまうなんて詭弁ですよ。当事者の編集参加に反対しているのです。「私だけが執拗に反対している」を理由にして自分で追記などくれぐれもしないでください。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 14:53 (UTC)
- 脚注#
- ^ “エホバの証人はなぜ誕生日を祝わないのですか - エホバの証人公式サイト”. 2017年12月7日閲覧。
- ^ なぜかイエスキリストの誕生の際に天使たちが神を賛美した事には触れていない(ルカによる福音書(口語訳)#2:11-14)
祝わない行事について追記の提案
祝わない行事についてもっと追記していただければ嬉しく思います。エホバの証人#主な行動様式の以下の一文に以下のように追記していただければと思います。
- 追加前「・反聖書的・異教由来とみなす行事は祝わない。七夕、節分、ひな祭り、キリストの誕生日といった宗教的背景のある行事を祝わない。」
- 追加後「・反聖書的・異教由来とみなす行事は祝わない。七夕、節分、ひな祭り、キリストの誕生日といった宗教的背景のある行事を祝わない。イースター、バレンタインデー、正月なども祝わない[☆ 1]。」
ref group="☆" はノートページ用の調整です。記事に移す際は最初のは ref group="証人"としていただければと思います。 追記を依頼する理由としては、私自身がエホバの証人なため、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに従うと、自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされているからです。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月7日 (木) 12:08 (UTC)
- 追記提案後1週間が経過しましたが、他の利用者からの明確な反対意見が全く無く、議論も全く起きていませんので、「wikipediaというコミュニティ」からは、追記提案の内容自体に反対は全く無い、という事だと解釈いたしました。自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされておりますが、全く誰も追記しようとはされませんでしたので、私自身で追記させていただく事を提案させていただきます。告知期間として再度1週間置かせていただきます。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 12:12 (UTC)
- エホバの証人の信者様による編集はご遠慮下さる様お願い致します。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 12:35 (UTC)
- なぜでしょうか?祝わない行事は他にもたくさんある事くらいは貴殿も良くご存知の事と思います。そのうちのたった3つを追記するだけです。それだけなのにもかかわらず私はs:ルカによる福音書(口語訳)#16:10にあるように、小さい事にも忠実である事を示し、追記提案を行ったのです。例えばWikipedia:ページの分割と統合の手順を見ていただければご理解いただけるかと思いますが、提案後1週間が経過しておりますので、自分で作業を実施しても問題ないレベルだと思われます。それでもSolidrock0327さんただお一人の反対意見を尊重し、こうして議論に応じているのです。貴殿がそこまで言う理由は何でしょうか?ご説明下さい。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 13:03 (UTC)
- ここでその聖句?全く的外れです。そもそもwikipediaでは当事者による編集を求められていない。あとはノート:エホバの証人#誕生日は祝わない点について追記の提案にて返答。--Solidrock0327(会話) 2017年12月14日 (木) 13:31 (UTC)
- 脚注☆
- ^ “王は追随者たちを霊的に精錬する - エホバの証人公式サイト”. 2017年12月7日閲覧。11節の後の「他の祝いや祝祭日を暴く」の囲み記事参照
- ご提示いただいたエホバの証人公式サイトですが、七夕と節分とひな祭りは言及されていないようです。クリスマスはありましたが。 --210.149.251.51 2017年12月16日 (土) 01:33 (UTC)
- あと、正月(日本の習俗)という御提案ですが、正しくは新年では。 --210.149.251.51 2017年12月16日 (土) 02:56 (UTC)
