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カルロス・デルガド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・デルガド
Carlos Delgado
ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2008年6月6日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区アグアディーヤ
生年月日 (1972-06-25) 1972年6月25日(52歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1988年 アマチュアFA
初出場 1993年10月1日
最終出場 2009年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年
殿堂表彰者
選出年 2015年

カルロス・フアン・デルガド・エルナンデスCarlos Juan Delgado Hernández, 1972年6月25日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手一塁手)。右投左打。

略歴

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プロ入りとブルージェイズ時代

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1988年10月9日トロント・ブルージェイズへ入団した。

1993年10月1日にメジャーデビューを果たした。1年目は、わずか2試合の出場で1打数0安打に終わったが、チームがワールドシリーズを制覇したため、チャンピオンリングを手に入れている。

1994年は開幕から本塁打を量産し、4月11日アスレチックス戦でメジャー初の1試合2本塁打を記録し、4月19日の時点で両リーグ最多の8本塁打を記録した[1]。しかし、その後本塁打を5月30日まで1本も打てずにいて、6月10日にマイナーへ降格し、その後メジャー昇格はなかった[1]

1995年は37試合の出場に終わった。

1996年には指名打者でスタメンに定着し、138試合に出場して打率.270・25本塁打・92打点を記録し、メジャーに定着した。

1997年からジョン・オルルドが退団したため、本格的に一塁手に転向した。153試合に出場しチーム1位となる打率.262、30本塁打を記録し[2]、球団新記録となる3本の満塁本塁打を記録している[3]

1998年は打率.292、38本塁打、チーム最多の115打点を記録した[4]

1999年は自己最高となる156安打、327塁打、83長打、44本塁打、134打点を記録し、初のシルバースラッガー賞を受賞した。134打点はジョージ・ベルが1987年に記録した球団記録に並び、44本塁打は左打者としての球団記録となった[5]

2000年は全162試合に出場し、打率.344、41本塁打、137打点を記録した。1967年カール・ヤストレムスキー以来33年ぶりに「大リーグで3冠王が誕生するか?」と騒がれ、安定した打撃でチームの勝利に貢献[6]。リーグ最多、球団新記録[7]の57二塁打を記録し、長打率.664、378塁打、137打点は球団新記録となった[7]。オフには、MVP候補に挙げられ、シーズン終盤の本拠地スカイドームではデルガドへの「MVPコール」が沸き起こり[6]、MVP投票で4位だったが、ハンク・アーロン賞を受賞。シーズン終了後の10月20日に4年総額6800万ドルで契約延長。年平均年俸はロジャー・クレメンスの1545万ドルを上回る1700万ドルでメジャー史上最高額となった[8]

2001年も全162試合に出場した。39本塁打、102打点を記録したが、打率.279と前年より.065低下した。

2002年は打率.277、33本塁打、108打点だった。

2003年は3年ぶりに打率3割を上回る打率.302、リーグ2位の42本塁打、リーグ1位、球団新記録[7]となる145打点を記録した。9月25日タンパベイ・デビルレイズ戦では1回に3点本塁打を放ち、通算300本塁打を達成するとさらに4回・6回・8回にもソロ本塁打を打ち、MLB史上15人目となる1試合4本塁打を達成した[9][10]。MVPの投票ではアレックス・ロドリゲスに次ぐ2位に入った。

2004年は打率.269、32本塁打を記録し、99打点と7年ぶりに100打点を下回った。オフに、フリーエージェント(FA)となった。

マーリンズ時代

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2005年1月25日にフロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)へ球団史上最高額となる4年総額5200万ドルで移籍した[11]

同年は打率.301、ミゲル・カブレラに並ぶチーム最多タイの33本塁打、リーグ5位の115打点を記録し、フランク・ロビンソンディック・アレンブラディミール・ゲレーロに次ぐ史上4人目となる両リーグで3割・30本塁打・100打点を達成した。[12]

メッツ時代

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2005年10月24日に、トレードでニューヨーク・メッツへ移籍した。2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された。

