謝朓楼
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謝朓楼 | |
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謝朓楼、2021年 | |
概要 | |
用途 | 楼 |
所在地 | 中国・安徽省宣城市宣州区 |
座標 | 北緯30度57分17秒 東経118度46分04秒 / 北緯30.954743度 東経118.767691度座標: 北緯30度57分17秒 東経118度46分04秒 / 北緯30.954743度 東経118.767691度 |
起工 | 唐 |
改築 | 1997年 |
解体 | 1937年 |
高さ | |
構造 | 中国建築 |
技術的詳細 | |
資材 | 木、セメント |
床面積 | 1,500 m2 (16,000 sq ft) |
謝朓楼 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 謝朓樓 |
簡体字: | 谢朓楼 |
拼音: | Xiè Tiăo Lóu |
日本語漢音読み: | しゃちょうろう |
謝朓楼(しゃちょうろう)は、中華人民共和国安徽省宣城市宣州区にある楼閣。閲江楼・真武閣・鎮海楼と共に、江南の四大名楼のひとつとされる。
歴史
南朝斉の建武2年(495年)、謝朓は宣城郡太守を担当して、郡城の北の陵陽山で楼閣で創建された。当時は「高斎」と称した。
唐は楼閣を再建した。「北望楼」と改称。咸通15年(874年)、宣州刺史の独孤霖はこの建物を改築し、畳嶂楼と改称した。
明の嘉靖年間、寧国府知府の方逢時は楼閣を再建し、高斎楼と改称した。
清の康熙年間、寧国府知府の許廷式は楼閣を再建し、古北楼と改称した。光緒年間、知府の魯一員は楼閣を再建し、謝朓楼と改称した。
1997年、地元政府は楼閣を再建する。1998年5月、安徽省人民政府は楼閣を省級文物保護単位に認定した。
文学
唐の李白の『宣州謝朓楼餞別校書叔雲』に云く:棄我去者、昨日之日不可留。乱我心者、今日之日多煩憂。長風万里送秋雁、対此可以酣高楼。蓬萊文章建安骨、中間小謝又清発。倶懐逸興壮思飛、欲上青天覧日月。抽刀断水水更流、挙杯銷愁愁更愁。人生在世不称意、明朝散髪弄扁舟。
出典
- “江南名楼——謝朓楼” (中国語). 南京日報. (2012年3月14日) 2021年11月21日閲覧。