- 済 ご意見ありがとうございます。本件ですが、発案者により既に取り下げ済みとなっておりますので、本件はクローズとさせて下さい。もし貴殿が別に案を出されるのでしたら、別件で立てていただければと存じます。--Shingo.a(会話) 2017年12月16日 (土) 06:34 (UTC)
政治的に中立である点に出典追加の提案
政治的に中立である点に出典追加の提案です。エホバの証人#主な行動様式の以下の一文の最後に出典を追加していただければ嬉しく思います。
- 出典追加前「・立候補及び投票など政治への参加は行わず、政治的に中立である。」
- 出典追加後「・立候補及び投票など政治への参加は行わず、政治的に中立である[★ 1]。」
理由は選挙について聞かれて何度も同じ答えをするのが面倒だからです。追記を依頼する理由としては、私自身がエホバの証人なため、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに従うと、自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされているからです。ref group="★" はノートページ用の調整です。記事に移す際は ref group="証人"としていただければと思います。 以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月7日 (木) 12:57 (UTC)
- 追記提案後1週間が経過しましたが、他の利用者からの明確な反対意見が全く無く、議論も全く起きていませんので、「wikipediaというコミュニティ」からは、追記提案の内容自体に反対は全く無い、という事だと解釈いたしました。自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいとされておりますが、全く誰も追記しようとはされませんでしたので、私自身で追記させていただく事を提案させていただきます。告知期間として再度1週間置かせていただきます。以上となりますが、ご検討の程、よろしくお願いいたします。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 13:07 (UTC)
- この出典追加の件も貴殿の心境を鑑み、取り下げさせていただきます。これで大丈夫でしょ?ご安心ください。--Shingo.a(会話) 2017年12月14日 (木) 13:53 (UTC)
- 脚注★
- ^ “エホバの証人が政治的中立を保つのはなぜですか - エホバの証人公式サイト”. 2017年12月7日閲覧。
- 「中立である」かどうかは本人の一存で決められることではないので、当事者の発言を根拠として記述することはできません。この出典だけを付けるのであれば、文章にも変更が必要でしょう。中立であることを心掛けたいという宣言をした、とか、中立であろうとしていると主張する、とかならいいかもしれませんが。 --210.149.251.51 2017年12月16日 (土) 02:59 (UTC)
- 済 ご意見ありがとうございます。本件ですが、発案者により既に取り下げ済みとなっておりますので、本件はクローズとさせて下さい。もし貴殿が別に案を出されるのでしたら、別件で立てていただければと存じます。--Shingo.a(会話) 2017年12月16日 (土) 06:35 (UTC)
児童虐待について
『児童保護に関するエホバの証人の聖書的立場(外部リンク)』という、公式見解が出ているようです。出典として利用できるかもしれません。ご報告まで。--Shingo.a(会話) 2018年5月12日 (土) 07:09 (UTC)
- 拝見しました。性的虐待についてのみ言及していて、それ以外の「虐待」定義が一切ありませんね。むち打ちや体罰への見解表明が全くないので、特に記事に追記する必要性は感じられません。--Solidrock0327(会話) 2018年5月12日 (土) 14:06 (UTC)
- 「虐待の定義」がお望みでございますか。それでしたら、「出エジプト記(口語訳)#22:21」「エゼキエル書(口語訳)#18:7」「エゼキエル書(口語訳)#18:12-13」「イザヤ書(口語訳)#49:26」「イザヤ書(口語訳)#66:4」などの聖句もご利用下さい。新世界訳聖書で見れば「虐待」についての事になりますので。ご報告まで。--Shingo.a(会話) 2018年5月19日 (土) 03:27 (UTC)
- 出典として追加できそう記事を見つけました。『エホバの証人 乱れた道徳観に、増加する児童虐待(ビジネスジャーナル)』ご報告だけさせていただきます。--Shingo.a(会話) 2018年5月19日 (土) 11:18 (UTC)
社会的側面の兵役拒否の箇所について