同年はファンやマスコミのうるさい大都市での活躍が危惧されていたが[13]、打率.265、38本塁打、114打点を記録し、チームはプエルトリカンのカルロス・ベルトランデビッド・ライトが100打点以上を記録し、18年ぶりに地区優勝した。8月22日に満塁本塁打で通算400本塁打を達成し、バリー・ボンズ(13年)、ジミー・フォックス(12年)、サミー・ソーサ(10年)の3人しか達成していない10年連続30本塁打を達成した[14]。初のポストシーズンとなったデルガドは10試合で打率.351、4本塁打、11打点の好成績を残した。慈善活動にも熱心で、母国プエルトリコの恵まれない子供らを支援する基金を設立するなど、複数の福祉活動を行っており、10月24日ロベルト・クレメンテ賞を受賞した[8]。マーリンズとの4年契約には移籍を要求できるようになっていたが、「残りの野球人生をメッツでまっとうしたい」として残留した[13]

2007年はシーズン序盤の不振と、故障での戦線離脱が影響し、30本塁打到達を逃した。打率、打点、本塁打など1996年にメジャー定着後、最悪の成績となり、チームも終盤失速し地区優勝を逃した。

2008年も開幕から不振で解雇を噂されるようになった[15]。6月17日にウィリー・ランドルフ監督が解任され、ベンチコーチのジェリー・マニエルが監督となってからはチームメイトと積極的に会話を交わし、チーム内の架け橋的存在となった[15]。前半戦は93試合で打率.248、17本塁打、52打点が、後半戦は66試合で打率.303、21本塁打、63打点を復調[16]。地元ファンからは「MVP」コールを受けるようになった[15]。しかし、チームはマーリンズとの最終戦で敗れ、プレーオフ進出を逃した。シーズン終了後の10月31日に球団は1200万ドルのオプションを行使し、2009年もメッツでプレイすることが決まった[17]

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCプエルトリコ代表に選出され[18]、2大会連続2度目の選出を果たした。

シーズンでは5月10日臀部を痛めたため、故障者リスト入りした。そのまま、復帰する事は無かった。オフにFAとなった。

レッドソックス傘下時代

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2010年2月に臀部の手術をした。8月7日ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。3Aで5試合に出場したのみだった。

現役引退後とその後

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2011年4月13日に痛めていた臀部の回復が思わしくないため、故郷のプエルトリコにて引退表明した。デルガドは「思うようなプレーができなくなってしまった。(時間の)流れに逆らうことはできない」と述べた[19]

2015年2月4日にマット・ステアーズコーリー・コスキーフェリペ・アルー、ボブ・エリオットと共にカナダ野球殿堂に入った[20]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1993 TOR 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .500 .000 .500
1994 43 159 130 17 28 2 0 9 57 24 1 1 0 1 25 4 3 46 5 .215 .352 .438 .790
1995 37 99 91 7 15 3 0 3 27 11 0 0 0 2 6 0 0 26 1 .165 .212 .297 .509
1996 138 563 488 68 132 28 2 25 239 92 0 0 0 8 58 2 9 139 13 .270 .353 .490 .843
1997 153 595 519 79 136 42 3 30 274 91 0 3 0 4 64 9 8 133 6 .262 .350 .528 .878
1998 142 620 530 94 155 43 1 38 314 115 3 0 0 6 73 13 11 139 8 .292 .385 .592 .977
1999 152 681 573 113 156 39 0 44 327 134 1 1 0 7 86 7 15 141 11 .272 .377 .571 .948
2000 162 711 569 115 196 57 1 41 378 137 0 1 0 4 123 18 15 104 12 .344 .470 .664 1.134
2001 162 704 574 102 160 31 1 39 310 102 3 0 0 3 111 22 16 136 9 .279 .408 .540 .948
2002 143 628 505 103 140 34 2 33 277 108 1 0 0 8 102 18 13 126 8 .277 .406 .549 .955
2003 161 705 570 117 172 38 1 42 338 145 0 0 0 7 109 23 19 137 9 .302 .426 .593 1.019
2004 128 551 458 74 123 26 0 32 245 99 0 1 0 11 69 12 13 115 11 .269 .372 .535 .907
2005 FLA 144 616 521 81 157 41 3 33 303 115 0 0 0 6 72 20 17 121 16 .301 .399 .582 .981
2006 NYM 144 618 524 89 139 30 2 38 287 114 0 0 0 10 74 11 10 120 12 .265 .361 .548 .909
2007 139 607 538 71 139 30 0 24 241 87 4 0 0 6 52 8 11 118 12 .258 .333 .448 .781
2008 159 686 598 96 162 32 1 38 310 115 1 1 0 8 72 19 8 124 16 .271 .353 .518 .871
2009 26 112 94 15 28 7 1 4 49 23 0 0 0 2 12 0 4 20 3 .298 .393 .521 .914
MLB:17年 2035 8657 7283 1241 2038 483 18 473 3976 1512 14 8 0 93 1109 186 172 1745 152 .280 .383 .546 .929
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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捕手守備


