牧野忠貴
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文2年(1662年) |
死没 | 宝永3年9月15日(1706年10月21日) |
改名 | 忠英(初名)→忠貴 |
別名 | 半之助、半左衛門(通称) |
墓所 | 新潟県新潟市西蒲区福井の一山寺 |
官位 | 従五位下、伊予守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
氏族 | 三河牧野氏 |
父母 | 父:牧野忠清 |
妻 |
正室:松浦鎮信の娘 継室:大田原高清の養女 |
子 |
大久保常春正室、牧野忠列正室 養子:忠列 |
牧野 忠貴(まきの ただたか)は、江戸時代中期の旗本。第3代三根山領主。
生涯
天和2年(1682年)5月29日、父忠清の隠居により家督を相続する。翌年小姓組番頭となり、12月に従五位下・伊予守に叙任される。元禄元年(1688年)9月12日から11月13日まで側用人を務めたが、将軍徳川綱吉より逼塞を申しつけられた。元禄3年(1682年)に赦された。秋月種封の子を娘婿とし、忠列と名乗らせた。没後、忠列が家督を継いだ。