『「戦いを学ばない」(ミカ書(口語訳)#4:3)(イザヤ書(口語訳)#2:4)』という風になっている箇所ですが、実際に聖書を見ると、裁きが行われた後にそうなるとしているのが聖書の記述である事がお分かりいただけるかと思います。新世界訳聖書でも表現は違いますが意味は同じです。
彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。 — ミカ書4章3節(口語訳)
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。 — イザヤ書2章4節(口語訳)
つまり、まだ裁きが行われていない現在は、戦いを学ばない時ではない、という事も分かるはずなのですが、なぜかその点に触れているエホバの証人の出版物や公開講演などは、ボクの記憶する限りでは存在しません。なぜ裁きの後には戦いを学ぶ必要が無くなる、という聖句を使って、現在戦いを学ばない、と解釈するのか分かりません。どなたかご存知でしょうか?--Shingo.a(会話) 2018年5月19日 (土) 12:03 (UTC)
概要にある記述について
『現代の世界(宗教組織、政治組織を含む)は悪魔サタンの支配下にあり』という箇所ですが、出典とされているエホバの証人のサイトを見ると、「ヨハネの第一の手紙(口語訳)#5:19」が根拠とされております。
また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。 — ヨハネの第一の手紙5章19節(口語訳)
状況を見るに、エホバの証人という宗教組織自体も、この悪しき者の配下にある、という認識でよろしいのでしょうか?もちろんそう言っているエホバの証人の出版物や公開講演などは、ボクの記憶する限りでは存在しませんが、そう考えると納得できます。--Shingo.a(会話) 2018年5月19日 (土) 23:17 (UTC)
編集提案
「教義の概要」の前に、教義にもとずく解説の項目を作成の件
教義にもとずく解説
エホバ信仰の確立
1919年 統治体となるところの聖書研究会は「黄金時代」誌(現・目ざめよ!誌)を創刊し、イエス・キリストは神の子であり、神ではなく、エホバに最初に創造された者であるとの観点にもとずき、エホバ神を崇拝の対象とする。のちにエホバの証人とされる信者は、エホバ神の崇拝を始める。
1931年 「エホバの証人」という名称を採択する。統治体はエホバ神の崇拝には、聖書を用いた信者個人の証言能力が重視されていることを表明した。信者は自らを「エホバの証人」と呼ぶことを始める。(注釈ここより統治体は対外的にはエホバの証人の活動のバックボーン的な最高組織として指導してゆくこととなる。信者個人とエホバ神との直接的な関係が構築されることとなる。)エホバ神を崇拝する信者は「エホバの証人」として、エホバ神の崇拝が正しいとする聖書の研究と会合を通して信仰を深めてゆくこととなる。(注釈1923年には2年後に死者が復活するという終末観が統治体によってなされており、その6年後のこととなる。)
年代については、「エホバの証人に関する論争」の外れた予測も参照 --Tokinokawa(会話) 2020年4月12日 (日) 02:37 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2020年4月11日 (土) 05:22 (UTC)問題が無いようですので本文に移行します。加えて、'教義にもとずく解説'エホバ信仰の確立の次に下記の文を追加したいと思います。また、項目の終わりの方に論評を追加したいと思います。
キリスト臨在信仰の確立
・発端となるキリスト再臨信仰
・1907年: 統治体となるところの聖書研究会は、今はアルマゲドンの時であり、1914年にはアルマゲドンが最高潮に達する(注釈、 Armageddon will culminate in the year 1914.)として、キリスト再臨信仰を表明する。ここより、信者はアルマゲドンの時とキリストの再臨信仰を始める。 (注釈 1914年にキリストが空中に再臨し、クリスチャンを空中にひきあげ(携挙)、その後大きな困難が地上を襲う(患難時代と呼ばれる)、患難期の最後にアルマゲドンの戦いが起こり、そのときキリストは地上に再臨するという終末観である。)(しかし予測の通りにはならなかった。)
・1915年、統治体は、アルマゲドンはその年に終わるだろうと表明した。信者は、アルマゲドンは1915年に終わるという信仰を始める。
・1917年: 統治体は、統治体の上に「キリストの臨在」が1914年に始まったことを表明した。信者は1914年から統治体の上にキリストが臨在しているという信仰を始める。
・統治体は、1914年にキリストによって「忠実で思慮深い奴隷」であるとして任命されたことを表明した。信者は1914年から統治体の成員はキリストによって「忠実で思慮深い奴隷」として任命された集団であるという信仰を始める。