捕手(C)




















1993 TOR 1 2 0 0 0 1.000 0 0 0 ----
1994 1 1 0 0 0 1.000 0 0 0 ----
MLB 2 3 0 0 0 1.000 0 0 0 ----
内野守備


一塁(1B)












1995 TOR 4 20 1 0 3 1.000
1996 27 221 13 4 21 .983
1997 119 962 67 12 98 .988
1998 141 1165 87 10 110 .992
1999 147 1306 84 14 134 .990
2000 162 1416 82 13 157 .991
2001 161 1518 103 9 166 .994
2002 140 1232 95 12 121 .991
2003 147 1355 103 10 137 .993
2004 120 1041 88 5 98 .996
2005 FLA 141 1147 83 14 133 .989
2006 NYM 141 1199 70 8 95 .994
2007 138 1133 74 8 101 .993
2008 154 1237 105 8 106 .994
2009 25 192 9 2 16 .990
MLB 1767 15144 1064 129 1496 .992
外野守備


左翼(LF)












1994 TOR 41 56 2 2 0 .967
1995 17 34 1 0 0 1.000
MLB 58 90 3 2 0 .979
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

[編集]
MLB

表彰

[編集]
MiLB
MLB

記録

[編集]
MLB

背番号

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  • 6(1993年 - 1995年)
  • 21(1996年、2006年 - 2009年)
  • 25(1997年 - 2005年)

代表歴

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脚注

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  1. ^ a b Carlos Delgado 1994 Career Highlights” (英語). 2008年5月8日閲覧。
  2. ^ 1997 Toronto Blue Jays Statistics and Roster - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月31日閲覧。
  3. ^ Carlos Delgado 1997 Career Highlights” (英語). 2008年5月8日閲覧。
  4. ^ 1998 Toronto Blue Jays Statistics and Roster - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月31日閲覧。
  5. ^ Carlos Delgado 1999 Career Highlights” (英語). 2008年5月8日閲覧。
  6. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート トロント・ブルージェイズ」『月刊メジャー・リーグ』2000年12月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-12、64頁。
  7. ^ a b c http://www.baseball-reference.com/teams/TOR/leaders_bat.shtml
  8. ^ a b The Ballplayers - Carlos Delgado Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年8月20日閲覧。
  9. ^ Carlos Delgado Home Run Log (Batting)” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月20日閲覧。
  10. ^ 4 Home Runs in 1 Game by Baseball Almanac” (英語). 2008年1月31日閲覧。
  11. ^ Delgado chooses Marlins” (英語). MLB.com. 2008年8月20日閲覧。
  12. ^ Carlos Delgado 2005 Career Highlights” (英語). MLB.com. 2008年8月20日閲覧。
  13. ^ a b 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、250頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  14. ^ Carlos Delgado 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月8日閲覧。
  15. ^ a b c 杉浦大介 「ニューヨーク・メッツ もう同じ失敗はしたくない!」『月刊スラッガー』2008年11月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-11、42 - 45頁。
  16. ^ Carlos Delgado 2008 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年1月5日閲覧。
  17. ^ Associated Press (2008年10月31日). “Delgado to return to Mets in 2009 as team exercises option” (英語). ESPN.com. 2009年1月5日閲覧。
  18. ^ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト (英語) 2015年2月19日閲覧
  19. ^ 元オールスター、デルガドが現役引退を表明 option”. 時事通信. 2011年4月14日閲覧。[リンク切れ]
  20. ^ Alou, Delgado, Elliott, Koskie, Stairs to enter Canadian Baseball Hall of Fame in 2015 The official site of Baseball Canada (2015年2月4日) 2015年2月19日閲覧

関連項目

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外部リンク

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