はかま満緒
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はかま みつお はかま 満緒 | |
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本名 | 袴 充夫 |
生年月日 | 1937年9月13日 |
没年月日 | 2016年2月16日(78歳没) |
出生地 | 東京都 |
活動期間 | 1959年 - 2016年 |
主な出演番組 | |
『日曜喫茶室』 | |
はかま 満緒(はかま みつお、1937年〈昭和12年〉9月13日 - 2016年〈平成28年〉2月16日)は、日本の放送作家。本名・袴 充夫(読み同じ)[1]。NHK-FMの番組『日曜喫茶室』の司会を40年務めた。
来歴・人物
[編集]1937年(昭和12年)東京府生まれ。1957年(昭和32年)慶應義塾大学を中退後、ラジオ東京(現・TBS[2])に入社。1959年(昭和34年)に同社を退社し、フリーの放送作家となる。林家三平のギャグの台本を数多く手がけたことで、放送作家として大成。
1961年(昭和36年)開始の日本テレビ『シャボン玉ホリデー』をはじめ、テレビ・ラジオの多くのコメディ・バラエティ番組の作・構成を担当するようになった。特に、10年間続いた『シャボン玉ホリデー』の後半5年間を担当し、人手不足の時には自らコントに参加するなど、「番組に顔を出す放送作家」の先駆けの一人でもあった。
自宅に「はかまお笑い塾」を作り、萩本欽一や車だん吉、脚本家の市川森一ら多くの芸人、脚本家を世に送り出した。
1972年(昭和47年)に芸術祭大衆芸能部門文部大臣賞、芸術祭賞を受賞。2001年(平成13年)に放送文化基金賞を受賞。
2016年2月16日、東京都大田区内の自宅で倒れているところを家族が発見し、病院へ急ぎ搬送したが、同日午後3時55分に死亡が確認された。死因は心不全[1][3]。78歳没。
著作リスト
[編集]- 『頭を悪くする本 三枚目出世法』(コダマプレス)1966
- 『オトナの歌集 渡世の仁義 お尻まるだしヘンな本』【プレイブックス】(青春出版社、1970年)
- 『コント1001 ひとを笑わせトクする本』塩田英二郎絵 実業之日本社 1971
- 『黙って書いてごめんなさい このネタはちょっと手に入りません』【プレイブックス】(青春出版社、1979年)
- 『また黙って書いちゃった-タレント笑話史-』(徳間書店徳間ブックス、1980年)
- 『私の面白会話術 あなたを変身させる演出法』(徳間ブックス、1981年)
- 『笑い殺しの替え歌集 どんとこいギャグセンスこの一発』【プレイブックス】(青春出版社、1983年)
- 『はかま満緒のコント笑話史』〈徳間文庫〉、徳間書店、1983年2月15日。
- 『相手を黙らせるのはわけはない : ひと言ギャグ 知的自分の売り方』〈プレイブックス〉、青春出版社、1986年12月25日。
- 『誰も書かなかった裕次郎』(朝日新聞社、1988年 『裕次郎讃歌』文庫
- 『人生万能薬—「幸福」と「成功」をもたらすユーモアの精神』(イーストプレス、1993年)
- 『はかま満緒の放送史探検』(朝日文庫、1995年)
- 『人生うまくいく人のちょっとした気づかい』(幻冬舎、2000年)
- 『世界が嗤う日本のジョーク』(リヨン社、二見書房(発売) 2007年)
共著
[編集]出演
[編集]テレビ
[編集]- 脱線問答(NHK総合)
- 吉村明宏のクイズランチ(TBSテレビ)
- ああ結婚(TBSテレビ)
ラジオ
[編集]- 日曜喫茶室(NHK-FM)
- 東芝歌謡パレード(TBSラジオ)
- はかま満緒の朝から一緒に文化放送(文化放送)
- ミュージック天国(ニッポン放送)
- はかま満緒のコントで歌謡曲(ニッポン放送)
- はかま満緒のゲストスタジオ(ニッポン放送)
- はかま満緒のいきいき生放送(ニッポン放送)
- 昨日のつづき(ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本))
- 夜はこれから(ラジオ日本)
- はかま満緒の話のタネ(ラジオ日本)
- ばつぐんジョッキー(CBCラジオ)
- FMバラエティ〜はかま満緒のコーナー(FM愛知)
CM
[編集]脚注
[編集]- ^ a b はかま満緒さん死去「シャボン玉ホリデー」「日曜喫茶室」放送作家 スポーツニッポン 2016年2月17日閲覧
- ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ。
- ^ 日曜喫茶室のはかま満緒さん、心不全で死去 78歳 日刊スポーツ 2016年2月17日閲覧