・統治体は1914年を起点に、天でイエス・キリストが王位についたことを表明した。信者は、1914年に天でイエス・キリストが王位についたという信仰を始める。
・統治体は、翌年の1918年に、神は「大規模に(wholesale)」キリスト教教会を荒廃させ始めるということを表明した。信者は、1918年になると、神は大規模にキリスト教教会を荒廃させるという信仰を始めた。(注釈、しかし予測の通りにはならなかった。)(注釈、キリスト臨在信仰が確立した。)
連続的終末信仰の確立
・1922年〜1923年: 1925年に死者の復活が生じるということを表明した。(注、この1925年のための準備として、ものみの塔協会はカリフォルニアに不動産を購入し、そこに屋敷を建設した。この不動産は、彼らが1925年に命へと復活すると考えていたアブラハム、モーセ、ダビデ、サムエルといった人々を住まわせるためのものであった。)信者は、1925年に死者の復活が生じるという信仰を始める。
・1938年: 統治体は、 結婚や出産をすべきではないほどアルマゲドンがとても近付いているということを表明した。エホバの証人は、アルマゲドンがとても近付いているという信仰を始める。
・1941年: 統治体は、アルマゲドンまで「数か月(months)」しか残されていないということを表明した。エホバの証人は、あと数ヶ月でアルマゲドンが来るという信仰を始める。
・1942年: 統治体は、アルマゲドンは「わたしたちのすぐ目前に(immediately before us)」迫っているということを表明した。エホバの証人は、すぐ目前にアルマゲドンが迫っているという信仰を始める。
・1969年: 統治体は、若者が大人になるほどまで人類の存在は続かない。そして、世の体制は「数年のうちに(in a few years)」終わるということを表明した。(注、これを理由に、若い証人は高等教育をわざわざ追い求めたりしないように勧められた。)エホバの証人は、国連は数年のうちに終わるという信仰を始める。
・1969年: 統治体は、キリストの千年統治は1975年に始まるということを表明した。エホバの証人は、1975年にキリストの千年統治が始まるという信仰を始める。
・1975年~1984年までの約10年間、ものみの塔協会の出版物には、キリストの千年統治に関係したかなりの数の推測が載せられた。エホバの証人は、キリストの千年統治がきているという信仰を続ける。
・1984年: 統治体は、「終わり」は20世紀末よりも早いことを示す「多くの兆候」があるということを表明した。エホバの証人は、「終わり」は20世紀末よりも早く来るという信仰を始める。
・今日、統治体は、差し迫ったアルマゲドンを予期するように表明している。エホバの証人は、アルマゲドンは差し迫っているという信仰を続けている。)(注、連続的な終末信仰が確立した。)
教義にもとずく解説部分の削除に関して
同一記述があるため、ということで削除されましたので、沿革部分の編集で調整したいと思います。内容については上記の編集提案にそった形になりますので、本文の編集で対応ということにしたいと思います。異議のある方は返信を願います。--Tokinokawa(会話) 2020年5月4日 (月) 01:55 (UTC)
文献
白川徹さんが2009年刊行の『新カトリック大事典』の「ものみの塔聖書冊子協会」の項目であげている(参考)文献は次の通りです。
- 「ものみの塔」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年、1404-1405頁。ISBN 476424005X。
- "Jehovah's Witness", Oxford Dictionary of the Christian Church, 3rd edition, F. L. Cross ed., London 1997. p. 865. ISBN 019211655X.(「試し読み」でJehovah's Witnessを検索可)
- (項目名不明)New Catholic Encyclopedia, 15 vol., New York 1967. 7: pp. 864-865.
- (項目名不明)Lexikon für Theologie und Kirche, W. Kasper et al. ed., Freiburg i. Br. 1993-. 10: pp. 1446-1447.
- (項目名不明)Theologische Realenzyklopädie, G. Krause, G. Müller ed., Berlin 1976-. 36: pp. 661-663.
--Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 02:07 (UTC)--Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 05:45 (UTC)--Lmk2019(会話) 2020年7月20日 (月) 06:20 (UTC)
追記について
上記提案しました「論評」を本文に移行しました。--Tokinokawa(会話) 2020年7月2日 (木) 08:16 (UTC)
- 除去しました[1]。理由:著作権違反の恐れがあります。引用の要件をみたしていません。「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」をご覧ください。私は除去による対応で容認されるのではないかと判断して「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#削除による対応」はしませんが、あるいは削除依頼すべきかも知れません。著作権違反の恐れがある箇所を除去すると「論評」節の内容が意味不明になりますので「論評」節全体を除去しました。同じく著作権違反の恐れ他の理由で、上記提案の該当箇所もこの追記と同時に除去します。--Lmk2019(会話) 2020年7月20日 (月) 03:35 (UTC)--Lmk2019(会話) 2020年7月20日 (月) 06:20 (UTC)
ご指摘の件了解しました。ありがとうございます。--Tokinokawa(会話) 2020年7月21日 (火) 12:38 (UTC)
項目の順番の変更と、会員数の項目の追加について
内容は変えずに、下記のような順番に変えたいと思います。
1 沿革
2 組織
3 会員数 統計
4 教義の概要
4.1 JW Library
4.2 神の名
4.3 神の概念
4.4 神の王国
5 活動
5.1 年間行事
5.2 熱心な伝道
5.3 主な行動様式
5.4 新型コロナウイルス感染症に伴う影響
6 特筆的な事柄
6.1 輸血拒否
6.2 兵役拒否
7 聖書
7.1 主な聖書解釈
7.2 エホバの証人の文献引用についての見解
8 主流派キリスト教会からの批判
8.1 カトリック・プロテスタント・正教会の各団体、関係者等による見解
9 カルト・セクト指定
10 住人による反対運動
11 JW.ORG(公式サイト) 以下同じ--Tokinokawa(会話) 2020年7月21日 (火) 13:48 (UTC)
- その目的は何でしょうか?現状にどんな問題があって、ご提案がそれをどう解決するのか、という部分の説明が不足しているように思います。 --2001:240:241D:8603:8560:86A0:8EED:6506 2020年7月29日 (水) 07:13 (UTC)
本文を訂正した後でのご指摘でしたので、確認が遅れました。目的としましては、少し前にノートで「教義にもとずく解説の項目」を作成し、了承されたみたいなので本文に追記したところ削除されましたので、その内容を全体に割り振るうえで全体的に整理しようと、項目の順番をわかりやすいパターンに変えました。それと、キリスト教の異端宗教ということが前面に打ち出されていて、読んでいてはっきりとわからない感じがしました。キリスト教の異端宗教は一つの条件にすぎず、違いもさほどないので重要ではないと考えます。内容は変えてありませんが、関連した文章は項目ごとに割り振りました。これから、沿革や教義を見直したいと考えています。--Tokinokawa(会話) 2020年8月9日 (日) 00:23 (UTC)
組織の要約文の作成について
「エホバの証人の組織構造」からの要約文を「組織」の項目の最後に載せたいと思います。
特徴的な組織観
初期の統治体は、聖書は「神の言葉」であるという前提にもとづき、エホバの証人の組織を神の組織の一部であるとしている<神の組織は、神のご意志を行なうために協力して働く、天と地にいる者すべてによって構成されている。「 神の組織の一員として安全を保ちなさい」>神の組織とは、神の意志を行なうために協力して働く、み使いを含めた天と地にいる者すべてによって構成されているとしている。<「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住む」>
現在の統治体の上にはイエス・キリストが臨在し、統治体にのみ各種の通信を送っているとされる。<イエス・キリストの目に見えない「臨在」は、異邦人時代の終わった1914年に始まったとされ、それ以後の期間が「終わりの日」に相当するとされている。「 復活の行なわれるその終わりの日に今生きる」>統治体の方針や長老等の言葉は、信者にとって聖霊に満たされた神の言葉と設定されているので、それに異を唱える者は、神から疎外されている人として、排斥されることがある。 --Tokinokawa(会話) 2020年7月26日 (日) 19:04 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2020年7月30日 (木) 07:08 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2020年8月8日 (土) 23:58 (UTC)
歴史と教義に文章を追加
- 沿革の最後に以下の文を入れたいと思います。
聖書を信じる宗教としての信仰の確立の歴史
イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、プロテスタント#キリスト教としての信仰の確立の歴史を参照
聖書は神の言葉という信仰の確立
聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
- 教義の最後に以下の文を入れたいと思います
聖書を信じる宗教としての基本的な教義
ナザレのイエスは死んだけれども、よみがえった
- 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイエスは天に昇って行ってから、神の右に座った
- ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
- ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。(現在イエスは、統治体の上に臨在している。)
- すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。
聖書は神の言葉だと信じる
指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。--Tokinokawa(会話) 2020年8月29日 (土) 02:39 (UTC)